9号1989年1月発行
看板娘・カラム・コラム・・1
Like a 富士山・・・2
タイムスリップ・・・・・・3
特集・食文化について・・・4
若き芸術家の世界・・・・・10
ヒストリー・トリップ・・・14
トピックス・・・・・・・・16
僕の好きなMONO・・・・18
ブックス10・絵本の紹介・・19
インフォメーション・・・・20
アウトドアー・スポーツ・・22
結婚しました・・・・・・・24
美容と健康・・・・・・・・25
協賛店マップ・・・・・・・26
センチュリーランinハワイ・28
サークル紹介・芝居三昧・・30
街角の肖像・・・・・・・・31
こなら通信・会員名簿・・・32
【特集】
食文化について考える
農文協関東支部
係長 香川通男さん
郷土の「食」という観点から、先頃『栃木の食事』という本を出版された農文協の関東支部係長香川道男さんにお話を伺った。
◆初めに栃木県の『食』という点で、特色や他と違っているところは、どういうところですか。
わりと豊かな土地がらで、昔から飢きんもあまりなかった。ただ海がないということで、川魚など川の利用という点が大きかった。鬼怒川と渡良瀬川と那珂川とわりと大きな川がありますが、その流域によって食事の特色も出ています。それと山間と平場と、北と南を分ける里芋文化ですね。
西那須を中心にして、開拓地がわりと多かった。そこに里芋などが植えられたわけですね。あとは葛生の山間などもそうですし、田沼なども戦後の開拓なんですね。米が出来ないものですから、里芋とかそば、仙波そはなどは有名ですよね。
面白いのは栃木県の中でも足利は食生活の面で他と違っているということです。『しもつかれ』を取っても佐野や館林、邑楽郡あたりまでは作るみたいですが足利は作らないんです。体質に合わないというんです。
◆ある足利に住んでいる人は栃木県だとは思っていないと言っていました(笑)。極端な例でしょうけれど。
そうですか、この「栃木の食事」なんかも売れていないみたいで(笑)。佐野とか、栃木と比べて農業人口が少ないせいもあると思いますし、紹介されているものなども、作られていなかったりしてなじみがないみたいですね。書店さんや、農家の人に話しを聞いてみてもそうらしです。
◆話は変わりますが、編集方針といったものをお聞かせ下さい。
私共はもともと農林省の管轄の社団法人で、生産の問題をずっと取り上げてきた訳です。
今、出版の柱というか分野としては『衣・食・農・思』という四つの分野を大きな柱にしてやっています。『思』は思想ということもあるんですが、教育という事を意味しているんですね。農村だとか農家でやってきた自然の問題などを取り上げていくなかで、今一番侵されているもの、矛盾が一番出ているものを追っていっているんです。農業も本来、安いとか高いじゃなくて、その土地で採れたものをどうやってその地域の人が食べるかということが基本にならなければいけないし、教育だって、教育産業じゃなくてやはり自分の子供を育てていくという事だと思うわけです。
◆宮沢賢治の世界みたいですね。
そうですね。だから食べ物も商品化するものじゃなくて、今はもう全部工場化していますが、本来システム化されてはいけないものだと思うんですね。
家庭の味だって、その家々で違っていたし、料理人の方がやる料理とはまた違ったものだった。それが今はもう外食産業だとかそういうものに、侵されている。だから四つの柱でやってきているなかでも特に『食』の問題というのは、健康の方にも衣料の方にもつながっていく重要なものなんです。
それから教育問題のなかでも一番、食べ物というのは歴史だとか地域の事を考える上で大きな柱になるだろうし、自然教育という意味でですね。教育が抱えている問題をみていく場合でも食べ物というのが一つの入り口になっていくんじゃないかと思いますね。
◆学校給食といったことですか。
そうですね、給食だけじゃなくて食べ物がどういうふうに出来ているのだろうか、最近の新聞に出ていましたがニワトリの足が四本だとかってのがありましたね。そういう自分達が食べているものがどういう過程で出来ているのか、もう離れてしまっていて、本だけの勉強になっているような気がします。
また、体験学習というものが広がってきていますよね。文部省の体験学習というものだけじゃなくて地域の人と一体になって学ぶものという事でやっているんですが、そういうことがこれから大切になっていくと思いますね。
◆先ほど話しにでました、『栃木の食事』という本についてお話し願いたいんですが。
大正から昭和初期にかけて、主婦だった方、現在は七十才から八十才くらいですが、その方達を取材し聞き書きという形で当時の食事というものを編集していったものなんですね。普通の本と作りかたが違う点は、ひとりの方が全部書くというのではなくて、編集委員が三年掛かりで掘り起こし、実際に再現しながらやっていくということですね。百名くらいの当時主婦だった方に話を伺いました。
ただ、記憶がしっかりした方でも、けっこう忘れてしまっている事が多いんですね。行事のことなどとか。だから一回聞いたことを整理して、分からない所を再調査する。という事で何回も訪問するんですね。
上河内町を担当されていた高橋さんがこう言っていました。この本に出てくる花塚さんと言う方は湯津上村の村長さんの家のおばあちゃんなんですが、この場合もやはり最初は仲良くならないと、普通の調査みたいなことではなかなか出てこないみたいで、何回か通って、やっと話す気になってもらったという形みたいです。
次世代に残す本という事で、そういう性格のものにしていきたいですね。また、こういう本が読まれて活用され、それこそ学校とか一般の婦人のグループとか、農協の婦人部などの料理コンクールとかがありますよね、そういうようなところで現代的にアレンジして地域地域でそういうものを復活させてくれればと思っています。学校などでも給食などに取り入れたりとか、まあそういう動きはありますよね。給食に郷土料理の日というのがありますけれどもね。
◆それは、その土地の忘れられた物を出すということですか。
やはり地域によってやり方が違うみたいですね。決まった物、例えば有名な『しもつかれ』を出すとか、そういうことを高崎などではわりと良くやっています。PTAでアンケートを取ったり、郷土料理とはどういうものかというところから始めて、給食を通してお母さん方に考えてもらおうという活動ですね。本来はそういうものだと思うんです。 ところが今は親と分離して、親が面倒くさいから学校給食にするみたいなことになっていますが、親自体も子供が給食で何を食べているのかに関心を持って、家庭の食事にも反映していく、そういうものになっていかないといけない。給食は三回のうちの一回ですから、後の二回は家庭なわけですからそこがしっかりしないと、昼だけ一応栄養的によいもの取っても良くならないと思うんですね。
◆栃木の食事料理ブックみたいなものが出来るといいかもしれませんね。
そうですね例えば、ばあちゃんとね、「このドジョウの卵とじというのどう作るの」とか、当時はどうだったとか家族でその話が出たり、はたまたじいちゃんの自慢話がでてきたりとかすれば家族をつなぐようなものになるんです。
今のパック入り食品では、みんな味が同じですから、そこから話はなにも広がらないですよ。 農業問題でも、生産者と消費者の対立関係みたいなことになっていますけれども、本当はそうじゃなくって、やぱり農家も安全ないい物を届けたいと思っているし、消費者もそこは一緒なはずなんです。それが安いとか高いとかという事だけになってきている。
◆これからは『食』というものがどういうふうに変化していくとお考えですか。
今の流れとしても、反省というものがなされてきていると思います。ただ今の食品は手っ取り早いものが多いですから、これをすぐ止めるというような事は難しい。ただ郷土料理そのものへの欲求が強くなってきていますから、これからは伸びていくと思います。一方で外食産業の方も郷土色とか、おふくろの味だとかで作ってきますからね。 同じものは出来てくると思うんすね、郷土料理のパックとかね。それとはべつに、料理人の方が各県の食事を買って勉強します。やっぱり郷土料理も飽きられてきていますから、なんか新しいものを作っていかなければならないし、原点というか庶民の味というかそういった意味で専門家がこの栃木の食事を注目している。料理の良い所と言うのは、農業もそうですけれども、工場の労働というものは決まった物が生産されてくるけれども農業というのは分からないですよね。毎年どうなるか分からないし、自分が手をかけたらかけただけ実ってくる。料理だって出来ないという人はいないけれど下手な人と上手な人とは違うし、また次回作れば違うし、今度はこうやって工夫してみようかとか、そこがやっぱり楽しみだと思うんです。
◆最近は、グルメブームという事ですけれども、味噌とか醤油あるいは豆腐といったものでは、昔ながらの手法で添加物を一切使わいないといったものがうけていますね。
ある程度、年輩になると、自然に体がそういうものを受け付けないようになるんです。インスタント食品みたいなものの類ですね。だけど子供達や若い人達はそういうものにずっと汚染されて来ているから、本当の味というのが分からなくなってきている。
◆みそ汁のだしにしても、『〇〇だし』とか言って、簡単に取れるものだからちゃんとしただしを取らなくなって来ている。
やはり、小さい頃に食べた物というのは基本ですね。ところが今の子供は「これが本物の味だ」と言っても分からないですよね。保育所などでも、食べ物の事を見つめていこうということが出てきていますね。やはり、小さい時の味覚というものを大事にしたいですから。
それから今、子供のアトピーを取りあげていて、単行本も出しました。群馬大の松村先生という方に書いてもらったんですが、これが農文協の六十三年度のベストワンなんですね。年間百点くらい出版するんですが、第一位がそれで、『食品添加物とつきあう法』というのが第二位、『国産小麦でパンを焼く』が第三位なんです。
埼玉で行われた農産品フェステバルで、本の即売会があったんですが二十代から三十代の女性の方は殆どといっていいほど手に取って読んでいました。数字上は分かるんですけれども、実際に反応を見てみるとすごいものだなと、思いました。そういうことで悩んでいる方や、回りにそういった問題をもっている方とかそれぞれですが、潜在的アトピー性皮膚炎の子供は、統計で乳幼児の今四割くらいだということですね。それだけ問題になっているということですね。
あらゆることを使って教育家はそういうことを訴えていかなければいけないと思いますよ。次の国産小麦なども農家を守ることだし、パンにしたって自分の所で焼けるし、日本の小麦がまずいということじゃないんですね。そういうことで、活動してきたものですから、今年の小麦の生産も百万トンを二十年ぶりに突破したんです。
◆国内産小麦が注目されたといことですね。
やはり、やる人も少しづつ出てきていますし、農文協も増収の技術を雑誌などで訴えていこうと思っています。国内で作れるんだということと、やっぱりそれを喜んでくれる消費者もいるんだと言うことを訴えていくということです。
◆グルメブームの火付け役と言われる『美味しんぼ』というコミックが売れていますし、最近ではTVで放映されています。グルメブームの中で『食』というものが注目を集めていると思いますが。
わりと、マンガなんかからしても食べ物の問題というのが一番関心が強い。だけどどこから、どういうふうにしていくかということが分からなかった。そこへ、アトピー性皮膚炎の問題がでてきて身近な問題として若い人が関心を示すようになったということですね。しかも、三十年代からですからね、アトピーというのが出てきたのは。
◆花粉症もそうですね。戦前はなかったし、なんか戦後になって高度経済成長期をむかえておかしくなってきてしまった。
輸入農産物の問題もあるだろうし、食品添加物の問題も大きいだろうし。そういう意味で、栃木の食事は、大正から昭和初期の食事ということなんですね。この時期は昭和の二十年代とも、高度経済成長の三十年代とも違う。自然の中で、地域もそんなに物が流れているという時代じゃないですから、地域で取れた物を使っていたわけです。
そこに原点を見ようということは大事な事だと考えますね。
◆グルメブームも行き着くところは昔ながらの味ということが言えますね。
今日は、どうもありがとうございました。
看板娘・カラム・コラム・・1
Like a 富士山・・・2
タイムスリップ・・・・・・3
特集・食文化について・・・4
若き芸術家の世界・・・・・10
ヒストリー・トリップ・・・14
トピックス・・・・・・・・16
僕の好きなMONO・・・・18
ブックス10・絵本の紹介・・19
インフォメーション・・・・20
アウトドアー・スポーツ・・22
結婚しました・・・・・・・24
美容と健康・・・・・・・・25
協賛店マップ・・・・・・・26
センチュリーランinハワイ・28
サークル紹介・芝居三昧・・30
街角の肖像・・・・・・・・31
こなら通信・会員名簿・・・32
【特集】
食文化について考える
農文協関東支部
係長 香川通男さん
郷土の「食」という観点から、先頃『栃木の食事』という本を出版された農文協の関東支部係長香川道男さんにお話を伺った。
◆初めに栃木県の『食』という点で、特色や他と違っているところは、どういうところですか。
わりと豊かな土地がらで、昔から飢きんもあまりなかった。ただ海がないということで、川魚など川の利用という点が大きかった。鬼怒川と渡良瀬川と那珂川とわりと大きな川がありますが、その流域によって食事の特色も出ています。それと山間と平場と、北と南を分ける里芋文化ですね。
西那須を中心にして、開拓地がわりと多かった。そこに里芋などが植えられたわけですね。あとは葛生の山間などもそうですし、田沼なども戦後の開拓なんですね。米が出来ないものですから、里芋とかそば、仙波そはなどは有名ですよね。
面白いのは栃木県の中でも足利は食生活の面で他と違っているということです。『しもつかれ』を取っても佐野や館林、邑楽郡あたりまでは作るみたいですが足利は作らないんです。体質に合わないというんです。
◆ある足利に住んでいる人は栃木県だとは思っていないと言っていました(笑)。極端な例でしょうけれど。
そうですか、この「栃木の食事」なんかも売れていないみたいで(笑)。佐野とか、栃木と比べて農業人口が少ないせいもあると思いますし、紹介されているものなども、作られていなかったりしてなじみがないみたいですね。書店さんや、農家の人に話しを聞いてみてもそうらしです。
◆話は変わりますが、編集方針といったものをお聞かせ下さい。
私共はもともと農林省の管轄の社団法人で、生産の問題をずっと取り上げてきた訳です。
今、出版の柱というか分野としては『衣・食・農・思』という四つの分野を大きな柱にしてやっています。『思』は思想ということもあるんですが、教育という事を意味しているんですね。農村だとか農家でやってきた自然の問題などを取り上げていくなかで、今一番侵されているもの、矛盾が一番出ているものを追っていっているんです。農業も本来、安いとか高いじゃなくて、その土地で採れたものをどうやってその地域の人が食べるかということが基本にならなければいけないし、教育だって、教育産業じゃなくてやはり自分の子供を育てていくという事だと思うわけです。
◆宮沢賢治の世界みたいですね。
そうですね。だから食べ物も商品化するものじゃなくて、今はもう全部工場化していますが、本来システム化されてはいけないものだと思うんですね。
家庭の味だって、その家々で違っていたし、料理人の方がやる料理とはまた違ったものだった。それが今はもう外食産業だとかそういうものに、侵されている。だから四つの柱でやってきているなかでも特に『食』の問題というのは、健康の方にも衣料の方にもつながっていく重要なものなんです。
それから教育問題のなかでも一番、食べ物というのは歴史だとか地域の事を考える上で大きな柱になるだろうし、自然教育という意味でですね。教育が抱えている問題をみていく場合でも食べ物というのが一つの入り口になっていくんじゃないかと思いますね。
◆学校給食といったことですか。
そうですね、給食だけじゃなくて食べ物がどういうふうに出来ているのだろうか、最近の新聞に出ていましたがニワトリの足が四本だとかってのがありましたね。そういう自分達が食べているものがどういう過程で出来ているのか、もう離れてしまっていて、本だけの勉強になっているような気がします。
また、体験学習というものが広がってきていますよね。文部省の体験学習というものだけじゃなくて地域の人と一体になって学ぶものという事でやっているんですが、そういうことがこれから大切になっていくと思いますね。
◆先ほど話しにでました、『栃木の食事』という本についてお話し願いたいんですが。
大正から昭和初期にかけて、主婦だった方、現在は七十才から八十才くらいですが、その方達を取材し聞き書きという形で当時の食事というものを編集していったものなんですね。普通の本と作りかたが違う点は、ひとりの方が全部書くというのではなくて、編集委員が三年掛かりで掘り起こし、実際に再現しながらやっていくということですね。百名くらいの当時主婦だった方に話を伺いました。
ただ、記憶がしっかりした方でも、けっこう忘れてしまっている事が多いんですね。行事のことなどとか。だから一回聞いたことを整理して、分からない所を再調査する。という事で何回も訪問するんですね。
上河内町を担当されていた高橋さんがこう言っていました。この本に出てくる花塚さんと言う方は湯津上村の村長さんの家のおばあちゃんなんですが、この場合もやはり最初は仲良くならないと、普通の調査みたいなことではなかなか出てこないみたいで、何回か通って、やっと話す気になってもらったという形みたいです。
次世代に残す本という事で、そういう性格のものにしていきたいですね。また、こういう本が読まれて活用され、それこそ学校とか一般の婦人のグループとか、農協の婦人部などの料理コンクールとかがありますよね、そういうようなところで現代的にアレンジして地域地域でそういうものを復活させてくれればと思っています。学校などでも給食などに取り入れたりとか、まあそういう動きはありますよね。給食に郷土料理の日というのがありますけれどもね。
◆それは、その土地の忘れられた物を出すということですか。
やはり地域によってやり方が違うみたいですね。決まった物、例えば有名な『しもつかれ』を出すとか、そういうことを高崎などではわりと良くやっています。PTAでアンケートを取ったり、郷土料理とはどういうものかというところから始めて、給食を通してお母さん方に考えてもらおうという活動ですね。本来はそういうものだと思うんです。 ところが今は親と分離して、親が面倒くさいから学校給食にするみたいなことになっていますが、親自体も子供が給食で何を食べているのかに関心を持って、家庭の食事にも反映していく、そういうものになっていかないといけない。給食は三回のうちの一回ですから、後の二回は家庭なわけですからそこがしっかりしないと、昼だけ一応栄養的によいもの取っても良くならないと思うんですね。
◆栃木の食事料理ブックみたいなものが出来るといいかもしれませんね。
そうですね例えば、ばあちゃんとね、「このドジョウの卵とじというのどう作るの」とか、当時はどうだったとか家族でその話が出たり、はたまたじいちゃんの自慢話がでてきたりとかすれば家族をつなぐようなものになるんです。
今のパック入り食品では、みんな味が同じですから、そこから話はなにも広がらないですよ。 農業問題でも、生産者と消費者の対立関係みたいなことになっていますけれども、本当はそうじゃなくって、やぱり農家も安全ないい物を届けたいと思っているし、消費者もそこは一緒なはずなんです。それが安いとか高いとかという事だけになってきている。
◆これからは『食』というものがどういうふうに変化していくとお考えですか。
今の流れとしても、反省というものがなされてきていると思います。ただ今の食品は手っ取り早いものが多いですから、これをすぐ止めるというような事は難しい。ただ郷土料理そのものへの欲求が強くなってきていますから、これからは伸びていくと思います。一方で外食産業の方も郷土色とか、おふくろの味だとかで作ってきますからね。 同じものは出来てくると思うんすね、郷土料理のパックとかね。それとはべつに、料理人の方が各県の食事を買って勉強します。やっぱり郷土料理も飽きられてきていますから、なんか新しいものを作っていかなければならないし、原点というか庶民の味というかそういった意味で専門家がこの栃木の食事を注目している。料理の良い所と言うのは、農業もそうですけれども、工場の労働というものは決まった物が生産されてくるけれども農業というのは分からないですよね。毎年どうなるか分からないし、自分が手をかけたらかけただけ実ってくる。料理だって出来ないという人はいないけれど下手な人と上手な人とは違うし、また次回作れば違うし、今度はこうやって工夫してみようかとか、そこがやっぱり楽しみだと思うんです。
◆最近は、グルメブームという事ですけれども、味噌とか醤油あるいは豆腐といったものでは、昔ながらの手法で添加物を一切使わいないといったものがうけていますね。
ある程度、年輩になると、自然に体がそういうものを受け付けないようになるんです。インスタント食品みたいなものの類ですね。だけど子供達や若い人達はそういうものにずっと汚染されて来ているから、本当の味というのが分からなくなってきている。
◆みそ汁のだしにしても、『〇〇だし』とか言って、簡単に取れるものだからちゃんとしただしを取らなくなって来ている。
やはり、小さい頃に食べた物というのは基本ですね。ところが今の子供は「これが本物の味だ」と言っても分からないですよね。保育所などでも、食べ物の事を見つめていこうということが出てきていますね。やはり、小さい時の味覚というものを大事にしたいですから。
それから今、子供のアトピーを取りあげていて、単行本も出しました。群馬大の松村先生という方に書いてもらったんですが、これが農文協の六十三年度のベストワンなんですね。年間百点くらい出版するんですが、第一位がそれで、『食品添加物とつきあう法』というのが第二位、『国産小麦でパンを焼く』が第三位なんです。
埼玉で行われた農産品フェステバルで、本の即売会があったんですが二十代から三十代の女性の方は殆どといっていいほど手に取って読んでいました。数字上は分かるんですけれども、実際に反応を見てみるとすごいものだなと、思いました。そういうことで悩んでいる方や、回りにそういった問題をもっている方とかそれぞれですが、潜在的アトピー性皮膚炎の子供は、統計で乳幼児の今四割くらいだということですね。それだけ問題になっているということですね。
あらゆることを使って教育家はそういうことを訴えていかなければいけないと思いますよ。次の国産小麦なども農家を守ることだし、パンにしたって自分の所で焼けるし、日本の小麦がまずいということじゃないんですね。そういうことで、活動してきたものですから、今年の小麦の生産も百万トンを二十年ぶりに突破したんです。
◆国内産小麦が注目されたといことですね。
やはり、やる人も少しづつ出てきていますし、農文協も増収の技術を雑誌などで訴えていこうと思っています。国内で作れるんだということと、やっぱりそれを喜んでくれる消費者もいるんだと言うことを訴えていくということです。
◆グルメブームの火付け役と言われる『美味しんぼ』というコミックが売れていますし、最近ではTVで放映されています。グルメブームの中で『食』というものが注目を集めていると思いますが。
わりと、マンガなんかからしても食べ物の問題というのが一番関心が強い。だけどどこから、どういうふうにしていくかということが分からなかった。そこへ、アトピー性皮膚炎の問題がでてきて身近な問題として若い人が関心を示すようになったということですね。しかも、三十年代からですからね、アトピーというのが出てきたのは。
◆花粉症もそうですね。戦前はなかったし、なんか戦後になって高度経済成長期をむかえておかしくなってきてしまった。
輸入農産物の問題もあるだろうし、食品添加物の問題も大きいだろうし。そういう意味で、栃木の食事は、大正から昭和初期の食事ということなんですね。この時期は昭和の二十年代とも、高度経済成長の三十年代とも違う。自然の中で、地域もそんなに物が流れているという時代じゃないですから、地域で取れた物を使っていたわけです。
そこに原点を見ようということは大事な事だと考えますね。
◆グルメブームも行き着くところは昔ながらの味ということが言えますね。
今日は、どうもありがとうございました。