感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

人生の最終章

2020-02-18 | 日々思うこと

月曜日の夕方辺りから、右の胸の首の下あたりの、肋骨の一番上のあたりの骨が押すとすごく痛くなった。骨にひびでも入ったのかと、少し心配になって、用心していたら、今度は右の腕の付け根の内側あたりの脇から胸にかけての部分が、触ると痛くなった。タンが絡んで咳をする時に、その部分がすごく痛む。

くしゃみをした時は、その痛さに思わず声をあげるほどだった。

肺が痛いのかなと最初は思ったりしたが、どう考えても、胸の表面部分の痛みだ。まさか、乳癌か、、、とその可能性も考えてみたが、痛い部分は明らかに胸を外れてる。じっとしてるときは何ともないが、くしゃみや咳で、胸の筋肉を使う時に激しく痛い。これは、骨か筋肉の痛みだろうと自分なりに分析して、様子を見ることにした。

ネットで検索してみると、同じ部分が痛いと言う事で図入りのサイトが結構あり、どうやら肩から腕、胸の前方を走る何とかという筋肉が筋肉痛をおこしているらしいと言う事がわかってきた。これが、正しいのであれば、肺の病気と乳癌と言う心配はなくなることになる。良かった、と思う事にした。

案の定、少し気を付けて安静にし、ストレッチも痛くない程度に施しながら、今日でそろそろ1週間になるが、最初の激しい痛みはずいぶんやわらぎ、咳をしても声をあげるほどではなくなったが、それでもまだ、脇の下あたりの筋肉が痛む。

いったい何をして、痛めたのかと考えるのだが、記憶に定かではない。

知らず知らずのうちに、筋肉が年齢とともに衰え、昨日まで無理なくできていたことが、今日からできなくなって、気が付かない間に、無理になっていた、という事なんだろう。

赤ちゃんが、昨日までは寝返りができなかったのに、今日できるようになる、その全く反対の行程を今、自分が進んでいるんだな。

そうか、老いているんだな、、、。

老いを自覚すると言う事、老いを受け入れると言う事、新しい世代にバトンを渡し、引き際を知ると言う事、時代の移り変わりを身をもって感じると言う事、忘れ去られると言う事、必要でなくなると言う事、思い出に生きると言う事、そんな事なんだろうか。

子供に手がかからなくなり、お金に少し余裕がでてきて、今までやりたかったことができる様になったように思う。好きな映画を何時間も見て、好きな歌を何曲も聴いて、好きな本を何回も読みなおし、お料理の手抜きもして、外食も時々はし、部屋の中のインテリアに少しお金をかけ、生活の質がすこーし上がったような気がする。

少しずつできてたことができなくなり、物忘れが激しくなり、耳が遠くなり、目がうすくなり、でも、気持ちだけはこんなに若いままなんだと、ある意味驚いている。

老いた今になってこそ、できる事や、わかる事、感じられること、そんなこともある。毎日、毎日、元気でいろんな人と語らい、話を聞き、交わり合いながら、日々を感謝して暮らそうではないか。

人生の最終章、自分の生きてきたこれまでを、この最終章でまとめあげなくては、上手に締めくくっていけたらいいな、なんてね、思うこの頃です。



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