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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森 34号

2008-03-31 | 創刊~100号
       こならの森34号 1991.2.1発行

表紙 岩舟から見た三毳山の風景

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2p…看板娘
3-8p…町案内 
9p…結婚しました
10p…としこ/カラムコラム
11-20p…特集 塩坂峠
21p-22p…トピックス
23p…モータースポーツ
24p…美容と健康/街角
25p…コーヒー/本ベスト10
26p…本/絵本紹介
27-29p…情報
31-32p…協賛店名
33p…子育て編集日記

【本文抜粋記事】


町案内

こんなご時世だからこそ最も望まれるのが『平和』だと思う。
 寒い中外で取材を行なっていてもこんな事していていいのだろうか(別に血を流せ―とは言われないだろうけれども…)という自問がわく。そんなおりに見つけたのがこの道。正式にそう呼ばれているのかは定かではないが、この道の隅にひっそりとたたずんでいる碑には紛れもなく平和の文字が…
 相生町交差点から百メートルほど東に向かって右に入る路地が、今回紹介する道だ。最初はなだらかな登りとなっている。その先は丁字路で、これまた細い曲がりくねった路地が続く。その前に、その反対側にある路地を紹介しようと思う。取り立てたものなどない路地だが、大通りから少ししか離れていないというのにシーンと静まりかえって、物音しない路地だ。そればかりでなく、ちょっと開けた所には、オシドリ塚という碑がある。
 佐野市の史跡に指定されているという事だが、その詳しい説明はない。佐野史跡写真帳には、当時犬伏町に属していたらしく、浅沼と言う地名があった。現在その碑は相生町の所在となっている。
 さて本題の平和の碑だが50号線から金成院方面に入って二つ目の交差点を渡ると、左手に大きなガレージがありそのすぐ脇にある。高さは人の背丈ほど。何とも威圧感のある碑だ。今は冬、あたりにはその他に何もない。碑を後に坂を登って行くと途中の花屋さんの裏にレンギョの黄色い花を見つけた。満開だった。空の青とコントラストを成してとてもよい。
 ほどなく坂道も終る。ここは久保町と相生町を分ける分岐点となっているようだ。もちろん線が引いてあるわけではなくあくまで地図上での事。
 さて坂を過ぎれば下りだが、これが登りと違って短い。ここには夏ともなれば、朝顔の大垣根が出現し秋まで楽しませてくれるところだが今その垣根はない。
 坂をおりきって丁字路にぶつかり右へ行くと小さなカーブになっている。その近くに面白い作りの家を見つけた。ちょっと見ると平凡な家のようだが、左側をよく見ると教会のような、洋風建築がついている不思議な様式だ。文明開化の頃だったか、和風建築に表面だけ洋風建築を付けるのが流行ったがその名残だろうか。
 さらに少し行って左に曲がってみると、両毛線の踏切が見える。その先は東武線の高架線となっている。この高架線、よく見ると城を思わせるしっかりした石垣と情緒のある煉瓦でできている。また、水道管であろうか太い管がのっているのもおもしろい。以上のことなら別段書きとめるほどの道ではないと思い、ここが坂道である事に注目して眺望がよいところを探しにもどった。相生町と久保町を分ける地点まできてあたりを探してみた。左に入ってしばらく行くと、あたりが見渡せる素敵な公園が表われた。
 残念ながらみかも山は観音山に隠れて少ししか見えないが、遥かかなたの地平線は市内の家の上に見渡せる。公園と書いたがあるのは椅子とテーブルが二つ三つだけ。広さは、そんなに広くはないし、名前もついていないらしく看板もない。もちろん地図にも載っていない。人気のないところが最もよく、自分だけの秘密にしたい場所だ。
 帰りはまた来た道を戻り、市内の風景が沈み込みながら消えてゆくのをゆっくりと眺めながら坂道を下りてきた。