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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森 6号

2008-03-14 | 創刊~100号
     6号 1988年 10月発行

C O N T E N T S
1p  看板娘/目 次 
2-5p [特集]国際交流してますか
8p  タウン・スナップ/人物紹介
12p 韓国語・英語・日本語 教室
16p 結婚しました
16p つれづれインタビュー
18p きままにアウトドアー
20P タウンウオッチング 
22p 玄人語り「小森好子さん」
24p きままにアウトドアー
26p  僕の好きなMONO
28p 情報コーナー

本文抜粋記事

■特集 国際交流してますか

真の国際人として

 現代は正に国際化社会であると言われているが、国際人と言うと外交官を思い浮かべる昔と違って、しばしば外国へ出掛ける人のことまでを言うそうである。おまけにそれが今やファッションと化している。どうも外国旅行をすれば国際的になれると信じこまされているようだ。手取り足取りのお任せ旅行では、三六〇度のパノラマスクリーンの中にいるようで、これでは英語を話す必要性も国際交流をするチャンスもない。
 佐野市でも在住する外国人が百人以上にもなるという。もう今や一部の人がやっていればよいという段階ではなく、日常的な感覚と態度で付き合えるようになる必要があると思う。
 海外旅行は本人に取って大きな収穫となる重大事件だが、国際理解という観点からみるとほんの一部分にしかすぎない。自己の考えで外国人と交流して行くことではないだろうか。自分自身の問題として。

ホームスティのすすめ
 国際化とか、国際理解などとむずかしく考えてしまうのが一番いけない。難しくなるばかりだから、もっと身近に国際交流を考えてみるとホームスティをして直に肌で触れ合うという事が一番。それも、海外へ出て行く時間も余裕も無いという向きには反対に受け入れを・・・。とは言っても最初は大変そうに見えるので殆どの人が断念するようだ。しかし、そうも言っていられない時世。一億総国際人の今では、当たり前に成りつつある現象だろう。特に、国際交流とか、国際化をなどと口にする人はぜひともチャレンジを。 外国青年招へい事業とか海外派遣友の会とかいう団体があり一年のうち、とにかく何かやらなければいけないと日頃思っているのでそういう人達となかよくなるのも一手。 年に一度は県や国あるいはその他の団体からホームスティの受け入れのお誘いがあり、何かやりたいと言っている言葉とは裏腹に断るのに賢明な人達ばかりだからきっとチャンスがあるはず。だが今年の佐野市のように、県全体で二十五名なのに、四名も名乗りを上げるなどと言う時には無理かもしれない。
 うちは家が狭いからとか、言葉が通じなくてという人でも、(たいがいそういって断るのだが)大丈夫。こんな人の例もあるのだ。2LDKのアパートにホームスティできた夫婦と自分達夫婦の計四人で二週間も生活したとのこと。それも、両夫婦の部屋はふすま一枚だけというありさま。プライバシーもへったくれもない。さすがにこの時ばかりは、疲れ果てたらしい。(お陰で「こならの森」創刊が一カ月延びてしまった。)

食事
 「米国人というけど、まさかお米は食べないでしょう。」とか、「お刺身は駄目なのよね。」とかあれやこれやと悩むのがこれ。しかし、ここは日本だと居直ったほうが得。言葉にしても、だれか分かる人を探して来なくてはなどと、《過保護》にするのが一番いけない。日本に来るなら日本語を勉強するのが当たり前、下手な英語で通じなかったら後はもう知らない。おまえが悪いと思うぐらいでないと、長期戦には絶えられない。
 近所の人の中には、カルチャーとか、国際理解にはまず英語とか言って(何も分かっていない)英会話を習っていて、話すチャンスに飢えている人が一人や二人はいるはず、そいうひとにまず目を付けて置こう。
 話がそれたが、まずお米のごはんを中心に据えよう。一人だけ違った料理を作るなどというのでは面倒だし、第一なにしに来たのか全く分からなくなってしまう。それでも駄目だと言うのなら、コンビニエンスがある。 そして、団らんの時間は、やはり日本茶を出すのが正式なやり方と思う。

風呂
 短い間なら問題が無いが(入らなければいいのだから)長期間になると、ややこしい。ちゃんと説明しておかないと大変なことになってしまう。欧米人は一度浴槽に入ると水を抜いてしまう習慣だから、次に入ろうと服を脱いで飛び込むとけがをするどころが、空焚き。なんて事に成りかねない。そこまで行かなくてもポリ浴槽をダメにした例もある。

宗教
 信仰を持っているひとなら問題はないが、多くの日本人はこの宿命に泣く。
 宗教を聞かれて、仏教とまで答えたはいいが、そのあとそれなのに何故神社へいくのか?と聞かれて、唖然としたと言うことを良く聞く。先方からすれば、信じるものがないと言うことは人間と見なさないという人もいるくらいですから。日本人の宗教感についてしっかりと説明出来るようにしておきたいもの。