「二つの北富田」
3月12日(土)晴れ時々曇り
先週「北富田」から帰宅してさらにいろいろと調べてみると、「北富田」のメノウにはどうも2つの産地があることが判りました。
ひとつは先週行った
常陸大宮市北富田の「北富田沢(仮称)のメノウ(転石)」(旧山方町)
そしてもう一つは
大子町北富田にある「北富田鉱山のメノウ」
です。
5~6年前になりますか以前にこの辺をトレッキングした時、大子町と旧山方町が成立する際に下小川の「北富田」、「西金」、「盛金」地区は集落内で大子町と旧山方町に分離したらしく、二つの行政区に同じ名前の地区が存在することを知りました。
(水郡線トレッキング「西金駅(二つの北富田)」)
「沢」のメノウは確認できましたが、「鉱山」のメノウは未確認ですので確認しなければなりません。ということで今週も「メノウ探索」に出陣です。(メノウの魅力に嵌っちゃいましたかねぇ)
「北富田(常陸大宮市)」
(バナーをポッチンとクリックして頂くとブログランキングが表示されます。現在「茨城」4位、「生き方」4位あたりで~す。緑と青のバナーを1日1回クリックして頂くと順位に反映されますので、宜しくお願いしま~す。)
先週入った常陸大宮市の北富田沢(仮称)沿いの道をのぼっていきます。この道狭いです、まぁ対向車もほとんどないんで問題ないんですが運が悪いとバックを余儀なくされますので窓を開け対向車のエンジン音に注意を傾けて進んで行きます。先週足止めとなった滝が見えました、その先にうまい具合に駐車スペースが、ここでもう一度沢を覗いてみることにしました。
「北富田の沢」1
藪で覆われているところもありますのであまり人が入った形跡はないようで、こんな石垣で護岸されているようなところもあります。
「北富田の沢」2
予想通りこぶし大の「メノウ」が直ぐに見つかりました。
「北富田の沢」3
周囲を見渡してみると、こんな坑道跡?が何か所か川沿いに見られました。ここから「メノウ」の塊がこぼれれ落ちてくるのかなぁ? 坑道まで登って確認するほどの装備も体力もありませんので……。
「北富田の沢」4
このあたりは水が比較的澄んでいるせいか水中にあるメノウもはっきり確認できます。
「北富田の沢」5
そんなところを遡上していくと集落が、人家の近くで石拾いも如何なものかと思いあがることに。
「北富田の集落」
車に戻り細い道を上って行くと県道322号に、右に行くと諸沢、三太の湯方面、左は大子町湯沢、西金方面、予定通り大子町方面に向かいます。北富田沢(仮称)沿いの道より狭い感じ、途中で沢を渡る橋がありましたので車を停め沢の石ころを確認します。ここでも5~6cmほどのメノウが確認出来ました。これでこの沢の転石は少なくともこの周辺の山が供給元であることは想像出来ましたが、この先は沢が道路沿いから外れ谷底に延びていましたのではっきりとそれを確認することが出来ませんでした。あとおよそ1kmぐらいで「北富田鉱山跡」ですが、そことの関連も明確には判りませんでした。
そしてガードレールもない狭い道を登りつめると急に道幅の広い道路に標識を見ると「大子町」と書いてありました。
「大子町 北富田」
後ろを振り返ると、げぇっ、結構狭い!
「県道322号」
峠らしきところに「籠岩方面登山口」がありました、ここが「北富田鉱山跡」の入り口のはず、車を近くの駐車スペースに停め徒歩で向かいます。
「籠岩方面登山口」
曲がりくねった簡易舗装の道を登っていくと道路に石ころが、げげげっ「メノウ」で~す。
10~20cmクラスのメノウの塊が路上に、左側の山から落ちてきたようです。
「北富田鉱山跡」1
どうやら左手の杉山がズリ山のようです。たぶんズリ山に杉を植林したという表現の方が正しい感じです。さらに行くと道路に小さなメノウ片がこぼれて溜まっています、メノウだらけです。
さすがメノウの聖地「北富田」!
ここは小さい欠片ですがこれ全部メノウ、メノウ以外の石を探す方が大変って感じです。
「北富田鉱山跡」2
そしてありました目印の「水道圧送ポンプ小屋」。
「水道圧送ポンプ小屋」
そこから少し70~80m下った先に、「北富田鉱山坑道跡」が、竹藪の奥にポッカリと口を開けていました。
「北富田鉱山跡」3
地図を見ながら探し歩いてきましたので、ちょこっと感激です。
これがみなさんのブログに掲載されている鉱物マニアの間では有名な「北富田鉱山」跡の写真ですね。
坑道はかなり奥まで続いている感じですが、だいぶ埋まりかけていて暗くてはっきりとは判りませんでした。
「北富田鉱山跡」4
坑道入り口の崖にメノウの鉱脈が見られますが、ここに倒木が立てかけてあります、何とか大物をとの苦労の跡ですかね、まぁ私は見れただけで十分、記念に坑道の下に落ちていた欠片を1個だけ頂きました。
「北富田鉱山跡」5
帰り道てっきり大子町と思っていたんですが常陸大宮市「諸沢」の標識が、どうも道路が町の境界のようで鉱山跡も境界のすぐそばにあるようでした。ポンプ小屋の境界石には(旧)山方町の彫印が見てとれました。
「北富田鉱山跡」6
ズリ山には登らず道路に落ちていた大き目の石邪魔でしょうからこれを採集させて頂き帰ることにします。
以前「玉川のメノウ」を調べた時にこのあたりのメノウについての記述がありました。
「北富田のめのうは、男体山火山角礫岩中の断層などに沿って脈として見られ、多くは透明から白色です。一方、玉川流域のめのうは礫で発見され、多くが赤色からオレンジ色を示します。玉川流域で採取される瑪瑙の大きな脈は確認されていませんが、小貝野地域に分布する小貝野層中の瑪瑙脈が崩れ、玉川が運んだものと推測されます。」
「めのう」の形成過程にはそれぞれ違いがあるようでそれにより少しずつ色や形が違ってくるようですねぇ。
北富田のばあい「めのう」というより「玉髄」なんでしょうね、そして記述通りほとんど透明、白色系でした。
「北富田」コレクション
「北富田のめのう」1
「北富田のめのう」2
「北富田のめのう」3
ところで「北富田鉱山」とありましたがめのうそれ自体は一般的に二次産出物として掘り出されることが多いですが、ここはどうやら「めのう鉱山」だったようです。
よく判らなかったんですが当初は「火打ち石」として、その後は「装飾材料」として昭和50年頃まで採掘されていたようです。
「北富田鉱山」
産出鉱物 めのう 水晶/紫水晶
沿 革 江戸時代 火打ち石用に採掘 明治-昭和: 装飾用に採掘。
1975年(昭和50年) 休山
これで「常陸風土記」から始まっためのうの探査は区切りとします、でも「北富田鉱山」のズリ山が「北富田沢(仮称)のめのう」の供給元かどうかも確認していませんので、またいつかここの「めのう」を追っかけるかもしれません。
次回に、つづく。
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3月12日(土)晴れ時々曇り
先週「北富田」から帰宅してさらにいろいろと調べてみると、「北富田」のメノウにはどうも2つの産地があることが判りました。
ひとつは先週行った
常陸大宮市北富田の「北富田沢(仮称)のメノウ(転石)」(旧山方町)
そしてもう一つは
大子町北富田にある「北富田鉱山のメノウ」
です。
5~6年前になりますか以前にこの辺をトレッキングした時、大子町と旧山方町が成立する際に下小川の「北富田」、「西金」、「盛金」地区は集落内で大子町と旧山方町に分離したらしく、二つの行政区に同じ名前の地区が存在することを知りました。
(水郡線トレッキング「西金駅(二つの北富田)」)
「沢」のメノウは確認できましたが、「鉱山」のメノウは未確認ですので確認しなければなりません。ということで今週も「メノウ探索」に出陣です。(メノウの魅力に嵌っちゃいましたかねぇ)
「北富田(常陸大宮市)」
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先週入った常陸大宮市の北富田沢(仮称)沿いの道をのぼっていきます。この道狭いです、まぁ対向車もほとんどないんで問題ないんですが運が悪いとバックを余儀なくされますので窓を開け対向車のエンジン音に注意を傾けて進んで行きます。先週足止めとなった滝が見えました、その先にうまい具合に駐車スペースが、ここでもう一度沢を覗いてみることにしました。
「北富田の沢」1
藪で覆われているところもありますのであまり人が入った形跡はないようで、こんな石垣で護岸されているようなところもあります。
「北富田の沢」2
予想通りこぶし大の「メノウ」が直ぐに見つかりました。
「北富田の沢」3
周囲を見渡してみると、こんな坑道跡?が何か所か川沿いに見られました。ここから「メノウ」の塊がこぼれれ落ちてくるのかなぁ? 坑道まで登って確認するほどの装備も体力もありませんので……。
「北富田の沢」4
このあたりは水が比較的澄んでいるせいか水中にあるメノウもはっきり確認できます。
「北富田の沢」5
そんなところを遡上していくと集落が、人家の近くで石拾いも如何なものかと思いあがることに。
「北富田の集落」
車に戻り細い道を上って行くと県道322号に、右に行くと諸沢、三太の湯方面、左は大子町湯沢、西金方面、予定通り大子町方面に向かいます。北富田沢(仮称)沿いの道より狭い感じ、途中で沢を渡る橋がありましたので車を停め沢の石ころを確認します。ここでも5~6cmほどのメノウが確認出来ました。これでこの沢の転石は少なくともこの周辺の山が供給元であることは想像出来ましたが、この先は沢が道路沿いから外れ谷底に延びていましたのではっきりとそれを確認することが出来ませんでした。あとおよそ1kmぐらいで「北富田鉱山跡」ですが、そことの関連も明確には判りませんでした。
そしてガードレールもない狭い道を登りつめると急に道幅の広い道路に標識を見ると「大子町」と書いてありました。
「大子町 北富田」
後ろを振り返ると、げぇっ、結構狭い!
「県道322号」
峠らしきところに「籠岩方面登山口」がありました、ここが「北富田鉱山跡」の入り口のはず、車を近くの駐車スペースに停め徒歩で向かいます。
「籠岩方面登山口」
曲がりくねった簡易舗装の道を登っていくと道路に石ころが、げげげっ「メノウ」で~す。
10~20cmクラスのメノウの塊が路上に、左側の山から落ちてきたようです。
「北富田鉱山跡」1
どうやら左手の杉山がズリ山のようです。たぶんズリ山に杉を植林したという表現の方が正しい感じです。さらに行くと道路に小さなメノウ片がこぼれて溜まっています、メノウだらけです。
さすがメノウの聖地「北富田」!
ここは小さい欠片ですがこれ全部メノウ、メノウ以外の石を探す方が大変って感じです。
「北富田鉱山跡」2
そしてありました目印の「水道圧送ポンプ小屋」。
「水道圧送ポンプ小屋」
そこから少し70~80m下った先に、「北富田鉱山坑道跡」が、竹藪の奥にポッカリと口を開けていました。
「北富田鉱山跡」3
地図を見ながら探し歩いてきましたので、ちょこっと感激です。
これがみなさんのブログに掲載されている鉱物マニアの間では有名な「北富田鉱山」跡の写真ですね。
坑道はかなり奥まで続いている感じですが、だいぶ埋まりかけていて暗くてはっきりとは判りませんでした。
「北富田鉱山跡」4
坑道入り口の崖にメノウの鉱脈が見られますが、ここに倒木が立てかけてあります、何とか大物をとの苦労の跡ですかね、まぁ私は見れただけで十分、記念に坑道の下に落ちていた欠片を1個だけ頂きました。
「北富田鉱山跡」5
帰り道てっきり大子町と思っていたんですが常陸大宮市「諸沢」の標識が、どうも道路が町の境界のようで鉱山跡も境界のすぐそばにあるようでした。ポンプ小屋の境界石には(旧)山方町の彫印が見てとれました。
「北富田鉱山跡」6
ズリ山には登らず道路に落ちていた大き目の石邪魔でしょうからこれを採集させて頂き帰ることにします。
以前「玉川のメノウ」を調べた時にこのあたりのメノウについての記述がありました。
「北富田のめのうは、男体山火山角礫岩中の断層などに沿って脈として見られ、多くは透明から白色です。一方、玉川流域のめのうは礫で発見され、多くが赤色からオレンジ色を示します。玉川流域で採取される瑪瑙の大きな脈は確認されていませんが、小貝野地域に分布する小貝野層中の瑪瑙脈が崩れ、玉川が運んだものと推測されます。」
「めのう」の形成過程にはそれぞれ違いがあるようでそれにより少しずつ色や形が違ってくるようですねぇ。
北富田のばあい「めのう」というより「玉髄」なんでしょうね、そして記述通りほとんど透明、白色系でした。
「北富田」コレクション
「北富田のめのう」1
「北富田のめのう」2
「北富田のめのう」3
ところで「北富田鉱山」とありましたがめのうそれ自体は一般的に二次産出物として掘り出されることが多いですが、ここはどうやら「めのう鉱山」だったようです。
よく判らなかったんですが当初は「火打ち石」として、その後は「装飾材料」として昭和50年頃まで採掘されていたようです。
「北富田鉱山」
産出鉱物 めのう 水晶/紫水晶
沿 革 江戸時代 火打ち石用に採掘 明治-昭和: 装飾用に採掘。
1975年(昭和50年) 休山
これで「常陸風土記」から始まっためのうの探査は区切りとします、でも「北富田鉱山」のズリ山が「北富田沢(仮称)のめのう」の供給元かどうかも確認していませんので、またいつかここの「めのう」を追っかけるかもしれません。
次回に、つづく。
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