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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森 29号

2008-03-28 | 創刊~100号
     29号 1990.9.1発行


2p…看板娘
3p…としこの童謡詩
4p…結婚しました
5p~14p…特集 ■関東の柳川
15~18p…つれづれインタビュー尾花好信さん
19p…からむコラム
19~22p…トピックス
23p…モーター
24p…佐知倶楽部
25p…本/絵本紹
26p…コーヒータイム/ベスト10
27p…美容と健康/街角
28-32p…協賛店名/情報
33p…子育て編集日記

【本文抜粋記事】

つれづれインタビュー

尾花好信さん

■最近自主出版された本の題名が『教養としての経済』と言うことですが、ここで言う経済というのは具体的にどういうことですか。
社会現象の中心は経済にあります。別にマルキストになって政治や文化が経済の上部構造にあるとか、そういう事を言いたいのではないんです。我々の日常生活というのは、だいたい崇高な事を言ったりしていても毎日飯を食べなければいけないし現実というものがベースにある訳ですね。ですから一番大きな現実問題は経済なんです。政治問題と言うのは、核の問題であるとか、全然我々の届かない部分というものを含んでいる訳です。
■本の題名の中に『経済』という文字があると、それだけで経済論かな?と思われてしまうほど、経済というのは固いイメージですね。
学問と言うのは全て、社会の健全な発展のために役割を担う手段なんですね。ところが、今日では手段が目的になってしまった。学問至上主義と言うか、学者が研究室の中に閉じこもって悦に入っており、世の中の変化について無頓着で大衆の意見を聞こうとしない。ですから、そういう弊害というものを逆に手元に引き寄せて、台所経済学というか、お茶の間経済学にしなくてはいけないんです。
 経済という言葉は、『経国済民』という中国の古典・文中子から出た言葉です。意味は、国を治め民を救うという事です。
 ですから『経済』と『エコノミックス』というのは違うんです。エコノミックスというのは節約という事から始まっている。ものがある段階からそれをどのようにしようかという事が西欧人の考え方なんです。
 それから、こんな教室で有頂天になっていたって海外へ行ったり、外国の人を受け入れた時に、何の約にも立たない事に気が付く訳です。それでもっと勉強しようと思うんですね。
 日本に働きに来ている外国の人達が道に迷った時に、あれだけ英語を習ってきたんだから「何か困った事あるんですか。お手伝いしましょうか。」という言葉が道端ですぐ出てくればその人は素晴らしい外交官なわけです。ですが勇気の面もあるだろうけれど、なかなか出来ない。
 また「ジャスコどこですか?」と聞かれるのよりも「ス、スイマセン。じゃ、じゃすこ、ド・コ・デ・ス・カ?」というふうに聞かれるほうがいいし、「分かったよ、俺は仕事中だけれども、乗れよ。連れてってやるから。」という気持ちに自然となるでしょう。そういうふうに、本来人間は優しいところがあるんです。ですから、ただ英語をしゃべれるというのでは無くて、世界を知るという事が大事ですね。そして自分自身を知る。ですから、英語がべらべらになったところで相手に気にいられなかったり、相手を馬鹿にしたりすれば、それは英語はしゃべれるけれども英語の真の理解者ではないんですね。
 それは流暢に『l』と『r』の区別をつけてもらいたいとも思うけれど、それ以前になんで英語を勉強するのかという事をいつも理解して欲しいですね。
 高校生くらいですとちょっと考え方が飛躍します。留学したいとか思うんですね。なんだか英語を使うとそれが職業になってしまう。そして自分で夢を描いてしまう。外国人とべらべらしゃべって「ハーイ、ミチコ」なんていわれて喜んじゃう。だけれどもその夢の中には、黒人も東南アジアの人も出てこないんです。つまり、金髪コンプレックスがある訳です。
■AETなんかもそうですね。
国際化とか、英語を話すとかいうのは、弱い側に立てるか、困っている人の側に立てるかという事です。そういう考えを持っていないと人間としての薄さを感じてしまう。利害を持たないで助けようという気持ちになっていくという事が英語を勉強したり学問というもの勉強する人間の第一段階です。
■副題の共生社会というのはどういう事でしょうか。
共生というのは、環境と人間という意味なんです。例えば人間は生きていますね。生物というのはみんな生きています。我々は、生命を維持するために酸素を吸って二炭化炭素を出しています。その二炭化炭素を植物が吸って、光合成によって又酸素が我々にもたらされる。つまり、人間と植物というものは、共生している訳なんです。
 それからライオンは絶対駆け足の速いシマウマを追わない。一番遅いから捕まえられたのではなくて、遅いシマウマを狙っているんですね。つまり速いのをやってしまうと種が途絶えてしまい、自分の餌がなくなってしまうという事を本能的に分かっているからなんです。
 ところが、人間だけはそういう事を癖として忘れてしまっている。ものすごい勢いで、植物が吸収出来ないような量の二炭化炭素を出している訳です。それが大気圏を汚しはじめて、酸性雨であるとか、大気汚染を引き起こしている訳ですね。
 人間が増えた分だけ植物が増えればいい訳なんですが、増えた分だけ家が建ち、木が切られる訳です。それは人間生活にとって悪い訳ではないんですね。家族を持って家を構えるという事は立派な行為です。しかし、それが地球全体になってしまうと罪悪感が出て来る。
 個人としては良い事をしていても社会全体からすれば悪になってくるんです。その行き着くところをどう回避していくのかやはりそれは人間の側にあると思うんですね。
 今回の本でもそうですが、僕は学歴は書かないんです。嫌いなんですね。一般の本だと、どこの何科の卒業というふうに書きますね。ですが、それはいったいなんなんだろう、と。多分読む方も、こういう人が書いたんだからきっと立派な内容なんだろうと…。
■先入観がありますからね。
学歴というもので嫌な思いをする人もいると思うんです。高校や大学へ行きたかったけれども家庭の事情でいけなかった人は、学生以上に努力をしているけれども自分ではどうしようもない事によって学校へ行けなかったと、悔しい思いをしている人も中にはいる訳です。そういう人がいる時に、俺はこういう大学を出てこういう事をやったというが、それはあなたに暇と経済的な余裕があったからですよ。
 だいたい経済とか経営といっても実際に企業を経営しないと経営論というのは分からないんですね。例えばこうすれば儲かるといっても、そうはならないですよ。
 人間関係の中で、企業というのは成り立っている訳だから、一次方程式の解の様にχは2だと、答えが出て来るんだったら努力なんてしないですよ。
 そういうものじゃないという事を経験から知っているから、人と合って勉強しようとか、人の意見を聞こうとか思う訳です。
 なぜ私が教養という文字をつけて本を出したかというと二十一世紀というのは教養人が活躍する時代なんですね。十八世紀は身分が活躍したんです。十九世紀、二十世紀に来て産業人が活躍するようになって来た。
 その時は世界全体がインフレの中にあるから経営の資質が上がれば売上を伸ばし資本を大きくする事ができた。ところが、二十世紀後半に入って非常な勢いで認識が、多様化してしまっている。つまり考え方というのが『ミーイズム』になっている訳ですね。(アイ、マイミーのミーですが)いろんな構造様式が自分の中に入って来てしまっている訳ですね。そうすると商品だって売れなくなる訳です。
 今までは、大規模生産大規模消費だった訳ですね。つまり、我々の世代はジーパンが流行ればみんなジーパンを履くんですよ。ワンポイントが流行ると、みんなそう。これは何故かというと二十世紀の特徴だからなんです。つまり無い時代から、ある時代へ移っていく時というのは自分がそこから落ちこぼれたく無いという気持ちがある訳です。みんなの中で一人だけ外されるとものすごく淋しい。ですから、とにかくみんなと一緒にいたい訳ですね。
■団塊の世代ですね。
そうですね。これをガルブレイス教授の言葉でいえば依存効果というんだそうです。他人に依存する事によって自分を慰めている。ところが現在は、一応世界の先進国といわれている国が、衣食住たりて普段の生活に困らない訳ですね。そうするとさっきの依存効果というのが崩れてしまって、他人と違う自分になりたい、その他人と違う自分でありたいというのはものすごくバラバラな各行動というのを起こして来る訳です。けれども人がみんなすき勝手な行動をして行けば地域社会だとか、あるいは国家というものは、バラバラになっていく。それが、環境問題だとか、公害問題として大きくクローズアップされて来た訳です。つまり、地域の川やあるいは大気や、そこに住む勤労者を含めて企業が自分の利益の追求のために好き勝手な事をやってきた。だから、神からの報い、裁きがあった訳ですね。
 それが、この何十年かで地球全体という規模になって来た訳です。
 これから我々は二十一世紀をどうしても生きなければいけない。あるいは自分の子供が二十一世紀に生きる。その彼等が幸せになって欲しいとか、この緑豊かな地球が未来永遠にに緑を提供してくれる社会を造ろうとか、そういう事を思うとどうしても自分自身の教養度を高めないといけないんではないだろうかと考える訳です。それは他人に対していっていても、結局は自分に対しての問いかけなんですね。
 教養というのは、学歴でも無いし、物知りでも無い。
 確かに知識は必要な事です。ですが、それをたいそうな事だ思っている人は無教養ですね。
 良くいますが、僕はどこどこの大学を出ました。僕の親戚にはこういう人がいます。笑われますけれどもね。確かにそういう親戚がいるんだろうけれども、あなたはどうなんですか。
 やはり、自分というものが大切なんですね。自分がどれだけ教養があるかという事は、人に対する思いやりがどれだけあるかどうかと言う事です。この思いやりが二十一世紀に活躍する人間の必要不可欠なものになると思いますね。





こならの森 28号

2008-03-28 | 創刊~100号
     28号 1990.8.1発行

表紙「三毳山からみる高速夜景」

2p…看板娘
3p…としこの巻頭詩 ほおずき
4p…結婚 茂呂さん夫妻
5p~18p…特集・田沼葛生がおもしろい
19-22p…情報
21p…カラムコラムOCR
23-24p…アウトドアースポーツOCR
25p…本/絵本OCR
26p…本10コーヒータイムOCR
27p…美と健康/街角OCR
28~32p…協賛/地図/情報
33p…子育て


【本文抜粋記事】


【絵本紹介】
「ブタブタくんのおかいもの」
土万久功 さく/え
 「ぶたぶた ぶたぶた」とひとりごとを言うくせがあるので、みんなからぶたぶたくんと呼ばれているこぶたくんのお話。
 おかあさんからおかいものをたのまれてぶたぶたくんのおでかけです。ぱんやのにこにこおじさん、はやくちおねえさん、おかしやのゆっくりおばさん、そしておともだちのかおこちゃんとこぐまくん…それぞれの個性を生かしたことばのやりとり、くりかえしが楽しい作品です。元気に張り切ってはじめてのおかいものを楽しんでいるようですが、やっぱりちょっぴり不安で…と言う子供の心理ものぞかせています。 素朴なさし絵も親しみやすく、最近おとな向けの絵本(?)が多い中で、本当に子どもの楽しめる絵本の一つではないかと思います。
 文・絵本仲間コロポックルT




こならの森 27号

2008-03-28 | 創刊~100号

       27号1990.7発行

表紙 斎藤内科より中央通りあじさいをみる

2p…看板娘
3p…いただきます/カラムコラム
4p…結婚しました
5p…足尾鉱毒事件から原発を考えるー西尾勝さん=
6-8p…情報
9-20p…あなたのまちのウソホント?
21p…美容/芝居三昧OCR
22p…街角の肖像/コーヒータイム
23p…アウトドアースポーツ
24p…危険な道路をぶっとばせ
25p…本紹介/絵本
26p…本ベスト10
27p…佐知倶楽部
28-32p…情報/協賛店名
33p…子育て


【本文抜粋記事】

編集長の子育て編集日記

 ふるさと創生始末記という記事がある雑誌に載っていた。
 どんなものが出来たとかいう事よりも、何を考え、市民性はどう上がったのかその過程を大きく評価したい。変なものをつくってしまえば永久に笑い種になる。一億ではなにも出来ないという事は分かっているが、全国の例を見ていくと、それぞれ個性というものを感じる。日本もなかなか面白いものだと思う。しかし、三千あまりある市町村の発想はほとんどが安易で似たり寄ったり。あまりにも情けない状態だ。
 さて、我が家ではつい最近、清水の舞台から飛び降りたつもりで五段がさねの積み木を買った(二か月分の保育料が飛んでしまった)。積み木といいながらプラスチックだったりする昨今のものと違って、全てが木。それも受注生産。待てど暮せどやってこなかった代物だった。だから、来た時のうれしさは、3分で飽きてしまったヒロの比ではない。一見高い買い物のようにも思えるが、孫子の代まで半永久的に使える事を思えば、安い買い物。使い込むほどに、木そのものの味がにじみ出る。自然のものというのは本来そういうものだろう。こっちの方は一億円より『当分』楽しめるようだ。