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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森 7号

2008-03-15 | 創刊~100号
     1988年 11月発行

C O N T E N T S
1p  看板娘/目 次 
2-5p [特集]それぞれの秋………
8p  タウン・スナップ/人物紹介
12p つれづれインタビュー
14p モータースポーツ
16p タイムスリップ
20P 結婚しました 
22p タウンウオッチング
24p 僕の好きなMONO
26p 「センチュリー・ラン」
28p 情報コーナー


本文抜粋記事

つれづれインタビュー
「シルクロードをゆく」米田 司さん


◆シルクロード以外にもたくさん旅行されたそうですが、初めてに海外へ行かれたのはいつ頃ですか?
◎最初が二十八才の時で、三か月間でした。二十三年前ですか立教大学のコーカサス遠征があったんですね山登りの。僕は旅行も好きでしたが、山岳部でしたしからなにより山が一番好きなんですね。
◆どれくらいの日数だったんですか。
◎三か月くらいで人数は八人くらいでした。それで、その時に、テルブースという山があったんです。黒海とカスピ海にはさまれた山脈の中なんです。それで山登りが終わって帰りに天津山脈に寄ったんですね。天津山脈にアルマータとかフルンデとかがあるんですが、それを旅行したのが一番最初なんですよ。
◆二回目の時は。
◎その翌年に二十五日間くらいでしたが、今度はエルミタージュとかレニグラードを回ったんです。ソビエトを半周くらいしました。もうレニグラードは、最高に奇麗な街ですよね。
 それで、帰ってくると一週間して、アメリカへ行ったんですよ。その時はおもしろかったですよ、社会主義の国から、すぐに自由主義の国へいったわけですから。いろいろ見方が変わって良かったです。
◆パスポートとか、ビザ等や共産圏に入る事の制約というのはどうでしたか。
◎最近は緩くなったけれど、その頃は(今でもそうなんですけれど)日ソ・ツーリスト・ビューローというのがあって、ようするにソビエトの代理店で、そこへ申し込むわけですよ、自分のスケジュールを言うわけですね。
 中国も同じで、それを本国に送って向こうから許可が下りるんですね。そうすると行って良いことになるんですよ。
 その後、個人でも行けるようになったので、息子達とかひとりで行くようになりました。  三年前くらい前にダイリという街へ行ったんですよ。マルコポーロ東方見聞録を読んで、そこに出てくるダイリという街へ行って見たいと思ったんです。 そのあとレイコウという街へ行きたかったんです。楊子江のほとりにキンシャコウという街があるんですよ、そしてそこへ行くとギョクリュウセツザンという六千メートルの山があるんですよ。僕はその山が見たいわけですよ、そこで交渉するんですが、そこまでビザをとっていなかったのでいくら言っても駄目だったですね。
 最初、シャンハイからコウシュウへ行って、コンメイへ行ったですね。それで、ガイドと運転手を雇って三人で行ったわけですね。約六百キロあるんですよ。途中、途中休みながら行くと、そこで青年商店というのがあるんですね。いっぱいあるんです。それで青年商店というのは何かと思って入って行くと、なんて事はない普通の商店なんですよ。ガイドに聞いたんですね。そうしたら、待業青年がやっている商店だっていうんですね。
 聞いたことありますか。
待業というのは仕事を待つということで、ようするに仕事がないやつだというんですね。おやじさんから金貰ってそれを持ち寄って、ペキンとかシャンハイから物を仕入れてそれを売っているんだというんですね。「これじゃ、資本主義とまったく同じじゃないか」というと、そうじゃないというんですね。そういう連中は職がないから待っているわけですけれど、食わなけりゃならないからやっているわけなんですよ。
 「就職はどうするんだ」と言うと・・・たとえば、堀米町から何人、若松町から何人というぐわいで割り振りが来て、試験やるんですね。それで、受かれば採用される。
 「いつも試験に落ちる奴はどうするんだ」というと、ドブ掃除とか、セメントの袋折りとかそういうのにしかならないというんですね。
 「そんな馬鹿な話ないんじゃないか」と言ったら「努力していないからしょうがない」というんですね。
このあいだの映画、敦煌じゃないけれど昔から試験制度が発達していますからね。そういうふうになっているんです。
 そこにいた彼は、夜になると独学のすすめなんて本を読んでいるわなんですよ。そして、日本の案内文を書いているんですね。それを約して書くわけなんですけれど、間違ってたら直してくれなんて私の所へくるわけなんですね。ものすごい、勉強家でね。
 あとで、待業青年の話をシャンハイで聞いたら五十万とも百万ともいうんですね。それも、シャンハイ地区だけなのかはっきり聞かなかったですけれど。あまり、良い顔で教えてくれなかったですね。
◆一番印象に残る街とかは?
◎やっぱり自分で一番初めに入ってた国が一番好きですよ。たいがいそういう風に言うんじゃないんですか。ソビエトなんか堅い国だと思うじゃないですか、それが、まったく明るいんですよね。音楽とか、そういった文化がね。あと、キムチなんかもありますね。向こうのキムチは甘かったですがね。それから《うどん》。中国が発祥地でしょう。けっこういろんなものがあるんですね。
 コーカサスなんかもどこでも同じでしょう都会を見る分には、例えば、ペキンだってシャンハイだって・・・。都会見たんじゃおもしろくないですよ。田舎ですよねやっぱり。特に、パキスタンとか、インドの北とかへ行くとそこの人は、彼らなりに生きていて、また僕たちの文明とかいうのを拒否しているようにみえますよ。ただ、そこに万年筆が入った、ライターが入った、車が入ったというよう話であってやっていることは(昔と)同じでしょう。見かたが個人個人で差がありますけれども・・・。
資本主義の社会だとどうしても儲かると思えば、道路を作って入れるとかしますね。
◆後の事など考えずに、とにかく通せば便利というぐわいですね。
◎ええ、そういう意味でかなりインドなどは変わって来ていますよね。これからも、中国などは、シルクロードへたくさん人が行くようになると変わるんじゃないかと思いますよ。一番心配しているのは敦煌です。あまりに人が入るんで、壁画などがそうとう傷むんじゃないんですかね。だから、話によるとこれからはレプリカを作ってそれを見せるようですね。作家の井上靖が一番奇麗だと言った菩薩など、見せないんですね。だから僕らはガイドにチップはずんで、中は暗いですから懐中電灯で(みんな明るくして見るんじゃないです)見たんです。みんなそれで見るんです。それも、朝が一番がいいっていうんですよ。扉が締まっているでしょう、そうして日が差しますね、それで見る壁画とか、仏像が一番いいんだっていうんです。僕らは朝早く行ったんですが、分からなかったですね。
 とにかく敦煌は圧巻です。
◆シルクロード中では最高ですか?
◎ええ、すごいですよ。本で読んだり写真で見たり、テレビで放映したりしましたが、行ってみたらさすがと思いました。あとは、たいしたことないですよ。 佐野でも、ユネスコ主催でシルクロード展をやるそうですが期待します。うまくいけばいいですね。 
 次回につづく