食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

医者との信頼関係

2012年04月15日 19時28分14秒 | 日記

『マイ桜の花見』

昨日は、桜の満開と蜂との格闘、誠に無粋な話だった。一日経過して、無粋が

粋に大変身などあり得ないが、少しだけ・・・・の変身。いい天気に恵まれ朝から

畑に出て、ハウス内の畝整備などをしていた。

必要機材を購入するためホームセンターに車を走らせその道すがら、あちらこ

ちらに満開の桜が目に入ってきた。

山小屋の桜も満開だし、孫たちに花見をさせてやってはと俄思い付き、帰宅し

妻に相談したら即決。簡単な弁当をスーパーで購入し孫たちと花見を楽しむ。

山小屋での花見は自由自在。弁当の他にラーメンを作り、小鉢風に頂く。

食後のコーヒーもOK。

きれいな桜の花の下で舌鼓を打つ、いい一日だった

--PS--   越冬バッタは脱走のまま、帰宅せず

 

『医者との信頼関係』

信頼できる医者に出会うのと、出会わないのとでは天国と地獄の差がある。私

場合、とても信頼できる先生と感じたから、セカンドオピニオンは毛頭も考え

なかった。だが闘病記やアドバイスなどの中には、信頼に足りぬ否、とても身

預ける気にはなれない医者との巡り合いを語るものも多い。

私も友人のことで、医者として信頼できない方と会ったことがある。末期がんの

者さんで、家族方に詳細を聞いてもよく分からない。つまり、打つ手がなく

アのみの治療の場合であっても、家族や親族への説明は何度でも納

するまで行うべきであろう。説明されても理解しているようで、上の空で素通

していることもあろう。

死が近いと思われるのに医者の説明が理解できない訳はないと、決めつけるこ

とはできない。何度も説明したのに理解、納得されていない場合、再度説明を

められれば、何度でも説明するのが当たり前ではないか。

あってはならないことがあるから、信頼できない医者との遭遇があるのだ。

友人のケース。

見舞いに来ても、治療している様子はなく、家族に打つ手はなく、死を待つだ

の状態か単刀直入に聞いた。医者からは完治の見込みはないとの説明を

たが状況はよく分からないとのことだった。

家族の方に『主治医に詳しく説明してもらおう』と看護師経由で説明を求めた。

急なことだから医者も予定があったろう、一時間ほど待って説明を受けることが

できた。

医者の開口一番、『何が聞きたいのですか。私はちゃんと説明しました。』

の説明で理解することはできたが、結果は残念だった。友人のこと、こんな医

が担当になった、二つのことに・・・・。


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