■ ■■■■■ ■ 日刊 こならの森 ■ ■■■■■ ■

* * * *  *  * * * *
東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森 14号

2008-03-20 | 創刊~100号

     ●14号1989.6.1発行

表紙「葛生の花火=アップ」

■目        次■
看板娘・カラム・コラム……2
特集ザ・お見合い……………3
マン&ウーマン・トピックス11
つれづれインタビュー………13
ヒストリー・ウォッチング…17
結婚しました…………………21
佐青協のページ………………22
アウトドアー・スポーツ……23
インホメーション……………25
絵本紹介・BOOKS………27
美容と健康……………………28
センチュリーラン……………29
コーヒータイム………………30
サークル紹介・街角の肖像…31
エッセイ・おぞねとしこ……32
芝居三昧……33p編集日記
購読会員名簿


【本文抜粋記事】

モータースポーツ番外 23p

●編集長の体験記

そもそものはじまり
 創刊1周年号の取材中に、ポロッと、「私もバイク・レースに出た事があるんですよ。」と言ってしまた。それを、受けたゴミブチコンペテションの社長、五味淵さんは、それじゃバイク・レース理解と普及の為にも、ミニ・バイクレースに出場して、体験したらいいですよ、いい記事がかけますよ、と言われた。そう言われると、すぐのってしまうたちなので、参加する事にしてしまった。
 さーて、それからが大変。帰宅してからその事を、奥方に申すと、彼女は自分の大きなおなかを指さした。
 何を言おうとするのかすぐ分かった。「もしもの事があったら、この子はどうするの」そんな、滅相もない。「ただのレジャーですよ、レジャー」という五味淵さんの軽い言葉が頭を過ぎた。

逃げた、編集者
 やがて、約束の日曜日が迫ってくる。だが、運良く違った、運悪く締め切り日が迫った二十三日の日曜日だ。この日までにかたをつけて『日曜はレジャー』というつもりだったが、いつものことで編集がうまくいかない。そればかりか、取材の予定も入る(無理やりいれた?)ということで、断る理由ができたのだった。そう思うとうれしくなって早速その旨電話を入れた。
 だが、今にしてみれば、いわなけば良かったと後悔するのだが、怖じけづいたと思われては記者の恥と、「逃げるわけではありません。今度は、必ず……」
一難去ってまた一難
 その後は編集最後の修羅場に突入したので、すっかり忘れてしまっていた。連休も過ぎたある日、ゴミブチさんちの風間さんから電話が入ったのだった。 急だったので、心の準備も出来ないまま、すいこまれるようにOKしてしまった。

そして、当日
 忘れもしない、五月二十一日。この日は、梶原一豊さんの葬儀の日でもある。前回断っていなけれは、良かったと思ったがすでにエントリーもしているし、いかしかたない。
 朝から、落ち着かない天気だった。五年ぶりにバイクを運転する不安をよそに、練習走行へと出ていった。「アクセルを戻すのは二か所だけだよ」とこれまた、軽いアドバイス。何周か回るうちに、とにかく無事に終わってくれさえすれば……と弱気になっていった。
 狭いコーナーに何台ものバイクが同時に突っ込んでくる。ボヤボヤしていられない。ちょと違えはコースアウトだ。
 それにしても、著者の不安など関係なく、若い者たちの熱気で一杯だ。目を輝かせている。十代の青年も中年のおじさんも、応援するキャピキャピギャルも子供連れの親子の顔も見える。 しかし、暴走族に代表されるスネた若者の姿はそこにはない。 そんな、事を考えながらも、いよいよ本番スタートの時間。参加したレースというのは、一台のバイクを二人のライダーが交替で一時間走る耐久だ。
 スタートは、風間さんが運転その後、交替することになる。 しばらくして、合図をしながら風間さんが、ピットに入ってきた。交替だ。とにかく何も頭に入らなかった。ボーっと第一コーナーを抜けた後は、無心にハンドルにしがみついていた。
つづく



こならの森 13号

2008-03-20 | 創刊~100号
       ●13号 1989.2.1発行

■目        次■

カラム・コラム………2p
著者紹介………………3p_6p
トピックス………………7p
看板娘コンテスト……9-10p
■田中正造番外編…11p~14p
若き芸術家の世界…15p~16p
スターウオッング…………17p
ぐるめーる…………………18p
協賛店マップ…………19-20p
結婚しました。……………21p
美容と健康…………………22p
モータースポーツ………23p
危険な道路をぶっとばせ…23p
アウトドアー………24p
協賛店マップ…………25-26p
絵本紹介…………27p
ブックス10・海外旅行入門…27p
エッセイ・おぞねとしこ……28p
センチュリーラン………29-30p
コーヒータイム………………30p
サークル紹介・31p
街角の肖像昧…………31p+32p
僕の好きなMONO…32p
芝居三昧……32p
編集日記・購読会員名簿……33p

【本文抜粋記事】

■田中正造番外編 

●今回は、生家を中心に紹介したいと思う。

@生家墓地
田中正造1913年(大正2年)七十三才で死去。
カツ夫人1936年(昭和11年)八十八才で死去のあと合葬。

@浄蓮寺
 田中家の菩提寺。本堂は格調高い優れた建築だったというが最近に再建された。

@人丸神社
 学業成就、交通安全祈願は霊験あらたか。梅原猛夫妻も参拝したとある。
 正造が、江刺県(現在の岩手県)で獄中にあったとき、カツ夫人が夫の安泰を願掛けしたという。

@堀米地蔵堂
二十九才(明治2年)の時六角家騒動により、小中村を一家追放され手習塾を開く。
 正造は当時を振り返って「正に是人生無量の楽しみ、予がひっせいの生活中この時の如き興味多きは、あらざるべし」と述懐している。また、佐野町万座での講演会のあと木下尚江らが正造にねだって生家へ向かう途中、ここに立ち寄り榎の大木を見上げて「手習師匠の頃は、子供の手ほどであったのだが」とひとりごとをつぶやきながら懐かしんだそうである。現在はは菊川町公民館となっているが、地蔵堂と榎は当時の面影を残している。

@惣宗寺
田中正造自由民権運動の時代の本拠地。死後は本葬が行われた。 同寺には、石川啄木が当時盛岡中学三年在学中だったとき、正造の直訴の感動を三十一文字に託した、
「夕川に葦は枯れたり
血にまとう民の叫びの
など悲しきや」の碑がある。




こならの森 12号

2008-03-20 | 創刊~100号
     12号1989.2.1発行

表紙「ミに見える雲の写真」

●目          次●
看板娘・カラムコラム………1
トピックス…渡辺早苗さん…2
【特集】バイリン・ガールその2…6-9p
ヒストリー・トリップ………10-13p
インタビュー…藤波一博……14-16p
美容と健康・ストレッチング17p
サークル紹介・海外旅行入門18
ブックス・テン絵本の紹介…19
インホメーション……………20-21p
危険な道路をぶっとばせ……22p
モータースポーツ……………22
アウトドアー…………………23
僕の好きなMONO
…………スイング・トップ…24p
タイムスリップ………………25p
協賛店マップ…………………26-27p
結婚しました…………………28
街角の肖像・芝居三昧…11…29
センチュリーラン・コーヒー30-31p
こなら通信・購読者名簿……32


【本文抜粋記事】

●危険な道路をぶっとばぜ!  パート2

背後から狙われている

《ブッ飛ばしたい、ルールを守りたくない》これは自分勝手な人の心理である。しかしこう述べてから驚いたことは、なな、なんと、これは自分のことではないかということだ。まったく笑い草ではあるがこのことが正解だ《誰もルールを守らない危険な中を走っている》という現実のあかしではないだろうか。 だが、そのお陰で私は回りの車のやりたいことが判るのだという気がする。他人の自分勝手を読みとる。容易ではないが常にこれを把握するのだ。ブッ飛んでくる車やバイクは必ず背後に現れる。ルームミラーは欠かせない。本当頻繁に見ていたいものである。もしそうした車が現れたらできるだけはるか後方にいるうちに確認しておきたい。走りっぷりでその人の性格が読み取れる。アッという間に飛んできて接近するようであれば左に合図をすることもよい方法である。するとすごい勢いでグオッという音と共に私を追い越していなくなってしまうのだ。私はただ「さよなら頑張ってネ」と手を振るだけ。合図というものは素晴らしい。上手に使えば危険な車をシャボン玉を割るようにものの見事に消してくれるのだ。車の合図は基本はここにある。 車のトラブルは思いのほか後続車が関係しているものが多い。ブレーキにしても基本的には前でなく後ろが危ないのだ。ピタリ追従してくるたちの悪い後続車を腹を立てさせることなくフワッと止めさせるのである。さりげなくミラーに目をやり《柳に風》の如く。そして後続車が自分でうまいと満足すれば大成功。車間距離とはそのために多く必要なのである。特に前方が危険なときというのが落とし穴。前方の危険に目を奪われたときあなたは、背後から狙われているのかも知れない。  つづく