手術の退院は10/31(H21年)で体力が回復したら、万が一の可能性をつぶすために
抗がん剤治療を受けるか否かを問われた時、『お願いします』と即答していた。副作
用は出ないだろうから何も躊躇する理由はない。ところがシンガポールのEさんが12
月の中頃、日本に来るので私の所に来たい、と連絡してきた。
先生に事情を話、日程の調整をとって11/25から11/8までにして貰うことができた。
治療は楽なものだから院内ウロウロ生活の再現になった。何か面白い事はないかと
掲示板や目新しいポスターも隈なく見た。その中に玄関ホールで音楽会が開かれる
ことを知り、楽しみにしていた。国立音大の関係者がピアノ、フルート、バイオリンなど
奏でる、クリスマスソングだった。聞くと時々ボランティアでこうした演奏会を開き、病人
の癒しになるよう活動しているのだ。
この時、バッテリー付の点滴車だったから、時間によっては充電が要るようになるかも
しれなかった。壁コンは他人が使っており空はなし、すると看護師さんがスルスルとコ
ードリールを持って来てくれ、電源を確保できた。
生演奏の音楽は、味気ない入院生活に一滴の活力エキスを与えてくれた。私が座っ
た所の横に『新型インフルエンザワクチン接種受付』なる大きな看板があった。急な流
行でワクチンが不足し、病気に対する弱者優先の割り当てをされた時だ。
私は手術をして免疫力が落ちているだろうから、と言う理由でこの枠の中に入れて貰
った。院内はインフルの予防で入口には消毒液での手洗い、マスクは必需品のようだ
った。野生爺の私は、消毒液は面倒だったから使わないし、マスクもせずに過ごした。
新型インフルの関係で、小さい孫たちは病棟に入ることができなかった。
この治療を終え退院し暫くしてからEさんが我が家に来た。娘たち一族を引き連れて、
入院中に6Fから眺めていた中華料理屋に出かけた。たどたどしい英語での会話を挟
みながら楽しいひと時を過ごした。Eさんは二晩泊まって帰国した。この時、初めて知
ったのがJALでシンガポール~羽田を利用し国内移動をJALですると往復10000円で
出来ること。私たちはこのようなケースはないから、教えようにもサッパリ。
最初の抗がん剤治療は、手術に向けて頑張るぞと檄を。
手術は、食事が楽しくなると檄を。
術後の治療は、徹底的に癌退治と檄を飛ばした入院生活だった。
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