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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森 21号

2008-03-23 | 創刊~100号

     21号 1990.1.1発行

表紙 三毳山より富士山夜景

●目    次●
2p…新年挨拶
3p…看板娘=
3p…カラムコラム
3-5p…トピックス
6p…マン&ウーマン
7p-10p…90年に一言
11-18p…新春スペシャルインタビュー
19-20p…協賛店名
22p…美容と健康
22p…街
23p…モーター
24p…危険な
25-26p情報
27p…本10/絵本
28p…佐知倶楽部
29-30p…センチュリーラン
31p…お見合いデー
32p…第8回 おそねとしこ
32p…■芝居三昧
33p…編集後記


新春スペシャルインタビュー


 今回は新春という事もありますのでスペシャルとして、今後が期待される若手経営者対談と題して行ないたいと思います。また、商工会議所専務理事小林正作さんには、その広い見地から今回のコーデイネーター兼オブザーバーとして意見を伺いました。

本年もよろしくお願いいたします。


株式会社松田
代表取締役 松田光央さん

株式会社石川定次郎商店
代表取締役 石川道明さん

■司会 初めに最近の現況や問題点と言った点についてお話願いたいのですが。
■松田 我々の業界などでも、考える部分と作る部分というのがあるわけです。こういうものを作りたいというイメージは、東京で考えているわけですが、それを実際に製品にしているのは札幌とか、博多とかという所なんです。
 そして、そのイメージを伝送するというのはケーブルとか衛星通信とかを使ってもうすでに行なわれているわけですが、一番困るのは流通なんですね。出来上がった製品をどのようにして東京まで戻そうかということです。これはあくまでも、いつの時代になっても一番難しい問題だと思うわけです。
 小さい頃マンガ等で、人間を伝送する。素粒子に分けて送った先でまた合成するというのがありましたが、とても人間は無理だと思います。それは商品だってできないと思いますね。ですから、一番の問題はどういうふうに運ぶかということです。
■司会 それは、自動車か鉄道かということですが、どちらでしょうか。
■松田 自動車ですと、品物の輸送。それから人間の輸送になると電車の方でしょうか。そうなると文化の方になると思います。そして経済は陸送する。
 それから、水路を利用するという手も考えられますね。何年か前みたいにね。何故かというと、この東京を中心とした一〇〇キロ圏というのはこれからますます車が増えるでしょうし、それによって事故とかの諸問題が多くなっている訳ですから、それを解消して行くためには当然考えてしかるべきだろうし、地下に穴をあけて通そうということを考えるより、それだけの
資源が眠っているということですからね。
■司会 石川さんはどうでしょうか、考えを伺いたいのですが。
■石川 私の会社は、薬品の卸をやっている訳ですから、交通の便がいいことにこしたことはない訳です。地域ということですといろんな意味で、ここはすごくいい所だと思います。歴史的なものもあるし、それから東京にも近い、大きな工場もわりとある。それがいいと思う反面、個性が出てこない。
 あちこちでまちおこしなどと言っていますけれども、もう観光でしか食っていけない地域と言うのがあるわけです。また工業化して行くしかない地域もある訳ですよね。公害に悩みながら、川崎などは工場で食って行くしかなかったわけですから。
 昔から、ここの地区の人は東京へ出ていく時に「食えなくなったらいつでも帰ってこい」とそれぐらいここは豊かなんです。ところが四国とか九州とか北海道から働きに出る人は「もうおまえの帰ってくる場所はないよ」と、だから向こうで成功して帰ってこいよと。そういう所から生まれる県民性があるんだと言われるんですね。
 ですから、何にでも適応できる地域だと思うんです。その融通性が裏目に出てぎて特色が出せない所だと言うことです。
■司会 それに、甘んじてしまっていると言うことですか。
■石川 そうですね。
 話は変わるんですが、青年会議所は今年で結成二五周年を迎えます。そして創設当初から安佐は一つという言葉を使っているんです。
 その頃に、すでに安佐は一つというふうに感じていたと思います。それを、意見にして言っても上の人に取り上げてもらえない、というところはあると思いますね。
 最初のOBというのはもう六十五才くらいになるわけですが、その人たちの声が為政者の耳に届かない。この地域の発展というのは為政者、例えばそれぞれの市長さん、町長さんがいかに人の意見を聞いて若い人との意見、お年寄りの意見、そういった年令に関係なく革新的な意見をどれだけ処理できるか、能力の問題だと思いますね。
 しかし、なかなか地域性がありまして優秀なブレーンを育てられないという感じを私は見受けているんですね。若い人がやらなければいけないというように理解を示して下さる方が多ければいいんですけれども、なかなかそこまでいかないですね。
 我々は五十、六十になっても若い人達が、新しい意見を持ってきた時にそれを理解できる能力を保たなければいけない。
 当然六十、七十になってくれば保守的になってくるのは当前ですから、ここにいらっしゃる専務さんのような方は珍しいんですよね。(笑)
■小林 しかし、石川さんが言う通りに、青年会議所も安佐はけ一つ、昔は商工会議所も一つだった。ですから、私も出来るだけ会議所も元の姿に帰ろうという考えを押し進めようとしているんですが、行政というのはなかなかそういう事がないんですね。
 石川さんが言った通り人材の意見というのが取り入れられないという、よそから見れば本当に不思議な所です。
■石川 この地区からはすごい人が出ているんですよね。聞きますとものすごい大物が経済界にたくさんいらっしゃるわけです。ですが、地域はその人たちを追いかけようともしない。その人たちも振り向こうとしていない。もったいない話ですね。あまりに近すぎて郷土意識というのがないのかも知れないですね。
 山口県に行ってびっくりしたのは町の公園とかいろいろな所に歴史的な人達の銅像がたくさんたっているんです。そうして郷土の偉い人たちを見ながら育った山口県の県民性と言うのは違うと思いますね。
■小林 これだけみんなが田中正造、田中正造といって、像と言うのは少ないね。
■石川 私は、佐野駅だの佐野市駅に田中正造の銅像があっても言いと思いますね。
■小林 それはね、佐野駅に広場ができたら会議所でも考えようと思っています。
 例えば甲府へ行くと武田信玄がありますね。私は藤原秀郷の銅像だっていいと思うんですよ。足利では銅像を建てるかどうかで大騒ぎしていますけれどもね。確かに藤原秀郷はここにいたんだからね。
■松田 佐野はすごいものがあるんですけれど、ちょうど中堅なんですね。大人物とかそういうシンボリックなものじゃなくって、それが数多いんです。だからどこに的を絞っていいんだか分からないと言う事があります。人物ならだれだれとか建物だったらどれ、遺跡だったらどれ、随分あると思うんですね。
■小林 今の消費者は、婦人と子供に変わってきていますが、佐野はその人たちが来られない町なんですね。
 どう言う事かというと、女の人がトイレへ行きたいと思ってもトイレがないんです。子供が水を飲みたいといっても水がないですね。それから、子供と一緒に何か食べようと思っても食べるところがない。ですから、そういうものを町の中に作らなければいけない。
 例えば、トイレのある町という言うふうにして、公衆電話の下にちゃんとした水洗トイレがる。
 佐野駅の百年祭の時に言ったんですが「こんな汚い駅はないんだ」とここに人が集まらないというのも無理がない。「ここへ来て見ろとトイレの臭いがぷんぷんするじゃないか、どうして水洗トイレにできないんだ」と言ったわけです。
 工業団地へ行っても何となく『佐野の工業団地』というものがない。商店街にもそれがない。
 館林市の町作りというのは参考になるんですが、道路を拡張する時に、歩道の幅を狭めるというんです。今は、歩道を歩く人よりも車の方が多いんですよ。ですから、車が寄れる場所を作る。町作りとしては、一つの型ですね。館林市の中はバスが走らない。これは全国的にも稀な事です。やはり、それが売り物になるわけですね。
 ジャスコが佐野へ来ると言う時に、佐野の消費者が佐野の商店街で買い物をする率と言うのは五十パーセントでした。半分の人は、よそへ行っていたわけですね。それが、ジャスコや十字屋が出来てから八十パーセントまでになった。ところが今はどうです六十五パーセント位に落ちています。ということは、今やジャスコや十字屋は大型店としての機能を失いつつあると言う事です。
 やはり、やり方を変えなければいけないわけです。足利のアピタとか栃木のジャスコみたいにやり方を変えるわけですよ。
 この前永六助の講演を聞いたんですが、あの人の娘が浅草に住んでいて、買い物には毎日松坂屋へ行くというんですね。そうしたら、隣のおばさんに言われたんだそうです。「うちにも同じものがあるのに、どうして松坂屋へ行くんだ。あんたのうちが火事になった時に、松坂屋の店員は助けに来るのか」と。そういう地域のコミュニケーションが最近は失われているんです。
■石川 考えてはいるんだと思うんですね。でも、もっともっと皆さんが集まって意見を出し合って論争するという事が一番必要じゃないんですかね。
■小林 よく市長に言うんだけれども、銀行の支店長だとか、工業団地とかのよそから来た人たちに集まってもらっていっぺん懇談会でもやろうと思うんですね。それで、無責任な発言をしてもらう。各人にはそれだけの問題があるわけだからその話を聞く会を二か月に一回やるといい。
■松田 日頃いろいろ考えるんですけれども佐野の、あるいは安佐の人の人格というか、性格というのはどういうものだろうという事が、地元の人間なのに分らないんですよね。
 私のところは、父が足利の出身で母は栃木なんです。そして産まれた私は、真ん中の佐野なんですが、いまだに考え方というのが分からないし、イメージというものがつかめないんですね。足利の人は、どっちかと言うと非常に突っ走って、よく言えば自分を表現するパフォーマンスがうまいんですね。
 栃木というのは逆に、いぶし銀のように光るところがあって何か気に掛かるところなんですね。こんなに近いところで、足利と栃木の中間にいて非常にイメージが薄くなってしまっていると思うんですね。それは、両端が全くの陰と陽、会社で言えば営業と経理みたいなものなんですね。
 佐野の人の性質を理解できればその良さを分かって、こちらからこういうやり方でやれというふうに言うよりもその特長を生かしたものを早く作ってしまった方が手っ取り早いと思います。それは、みんな言いますね。金融機関でも、大手のメーカーでも話をしていますとここら辺は違うと言うんです。
■小林 松田さんね、私が商工会議所へ入ってまもなくの頃の話ですが、大同毛織の社長が佐野地区は繊維の町だからここに毛織物の工場を出そうと言ったわけです。社長は、田沼の小見の出身なんですね。ですが、その時の商工会議所の専務が何を言ったかと言うと、「よしなさい」といったわけですね。
 ここの織物業者は本末転倒している。全部あるって見たら自分の住家はケヤキ作りでものすごい家を作って、二号さんを囲っている。ところが織物工場は物置だと、だからここの人は、戦場と休むところを別のものと考えている。これではだめからよしなさいと言っていたが、その通りになってしまった。
■司会 人間そのものが文化的に豊かにならないと本当の意味での発展というものが計れないと思いますので、ここで文化という事にについて語って頂きたいのですが。
■松田 佐野と言うところは出流原とか、赤見とか郊外にまだまだ(ほかの関東地方の中では有名と言うのではないんでしょうけれども)自然が残っています。その自然を残して置くと言う事、それが一つの文化ではないかと思います。
 東京と言うのは、ものを造る場合にデーターが整っているわけですね。そして、大勢の人たちでそれをどう組み合わせるかと言う事を、簡単にやってのけるわけです。クリエイティブな仕事でもそうです。しかし、その根源と言うが、発生する大本に必要なものは、自然とか、空気がきれいだとか、水がおいしいと言う環境ではないでしょうか。
 小刻みに、間に合わせ的に出すものと言うのは、東京の方が便利なんです。ところが製作に何年もかかるような大作とか言うものを作る場合には先程言った自然がある方が言いと思いますね。
 幾何学的な建物の中で集中して仕事をしているわけですから、酸欠状態になる。だから休めるところ、保養するところというものが必要になってきます。佐野と言うのうは、当然ですが、そういうものがあるわけですね。
 その辺をうまく、ただ保存するだけじゃなくって、古いものは徹底的に古く、細工をしてでも古くしていくと言う演出も必要じゃないかと思うんですね。それが、文化と、文化を産みだす元と言うものにつながっていくと思います。これは負け惜しみかも知れませんけれど、東京でそんなものを求めたくっても無理です。ですから、そういう地の利と言うものは大いに活かすべきですね。人間の本質を理解して、良さをもっと引っ張り出す。イベントをするにもそこにヒントが己づと出てくるような気がするんです。ですが、皆さん結果の方を先に考えますから、プロセスと言うのは非常に面倒臭いし大変なんですね。
■小林 この間TVを見ていたら、瀬戸内海の小さな島に大阪あたりから資本が入ってきて、小さな島に別荘を作ったりして、島を目茶目茶にしてしまったという。この辺りの三毳山周辺も本当にそうされる可能性もあると思うね。そういう事が、三毳山大規模公園構想の中にも出てくるわけですよ。簡単なんだ、どんどん入ってくるだけだからね。放って置けば三毳山周辺はみんな目茶苦茶になってしまいますよ。
■石川 何にしても要はエネルギーですね。文化と言うと静的なものを感じますけれども、やはりエネルギーですね。
■小林 どうでしょう、そういうエネルギーというものがこの地区でも蓄積されているんではないかと思うが、それをうまく持って行くリーダーがいないという事なのかな。

■石川 地元から国会議員が出ていない。
 そして選挙にしても地元の事を考えるんじゃなくってよその人を応援するのに地元でけんか、これでは逆です。代議士さんが来て、佐野の票が欲しいといって来るのに、皆さんぺこぺこするんです。それはおかしいと思いますね。この地区の票をあげるんだから、もうちょっとこの地区を何とかしてくれ、と言うのが当前なのに、みんなで先生、先生というんですね。
■小林 政治が混沌としているのはやはり柱がないという事かね。
■石川 政治の話になりますと、我々若い人達の代表を出すんだと言うのに、票集めのテクニックばかりです。我々は、そんな話をしているんじゃないんだ。この町をよくするためにはどういう人を出さなければいけないかを話しているのに、マイクを向けると、「いや選挙と言うのは難しいんだよ-」というんですね。
 佐野は、先ず政治から出直す必要があると思いますね。
■小林 だから、駅南の作り方なんか見ていると、そういう混沌さが分かるね。
■司会 新春という事もあります
ので、抱負等について語って頂きたいのですが。
■小林 最近は景気がいいと言っても多くの問題を抱えていますから、より一層の経営努力をして体質改善を計る。それに対して商工会議所は大いにそれに協力する、そういう事をやって行きたいと思いますね。
■石川 佐野市民として、文化の面でお手伝いできる事があればいいなと思いますね。
■松田 価値観を変えてみたいなと思いますね。それが、若い人達の考えを受け入れたりする寛容さを持ちますし、そうでないと人材を集めてきても教育ができないですからね。価値観を変えた教育の仕方が必要だと思いますね。
■司会 どうもありがとうございました。


こならの森 20号

2008-03-23 | 創刊~100号

     20号 1989.12.1発行

表紙 影沢医院のつた

●目    次●
2p…看板娘
3p…マン&ウーマン
3-5p…トピックス
5-6p…カラムコラム
7p-12p…忘年会
13-18p…こならの森語録
19-20p…協賛店名
21p… 結婚 森下さん
22p…本10
23p…モーター
24p…アウトドアー
23-24p…街
25-26p…情報
27p…美容と健康
28p…危険な
29-30p…センチュリーラン その14
30p…コーヒー
31p…お見合いデータ
32p…第8回 おそねとしこ
32p…■芝居三昧
33p…編集後記



【本文抜粋記事】

芝居三昧 その第19回


 旅のローテーションですが、約二か月かけて、関西、四国、九州。同じように関東、甲信越、東北、北海道が二か月でセットになっています。かなりハードな日程をこなしていくんです。一週間に一度くらいの割で、先乗りとしての移動日がありますが、あとは毎日毎日、芝居を打ては次の公演地へと、ハネてから乗りこむか、翌朝早く出発します。
 当時一ステージ三百円のギャラいただいておりましたが、旅に出ると、他にアゴアシ代として七百円。旅館に泊まれなければ、旅館代として二千二百円。飛行機や電車に乗らず、セット運送のトラックに便乗させてもらうと、そのチケット分の金額がバックされます。東京にいる時は、電車賃にしかならないギャラでしたが、旅公演ですと経済的には楽になります。でも反対に、二か月の間、集団行動でしたから、自分の時間は取れません。それに、旅に出る時は、相当数の裏方さんは、よそ者です。照明、大道具、効果等のスタッフは、その道のベテランをアルバイトで一日三千円で雇いチームを組むのです。年中歌舞伎や歌などで旅に出ている人達。小さな劇団にいて、公演費用を稼ぐために参加する人達などいろいろです。人間関係がむつかしくなります。
 プロ劇団は、すべて分業。学生時代のように、なにからなにまで自分の手といったものではありません。先にも述べましたが、衣装は衣装屋さん。小道具は小道具店。セットは草加に俳優座のセット工場があり、そこに発注していました。舞台輸送という、旅でのセット運びを生業とする会社まであります。先輩に連れられて、舞台輸送のトラックで、「うかれ」のセットを引き取りに草加に向かう途中、あのよど号ハイジャックのニュースがラジオから流れていました。 つづく


こならの森 19号

2008-03-23 | 創刊~100号

     19号 1989.11.1発行

表紙 日光の紅葉と石くい

●目    次●
2p…看板娘
3-4p…ミニ特集…珈琲
5-6p…カラムコラム
5p…トピックス
6p…お店和昇庵
7-14p…【特集】塩坂峠を行く
15-18p…つれづれインタビュー
19-20p…協賛店名
21p…結婚…大竹和さん夫妻
22p…危険な
22p…美容と健康
23p…モーター
24p…アウトドアー
23p-24p…スターウオッチング
25-26p…情報
27p…絵本
28p…佐知倶楽部
29-30p…センチュリーラン その13
30p…コーヒー/中南米視察の旅
31p…お見合いデータ
32p…芝居三昧 その十八
32p…第7回 おそねとしこ
33p…手書き編集後記


【本文抜粋記事】

人物紹介

飯島秀雄さん
 郷土を愛し、近辺をモチーフにした作品を発表し続けている飯島秀雄さんの地元での写真展が田沼町の文化福祉センター特設ギャラリーで開かれた。
 作品は、自然への招待と題するものが四十五点。他に写真から俳句を詠むと題して、俳人協会会員。また「風」同人でもある菅谷東治さんに俳句をお願いした作品7点など思わず立ち尽くしてしまう力作ばかり。
 現在は、消えゆく渡り鳥最後の楽園。赤麻遊水池をモチーフにした作品作りをしているという。また、野上川の源流が最も好きな場所だといい、これからもその水の流れや、草花などをカメラに納めていくという事だ。「自然が相手なので大変です。その時を逃すと、来年まで待たなければならない事もあります。しかし、この地区には、身近に優れた自然が残っていますので題材に困る事はありません。」と飯島さんは話す。またこれからも、郷土の自然を撮り続けるという事だ。身近なところでは続・わが町さんぽの口絵写真赤見の弁天池が飯島さんの作品。



こならの森 18号

2008-03-23 | 創刊~100号

     18号 1989.10.1 発行

表紙「コスモスとアゲハ蝶」

●目    次●

2…看板娘
3-4p…カラムコラム
3-5p…トピックス
6-10p…秋を探しに
11-15p…インタビュー「島田春蔵さん」
17p…美容と健康
17p…危険な道路をぶっとばせ
18p…結婚しました
19-20p…協賛店名
21p…佐知倶楽部
22p…絵本の紹介
22p…海外旅行講座
23-24p…若き芸術家の世界
25-26p…インフォメーション
27p…モータースポーツ
27-28p…街角の肖像
28p…アウトドアー
29-30p…センチュリーラン
30p…コーヒータイム
31p…お見合いデータベース
32p…芝居三昧
32p…としこのエッセイ 第六回
33p…子育て編集日記

【本文抜粋記事】

インタビュー

島田テキスタイル代表取締役

島田春蔵さん

大正十五年生まれ。東京の商社で、原糸の営業を行った後、佐野に帰って独立。当初は、島田商事としてスタートしたが、昭和六十年に、現在の島田テキスタイルに変更。

 業界紙によれば丸編み先染め物は、東日本にライバルメーカーはいないという事だ。身近な所ではこの夏行われた1000人つなひきのTシャツを製作したという。


コンピューター付きの丸編み機を導入したと言う事ですが、その辺の経過からお話願いたいですが。

 ごく簡単に申しますと、繊維産業が斜陽化して来て、この産地でもだんだん衰退してきた。足利でもトリコットが戦後伸びて来た分けですが、NIESと言われる発展途上国の追い上げが激しくなった。今の繊維政策と言うのは、農業とは違って全部開放されてい何でも輸入されてくる分けです。そういう中で、選択したのがコンピューターの導入と言う事です。主にスポーツウエア、ゴルフとか、テニスのウエアを作る機械なんですね。生地を先に作るわけです。デザインは後から作るわけですね。その生地も先染めと言って先に糸を染めていろいろな配色を考えるわけです。これは高級化ですね。大企業には出来ない仕事なんです。

コストが合わないという事ですか。

そうですね、非常に手が掛かるわけです。大企業は量産型が出来ないわけですね。大量生産が出来ないんです。多品種、小ロット、先染めというのは特にね。幸いにして、日本のコンピューターがついた工作機械、そういう物は日本が一番優れているですね。自動車の中にコンピーューターが入っている。我々の工作機械にもコンピューターが入っている。
 しかし、機械を入れたからと言ってすぐ動きだすかと言うそうではなく、一、二年は苦労をします。ですが、それを過ぎたら、生産性は上がって来ます。斜陽産業と言っても、道はあったという事です。

佐野の現状はどうでしょうか。

 二、三社を残して停滞気味ですね。機械化に踏み切れないという状況でしょうか。
そうですね。しかし私の所でも機械を導入してから一、二年は良くなかったですが、それからはぐっと伸びてきました。
足利の織物組合に加入していると言う事ですが。
 足利ファッション組合というんですが、今年の四月に五組合が合併して出来たんです。我々の業界の組合と言うのは足利に集中してあるんですね。何と言っても繊維関係は足利が強いんですよ。ですから、今ではプラスチックに抜かれたと言う事ですが、まだまだ総売上が八百億位あるわけなんです。これは地域社会と言う事から離れますが、私の趣味が旅行で、それも、単独で行く旅行が好きなんです。だいたい行かない所は社会主義圏位なんです。特に、東南アジアのほとんどは行きました。特に、合弁会社を作って、売り込もう斜陽産業と言っても、道はあっ出しています。ですから、私も向こうの製品がどのくらい日本の製品に追いつて来たか、そういう調査をして、そこから入ってくる製品は出来るだけ避けよう、と言う事を考えているわけです。そして、私共の製品はとても作れないとわかりまして、いまではこちらから輸出をしているくらいです。

どれくらい追いついて来ているのでしょうか。

 十年くらいの開きがあるでしょうね。五年や十年の月日では、今の日本と同じ物は作れないのではないでしょうか。五年後には、もっと高度な製品を造っているでしょうから結局追いつけないという事ですね。
ただ躍進が目覚ましいということですが。
 いや、鈍くなって来ていますね。台湾では去年の前半に、一党独裁でやって来たのが、開放という事になり、それによってたくさんの政党が出来て、もちろん労働組合ができて賃上げ闘争が起こって来たわけです。小さな企業でさえ毎日ストをやっていると言うんですね。今年、また行ってみたら日本の賃金と変わらなくなっているんですね。それから、韓国はこれも賃金が上がりつつある。オリンピックを境に、どんどんあがってきている。最近の円安ウォン高。それから、国内の輸出状況が厳しくなって来ているんです。

中国などではどうでしょうか。

 私が十年前に行った時には、後十年もすると、日本に追い付いてしまうかなと思ったんですが、あの国は途中で足止りしてしまって全然だめなんですね。そこへ来てこの間だの天安門事件があったわけです。国が大きいから繊維品の原材料がたくさんあるんですけれど品質は良く無いんです。台湾とか韓国とかよりも怖くなくなたという事ですか。
 要するに、品質のおいあげでなて社会主義の国というのはそこ迄の研究心がないんですね。賃金も上がっていないんです。

 品質が上がらないと安いだけという事になってしまうわけですね。そして、今問題とされているのは、タイです。賃金が安くて安定した国だという事で日本でも盛んに進出して洪水のようですが、そろそろ頭打ちで、そうするとどこだろうという事になるわけですが、今度はインドネシアとかフィリピンは治安がちょっと、政情が安定していません。ASEANの中ではマレーシアも進出はしているけれど、まだまだなんですね。シンガポールはもう進出し過ぎています。
 日本で研修をさせて向こうに連れて行く分けですが、半年もしないうちに辞めて行ってしまう。よその、企業に引っ張られてしまうわけです。

タイシルクという言葉を聞きますが、シルクはどうでしょうしょうか。

 タイシルクというのは名ばかりでね、やはり中国が多く取れるんですよ。ただ、シルクは早く通産管轄にして欲しいです@ね。いま、シルクは農林管轄なんですね。ですから、農業政策の中に入っているわけです。統制経済の中に入っているわけですね。自由化になっていないわけです。あれは、農村で繭を作っているわけですから。自由化になれば安いシルクがどんどん入って来て日本のシルク製品の需要が増えるわけなんです。日本も品質はいいんですよ。
 今一番恐れるのは、EC諸国なんです。イタリア、フランスそのへんの国が日本にどれ位進出してくるか、もうNIESの国はそれほど恐れる事はないんです。イタリア、フランスあたりでは、自分のところで物を作らないでお隣のスペインとかポルトガルで作らせていますね。それが今度は日本の市場をなんとか合弁会社を作って、売り込もうと必死ですね。それが、いつどういうふうに入ってくるのか、果たして成功するのか、ちょっと東南アジアと違って遠いですから、その点がどうなのか。そこを見極めながらやっているという状況です。まだ、時間的にはあると思いますね。ミラノファッションというように、デザイン力、企画力みたいな物が怖さになってくるわけですね。
 そうです。歴史も古いんです。
卓越なデザイン力、企画力は郡を抜いていますね。ですから、その事については一番心配しています。ただ、それが入ってきても、日本の流通機構に乗っけられるかどうか、それから、値段が合うのか。NIESあたりから来た製品は、一時的に成功したんです。定番から下のクラスは、しかし今度は高級品クラスがEC諸国からどうのように入って来るのか、それが関心事ですね。ですから、今盛んに情報収集をしているんです。
 日本では今、高級品指向というのが、いわれていますね。どこまで続くか知れませんし、景気もどうなるか分からない時代で大変ですね。そうです。繊維市場というのは、オープンですから、農産物などは閉ていますね。それからこういう事も考えています。原材料の良い物、例えばウールなんかを向こうから輸入して、それを加工して日本国内で売る。それは、大企業ではできない事ですね。これからは、中小企業だって国際化の時代だと言う事なんです。この点で成功しているのが栃木の岩下食品です。漬け物の原料などは、当初台湾から輸入していました。現在は魅力がなくなったという事でタイで作らせています。ナス、キューリ、相当の利益をあげたんです。

他が縮小して行く中で、やはり道はあるという事ですか。

 そうですね、それも日本国内だけでなく、海外とかね。それには、やはり飛び回って情報を取らないと人から聞いていたんではだめですね。年に何度くらい海外へ行くわけですか。前は、良く行きました。年に十回位は行きました。一か月に一度というペースでしたね。だいたい東南アジアの国々には、知り合いが出来て向こうの人が夫婦で来たり、こっちから行ったりして交流していますね。

視察に来るわけですか。

 もちろん来ますね。そういう交流で、現地へ行けば生の声が聞こえます。そのうちに、ちょっとした取引が成立したりします。それで、何か一つ言葉を覚えようと思いまして、週に二回中国語を勉強しまして普段の会話くらいはなんとかなるようになりました。
 やはり英語ができれば一番良いし、東南アジアでは華僑がまとまって仕事しているんです。例えばタイに行くと、タイ人がやっているのではないんです。ですから中国語が出来れば、通用するんですね。シンガポールヘ行ってもやはり、華僑が全部やっていますね。帝人とか、東レという大企業はマーケッテイング部門を必ず持っていますから、海外情報収集をやっているんです。そういう所に年間何百万とお金を払っているんです。お金を出して情報を買っているわけなんです。

情報はタダではない。

 そうですね。それから、我々の業界というのは、地域社会だけ見ていたんでは飯が食えないんです。世界情勢にも目を向けていかないといけないんです。これれは、どの職種にも言える事だと思います。

 今日は、どうもありがとうございました。