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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森 26号

2008-03-27 | 創刊~100号

     26号 1990.6発行

表紙 武道館のところにあったアパート

2p…看板娘
3p…トピックス
5p…としこの童謡詩
5p…カラムコラム
6p…結婚しました
7-18p…特集「マウンテン・バイク唐沢山」
19p…モーター
19-20p…危険な道路15
20p…ヘリスキー
21p-24p…インタビュー山野井武夫さん
23-24p…コーヒー
25p…芝居三二十五回
25p…美容と健康
26p…コンサート
27p…絵本紹介/図書紹介
28p…街角/本10
29-32…情報/協賛店名
33p…子育て



【本文抜粋記事】

インタビュー

山野井武夫さん

■まちづくりに対する提案といった事について伺いたいのですが。

 何事も自分でできる事とできない事がありますね。外的な要因と内的な要因がある。ですがまず理想がない事にはそれに対して実現しようという努力も起らないだろうと思います。それをどういうふうに集約していくのか、その手法もそれから意見を発表する場や、そういった事のトレーニングも足らないのではないかと思います。
 それとは別に(佐野だけではないでしょうが)自分の意見を言うチャンスが比較的少ないのではないでしょうか。今は青年会議所とかいろいろな団体がありますから昔よりはまだ意見が反映されると思いますが、こういう狭い町ですと、いろいろな『関係』と言うものが出てきます。また話し合いとか意見を述べると言う事になれていない人もいる訳ですね。そうすると、「どうしておれに反対するんだ。」と言って意見を聞かない人が出て来るんですね。本来は反対するんではなくて考ええ方について話しあっているはずなんですが…。

 それから感情論になる事が多いですよね。もう少し冷静に、話し合いと言う習慣を日常の生活の中で身に付けていかないといけないと思いますね。学校の教育もそうですし、地域社会、例えば商工会議所とか、町内会であるとか、いろんなところで意見を発表したり、聞いたりする機会がある訳です。ですからそういう所が『開ける』と良くなるような気がします。それに、佐野の人はどこかシャイなところがある。

■良く言えばですね。

 手を上げて意見を言う事がどことなく恥ずかしい、そういう事もあると思います。意見を交換する中で良い道を探したり、自分の足らないところを考えてみて直したり、それで町作りが良く進んで行くと思います。佐野の商店街もインパクトがないですね。切瑳琢磨がなかったのではないかなと思います。
 一般に言われているのは、『商店が店舗にお金をかけない。だからおかしな業者がいない』というのですが、それによって商品に魅力がないという事でみなさんよそに買いものに行ってしまうのではないでしょうか。
 佐野は本当に暮しやすいところなんですね。昔から無茶苦茶な努力をしなくても食えたところでした。それがかえってあだになった面もあります。何が何でも夢中になって仕事をしなければならないところだと、相当な商人が出て、佐野だけじゃなくて関東地方に伸びて行ったでしょうからね。その辺が足利と違っている点でしょうか。
 比較をすれば、まず人口は倍ですね。それから、足利はいろんな面で層が厚いんですね。景気に左右されない人たちがいる。そのパーセンテージが高いですね。大学の先生とか、国とか県の出先機関、法務省を含めましてね。そういう人口が多いんです。そして文化的な遺産もずいぶん違う訳ですね。足利学校とか、鑁阿寺だとか。それと、やはり繊維関係が昔から良かったせいか、商権が広いんです。足利から育った企業も一杯あるわけです。学生でも全国から来ています。足利をリードしている人たちは、文化や歴史にも強いんですね。そしてその文化的なものを歴史を取り入れながら商売にうまく結び付けています。それを『がめつい』とは言わないんですよ。同じお金なら『喜んでいただけるもの』に利用するべきですからね。
 青年会議所の理事長の頃でしたが、山を呼んでも来ないならこっちから行こうという事で、駅を移動しようという提案をしました。その頃は、団地も暗礁に乗り上げている頃でした。今まならまだ土地も安い。駅を移動すれば企業も出て来るだろうと…。それから、佐野市の駅の前をずっと高架にしよう、といった提案もしました。
 佐野でも、例えば鉢の木に通じる人情だとか、水と緑と万葉という事から「水で有名な町」というふうにする。佐野市の鳥はおしどりですが、それをきれいな水で飼っているとか、各小学校にきれいな水と言う事を象徴させるようなものを置くとかですね。現実に結び付けたほうがいいんじゃないかと思いますね。
 人情の町というのは、私達の回りには子供達の小さな親切運動に教わらなければいけない事がたくさんある訳です。ですから、坪あたりの店舗の効率だとかいう経営の分析も大切な事ですが、本当はお客さんに『ありがとう』と心から言える店主であり店員でないといけないと思うわけです。それには、鉢の木に代表されるような人情を育てて行くことですね。経営がうまく行かないのは大型店のせいだと言うのだけではね…。

■他人のせいにしていると言う事ですね。

 そういう考え方が多いですね。町並をきれいにしよと思って街路樹を作ると、看板が見えなくなって、邪魔でしょうがない、と言うのではだめですね。それは一部の人の考えなんですから。ところが、それを回りの人が間違っていますよとは表だっては言わないんですよ。「あの人が言うのでは…」というふうになってしまうわけです。今度は低い木を植えましょう、とか他の話をすれば言い訳です。ところが偉い人が言ったのだから黙っていようとか、若い人が言ったどんな良い意見でも、生意気だなどと言うのではね。
 誰でも自分の住んでる町は良くしたいと思っています。ですが自分の事になると忘れてしまう。

■佐野の将来展望は明るいと思いますが、どうお考えでしょうか。

 もちろん明るいものだと思います。やっぱりこういう良いチャンスには、みんなが勉強してそれをバネにして活かすようにしないといけないと思います。後から考えてチャンスを逃したと言うのではいけない。ですからどういう良いものが来ても受け入れられるような日頃のトレーニングというものをしなければいけない。
 佐野にも貴重な体験をしている先輩が実業界にはいます。ですがそういう人たちとの接点がない。若い人も年輩の人も一杯いるはずです。もっと発掘していってほしいですね。

■文化面でいいますと、どうでしょうか。

 必ずしも谷間とはいいきれません。陶芸家でも田村耕一さんが出ました。他から来た人自慢する事が多くなったんですね。今までは遅れていましたからね。
 足利ですと、足利学校にゆかりのある事は昔からみなさんがある程度、知っている訳です。ところが、極端な話、佐野では(若い人の事ですが)数年前に博物館ができるまで田中正造といってもその業績を理解している人は少なかった。唐沢山に関する事もそうです。
 最近は郷土史家の活躍や歴史講座などを通じて理解を深めつつあります。ですからこれからはその層をより厚くして「佐野は良いところだ」ではそれにふさわしい街にするために、我々ができる事はなにか、というような事を歴史を通して考えていく。そういう事が大事ですね。
 町作りというのは残念ながらハード面ではないんです。住んでいるひとが大切なんです。道路で言えば、安全に通れるようにする事が最小限のことだと思います。少し店を削っても自転車を置くところくらいは作るべきだと思いますね。しかし私達はそれを理解して具体的にする事には弱いんですね。やはり行動に結び付いてこそ、初めてそれが生きたといえるうような気がします。

■どうもありがとうございました。


こならの森 25号

2008-03-27 | 創刊~100号

     25号 1990.5.1発行

表紙 ハルジオン

●目    次●
2p…看板娘
3p…キャベツ畑で
3p…カラムコラム
4p…結婚
5-18p…特集・三毳山
19-22p…トピックス
19-20p…コーヒー
23p…モーター
24p…アウト
23-24p…危険な
25p…美容と健康/芝居三昧
26p…本10/絵本
27p…本紹介
28p…街角の肖像
29-30p…情報
31-32p…協賛店名
33p…子育て


【本文抜粋記事】

特集・三毳山

 近くて遠い大自然『みかも山』。なにも大自然と大袈裟に書かなくてもと、という方もいると思う。確かに大滝があるわけでも、大渓谷があるわけでもない。コアラもラッコもカンガルーもいない。
 標高200メートルほどで山というより丘に近いし、カエデやナナカマドなどが多いわけでもないので、秋の紅葉はけしてきれいとはいえない。その代わり新緑の頃の素晴らしさは紅葉の比ではない。
 秋とは逆に、今年出た新芽が若葉になる前の一時に、山吹色や茶色の淡い色をつける。それが新緑、針葉樹の深緑、山桜と合いまって何ともいえない色彩のハーモニーとなる。しかし、この頃は雨も多く、芽吹きの期
 もちろんみかも山の良いところ、素晴らしいところは紙上ではすべて紹介できものではなく本当に秘密の場所がまだまだたくさんあるが、そういったものは人知れずだからこそいいのだし、心ない人達に踏み荒らされずにすむと思うのだが、二周年を記念して「こならの森」の読者には少しだけ紹介しよう。
まり残らないようで残念だ。
 ハイキングや山歩きが好きでない人でも、一度や二度は登ってみたことがあると思う。
 なにを隠そう、近くて遠いの真意は『こならの森』で一度も取り上げなかった、ということではないだろうか。
 そこで万葉のロマン香るみかも山を二周年を記念してど~んと取り上げて見ようと思う。
 きっと、こんなに近くにあるのだからもっと素晴らしいポイントが見つかる、見落としているところが多いはずだから、と実感するはず。
 例年より少し早い、芽吹きの頃、絵本仲間コロポックルのメンバーと一緒に何年かぶりでハイキングコースを歩いてみた。小雨に追いかけられながらナラの大きな木陰で雨をさけてのみかも山トレッキングレポート。まるで、大きなふきの葉に隠れて雨露をしのいでいたコロポックルのようだった。
最近では、山頂近くまで道路が整備され、車で楽に行けるようになったので、訪れる人も多くなった。またこの山が関東平野のランドマーク的存在なのか、市内はもとより栃木市や小山市、あるいは埼玉県方面からも、素晴らしい関東平野の展望を見にやってくる。
 一行はあらかじめ下りてくる場所の町谷町に車を一台用意してから、みかも神社のある山頂付近の駐車場に集合した。そこから歩き始めて、下りてからはまたもとの場所まで車で戻るという便利な(安易な?)方法をとった。
 心配された雨は朝のうち上がっているものの、晴れ上がる様子はない。予報によれば午後には雨が降り出すという。
 降られることは覚悟しているが、全行程一時間半か二時間ほどのルートなので、さほど心配はいらないはずだ。
 まず、神社へ向かう。付近の開けた場所には、山菜取りを楽しむひとの姿が見える。時期が少し早いのか量は少ないとか。
 春もたけなわ新緑の木々をくぐりながら山道を行くのは何とも清々しい。これで天気が良ければ申し分ない。少々行くと、ハングライダーのカタパルトが見えて来る。この日も、曇りがちにもかかわらず大勢の人が集まっていた。
 そこを過ぎると、少々の登りとなるがすぐ終る。晴れていれば佐野方面の展望が広がるのだが、今日は靄がかかりよく見えない。
 しかし、山道はよく整備され季節も歩くには絶好だ。夏場になると、下草が生い茂り、進むのもままならなくなる。ここを歩って思うのは、木が多すぎるということではないだろうか。そのために山頂まで行かないと視界が開けない。だからといって軒並み木を切り払い、素晴らしい眺望をというのも時流の波に反するようで頂けない。だったら、山頂に展望台をと考えそうだが、せっかく万葉のロマンにひたりながら、昼なお暗い道を行くのに、いきなり白亜の展望台でも現われたことには、万葉の神秘性もなにもなくなってしまう。やはり今のままというのが一番と思うが…。みかも山の各山道には、コナラの道、万葉の道、クヌギの道などとそれぞれ名前がついているがそのほかにもたくさんの小径があってその数は定かではない。また、今回は取り上げられ
間も短いので人々の記憶にはあ史を誇る溜め池が点在している。あるものは人知れずひっそりと水をたたえており、みかも山の雄姿を巧みに映し出している。
 みかも山の最高峰竜ケ岳(223メートル)が近づいてきた。今までのなだらかな行程もここへ来るとちょっときつくなり、最後の登りとなる。これまではピクニック気分だったが、さすがに息が切れる。
 ほどなく頂上へ。曇り空ではあったがここからの眺望は、標高がある分だけ今までのどの山頂よりも素晴らしい。下から見るとその一角だけはげ山のように見えるほど、回りに視線を遮るものがなく、大パノラマが広がる。
 この後は、一路町谷町のカタクリの里まで下りていく。長い下りと、丸太の階段がだらだらと続く。おまけに雨のためこれがよく滑る。やっとのことで、カタクリの群生地まで下りて来れた。とうにカタクリの季節は終っていたので、人影もまばら。なにごとが起こったかと思わんばかりの、交通渋滞を起こしていた頃が嘘のようなしずけさだった。カタクリの姿の代わりに、可憐な白い花のイチリンソウとニリンソウが競うように咲き誇っていた。この辺一帯は県南大規模公園予定地から外れているが、トウキョウサンショウウオが棲息していたり、四季おりおりに咲く山野草が豊富でこの後もコバギボウシ(6月)キツネノカミソリ(8月)、トリカブト(10月)などが花をつける。
 3月にはアズマイチゲが開花するが、これだけ低地部で開花するのは非常に珍しいということだ。そしてもっと驚くのはこれが『ただの山』の中にあるということだろうと思う。
 それなのに季節はずれで人影もまばらだからだろうか、遊歩道を行くと深く掘り起こした後があった。盗掘されたあとだ。これだけ有名になったにもかかわらず、堂々と持っていってしまうのだから感心してしまう。開発だけという物だけでなく、足元でもこれなのだから、自然を守って行くということは容易ではないと実感させられる。
 出来ばたかりのログハウスまでやってきた。細部まで手の込んだ作りで回りの景観とよくあっている。しかし、調度品、特に椅子とテーブルは早くウッディなものと替えてほしい。
 これで全行程終了。登り始めてから、昼食時間の一時間を入れても3時間ほどだった。
 今まで、佐野市というと面積も狭く、緑もだんだん減ってきてしまい、自然なんてもう残っていないと思ってきたがこうして、『灯台もと暗し』の山を歩って見ると(高速道路の騒音が気になるものの)素晴らしく思う。もっと多くの人に楽しんでもらいたい身近な自然だ。

■みかも山と万葉植物と名前のいわれ。
万葉集にうたわれている植物(樹木、草花)は約一六〇種あると言われているが、1979年発行の「みかも山の植物」によれば、コナラ、カタクリを初め五十八種がみかも山に生息しているという。
 中には、絶滅の危機に瀕しているフジバカマもあるが、最近の資料がないのでその実態は詳しく分からない。名前の『みかも』のいわれについては諸説があるようだ。
 コナラの芽吹く早春の山を形容して、鳥や獣の柔らかい毛を意味する『毳』の字を当てた。三面山といわれるくらい、三方からの眺めが素晴らしいことから、三顔(=みかほ)と呼ばれた。歌枕の「みかもなす(水面に浮ぶカモの意味)」からきた。―といろいろあるようだ。
 確かに、佐野市内から普通に眺める姿もよいが、東北自動車道からの眺めもまた素晴らしい。そして小野寺方面からの眺めも捨て難い。見る場所によって、印象がまるで違う。

■みかも山と歴史ロマン
 みかも山の歴史で揺れているのは、古代のロマン東山道だろう。そして、みかも山の上に『みかもの関』がおかれていたとうのだ。県内でも最近になって南那須で確認されたばかり。その他は実際にどこを通っていたのか実証はない。最近そうしたことをまとめた本が出版されたが、反論も多いようだ。常識で考えても現在言われている東山道が本当とは考えにくい。それは、こうして実際に歩って見るとよく分かると思う。そこで、みかも山山頂になかったらいったいどこにあったのかと想像をかき立てるが、みかもの関を歌った古歌はあるようだが、みかもの関その物は存在していなかった、という人もいる。
 実証が少なすぎるのでなんともいえず。これも、万葉のロマンといえようか。

みかも山の古歌

東路の人にとははや三かもなる関にもはなはくや匂うと源頼政関
越えて初音鳴くなり時鳥三毳の関の明け方の空藤原為家

 だがこの地は大ゴルフ場ができるとか、山をくずして住宅街にするとかの大開発でも起こらないとその素晴らしさに気がつかないものかも知れない。
 今や国立公園でさえも簡単に開発されるという時代になってしまった。だからこそ身近に人々の憩いの場、こころのふるさとがなくてはいけいないと感じる。決して心の中だけに、というのではなく…。