■ ■■■■■ ■ 日刊 こならの森 ■ ■■■■■ ■

* * * *  *  * * * *
東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

創刊3号

2008-03-11 | 創刊~100号
     創刊3号 1988年7月発行

表紙の人 右から亀田さん、武藤さん、米山さん

C O N T E N T S
1p  目  次 
2-5p [特集]東武佐野線沿線を行く
6-7p タウン・スナップ/人物紹介
8-9p 僕の好きなMONO
10p つれづれインタビュー「佐野らーめん会会長」
12p ミサコ&クリサナのタイ語・英語・日本語 教室
13p お店紹介
14p 協賛店マップ
17p 結婚しました
18p アウトドアー
20P 漢方
21P 美容と健康
22p 芝居三昧
23p コーヒータイムその3
24p 職人語り「土鈴」山口壬三さん
26p 「センチュリー・ラン」3回 作・大川 圭吾
28p 情報コーナー
32p こなら通信


■本文抜粋記事

つれづれインタビュー
佐野らーめん会会長
古沢幸一さん

当時はらーめんが五〇円だった
◆お店はいつごろから始められたんですか?
『古沢』 三七年の八月四日に金井上町に開店しました。当時はらーめんが五〇円だったんですが一〇円引きで三日間サービスしましてね。
◆それじゃ開店から大忙しだったでしょう。
『古沢』 エエ、マァそれがうけたんですが、出前が出ちゃうと、とにかくどんぶりがたりなくなっちゅうわけですよ。今日売って儲かった分で五〇枚買ってくるか、三〇枚買ってくるか・・・(笑)。本当に忙しい開店時期でしたが、無我夢中でしたからね。
◆修業時代の思い出は?
『古沢』 そうですねぇ四年間修業しましたが、昔の主人ていうのは、なかなか手をとって教えてくれないんですよ。出前がほとんどで、それがない時でもネギの皮むきとか、メンマ切りとか、スキがないんですよ。メシ食うひまもないくらいでしたから。
◆まともには覚えられないですね。
『古沢』 そう、ネギ皮をむきながら、そっとそばぶちを盗み見して(笑)、その内「覚える気があるか」と聞かれましてね、それでも昼間はできないですから。
◆というと?
『古沢』 朝の八時から夜は十一時まで仕事でしょう、その間は給料もらってるわけですから、そばぶちなんてとんでもないわけで、仕事の後、主人と若い衆の白衣と前掛けを洗濯して、残り火にメンマをかける。早くても家に帰るのが一時くらいになっちゃうんですよ。そして朝は、五時ごろから起きだして八時ごろまでに店でそばをぶちあげる。それで段々慣れてきたんです。
◆そうした修業時代の経験から、ズバリ古沢さんのらーめん哲学はなんですか? 
『古沢』 やっぱりお客さんの声ですね。お店のお客さんより出前のお客さんの方がハッキリ言ってくれるんですよ。
◆今日のスープはどうだったとか。
『古沢』 そうそう、店のお客さんはどんぶり下げに行くと必ず直に跳ね返ってきますからね。
◆ところで古沢さんがらーめん会を始めたられたキッカケは?
『古沢』 会の話しが始まる前に、組合の親睦旅行で喜多方へ行ったんですが、あちこち食べ歩きして、いろいろみてきまして・・・・。
◆らーめんの先進地ですね。
『古沢』 エエ、そこでこれからの自分達の商売のことやまちづくりを考えさせられましてね。そんな時に、たまたま市長さんから市の活性化に役立つ目玉は無いかということで、商工課長さんを通じてお話しがあったんです。それではということで、仲間が発起人になって会議所さんや、商店連合会、観光協会が前向きに協力してくれて、会づくりの話しがもり上がったわけです。
◆最後に古沢さんのが佐野市に望むものは?
『古沢』 そうですね、佐野の人がもっと開拓者精神というか冒険心をもってほしいですね。結果を怖がって、何もしないのではなくて、前向きにやってみる。そういう事がよくても悪くても、地元の活性化につながると思います。
◆その通りだと思います。今日はどうも有難うございました。