15号 1989.7.1発行
表紙 田沼=キスゲ
●目 次●
2p…看板娘
3-6p…マン&ウーマン・トピックス
7-10p…小林正作さん
11-14p…芭蕉の碑
8p…お店…藪
15p-16p…シリーズ・若き芸術家の世界
15-16p…カラムコラム
17p…美容と健康
17p…危険な道路をぶっとばせ
18p…夏というなの学校
18p…トラベルガイド…その4
19-20p…協賛店名
21p…結婚しました
22p…佐知倶楽部
23p…モータースポーツ
24p…アウトドアー
25-26p情報
27p…お見合いデータベース
28p…本10
28p…芝居三昧
29-30p…センチュリーラン
30p…コーヒー
31p…サークル紹介「中国語学習会」/
街角の肖像
32p…インスタント・ラーメン
33p…子育て編集日記
【本文抜粋記事】
シリーズ・若き芸術家の新世界
須永 和彦さん
「『作品』とは、見る側、受け取る側の問題である。たとえば、あなたがある絵をみて感動し、ふるえている。たとえそれがどんな天才と言われるような画家が描いた絵であろうと、それは額縁に納まったその絵がふるえているんじゃない、あなた自身がふるえているのだ。その瞬間、画家とあなたといわゆる『作品』とは、別々に切り離されているが、ある意味では一体になっている。むしろ、その絵に感動しているあなたの方が、その瞬間生き生きとしているはずだ。あなたにとって、『作品』との出逢いの意味は一回限り。あなたの内面の問題なのである。同じ絵を違う時と場所で見ても同じ感動は得られないだろう。つまり、わたしに言わせれば、出来上がって固定した『作品』なんて無いのである。」と、個展におけるパンフレットの中で語っているが、こんなところに、須永さんの芸術哲学があるような気がする。
最初は、風景画や静物画を描いていたが、高校時代から抽象的な絵を描くようになる。
大学生時代は、墨絵ばかり書いていた。しかし、一年生の夏休み頃から製作からは離れてしまい、文化人類学や詩学の研究にひかれてしまった。
個人的に、影響を受けた人はいるし、芸術の話しをすると言うことはあったが、絵そのものは、全くの独学。
これから描いていく、作風というものは、まったく白紙だという。
今年の後半に、東京で新しい作品をまとめた個展を考えている。
一日のうちで、実際に絵を描いている時間は平均三時間くらいだという。あまり多作するタイプではないということだ。
作風については、「名付けられたらもう既製のものに成ってしまうでしょう。だから、名付けられなくてもいいと思います。思い上がりかもしれないけれど……」と話す。また、「絵と芸術というのはまた別のものだと思うんですね。つまり、習い事ではなくて、自分の個性を出すことです。それから、前衛的になっていくというのは恐かったです。裸の自分をさらけだす事がね。風景とか言うものであれば、どんなに下手でも絵として見てくれるわけですよね。それが抽象的なものを描くというと、まるっきりその人の個性を出さざるをえないんです」と語る。
影響を受けたものというのは、技法より精神的なもので、アフリカ等の未開民族の芸術だという。芸術が呪術と結びついていて、単なる美術品や装飾品とかいうものでなくもっと生活に結び付いたものになっている。ラスコーの壁画なども、霊魂と呪術とが結び付いたものだし、そういった神秘性が絵に現れるという。そのためか、色彩や古代の壁画にあらわれる図形的な構成は須永さん独特のものといえる。また、家業が須永花火という花火を製作する会社の為「花火」をイメージする作品もあるということだ。
「主義とか、概念というものにとらわれない作品をつくって行きたい」というのは、これからも変わらぬ姿勢のようだ。
それから絵を描く他に、同人誌に詩を発表している。