『マイ桜の花見』
昨日は、桜の満開と蜂との格闘、誠に無粋な話だった。一日経過して、無粋が
粋に大変身などあり得ないが、少しだけ・・・・の変身。いい天気に恵まれ朝から
畑に出て、ハウス内の畝整備などをしていた。
必要機材を購入するためホームセンターに車を走らせその道すがら、あちらこ
ちらに満開の桜が目に入ってきた。
山小屋の桜も満開だし、孫たちに花見をさせてやってはと俄思い付き、帰宅し
妻に相談したら即決。簡単な弁当をスーパーで購入し孫たちと花見を楽しむ。
山小屋での花見は自由自在。弁当の他にラーメンを作り、小鉢風に頂く。
食後のコーヒーもOK。
きれいな桜の花の下で舌鼓を打つ、いい一日だった
--PS-- 越冬バッタは脱走のまま、帰宅せず
『医者との信頼関係』
信頼できる医者に出会うのと、出会わないのとでは天国と地獄の差がある。私
の場合、とても信頼できる先生と感じたから、セカンドオピニオンは毛頭も考え
なかった。だが闘病記やアドバイスなどの中には、信頼に足りぬ否、とても身を
預ける気にはなれない医者との巡り合いを語るものも多い。
私も友人のことで、医者として信頼できない方と会ったことがある。末期がんの
患者さんで、家族方に詳細を聞いてもよく分からない。つまり、打つ手がなく
緩和ケアのみの治療の場合であっても、家族や親族への説明は何度でも納
得するまで行うべきであろう。説明されても理解しているようで、上の空で素通
りしていることもあろう。
死が近いと思われるのに医者の説明が理解できない訳はないと、決めつけるこ
とはできない。何度も説明したのに理解、納得されていない場合、再度説明を
求められれば、何度でも説明するのが当たり前ではないか。
あってはならないことがあるから、信頼できない医者との遭遇があるのだ。
友人のケース。
見舞いに来ても、治療している様子はなく、家族に打つ手はなく、死を待つだ
けの状態か単刀直入に聞いた。医者からは完治の見込みはないとの説明を
受けたが状況はよく分からないとのことだった。
家族の方に『主治医に詳しく説明してもらおう』と看護師経由で説明を求めた。
急なことだから医者も予定があったろう、一時間ほど待って説明を受けることが
できた。
医者の開口一番、『何が聞きたいのですか。私はちゃんと説明しました。』
の説明で理解することはできたが、結果は残念だった。友人のこと、こんな医
者が担当になった、二つのことに・・・・。
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