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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森131号

2008-05-07 | 101号~200号
       ■こならの森131号■1999.3発行

表紙 「三毳山新緑」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森4月号■

3pとしこの巻頭詩「花だいこん」
4p-7pJC・ルネッサンス 土屋 弘吉
8pヤンバル・お店紹介
9p誕生しました土屋伸昭さん
10-11p ショート「常連」
12-19p 特集 花情報
18-19p 現代国語
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

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【本文抜粋記事】

ザ・ショート

「常連」


 とある居酒屋での話。
 週末の夜ともなれば、客の入りも違ってくる。店主は忙しく立ち働き、客との会話を楽しんでいる。棚の上では、陶器の招き猫が、細い目をひらめかせている。湯気と、タバコの煙が漂っている。
 季節は秋にさしかかる頃。
 カウンターのすみで、ひとりコップ酒をすすっていた天狗鼻の老人がふっと顔を上げた。
 「ご主人、そろそろもろきゅうをもらおうか。」
 「はい。ああ、そういえば、そろそろいらっしゃる頃ですね。」
 店主は、笑ってうなずいた。席をひとつ空けて座っていた赤ら顔のサラリーマンが、仲間と談笑しながら手を挙げる。
 「おやじさん、熱燗追加ね。」 「はいはい。」
 店主は鍋の中からとっくりを出すと、手早く水気を拭き取った。そして、客の前に運ぶ。
 それからキュウリをとり、水洗いして飾り包丁をいれる。天狗鼻の老人が、目を閉じて鼻をうごめかす。
 「いい音だね。」
 「今日のは悪くないですね。」 「匂いもいい。」
 がらりと戸が開いて、小柄でやぶにらみの老人が入ってきた。やぶにらみの老人は、迷わず天狗鼻の老人に隣に座った。
 「一杯つけてくれ。」
 やぶにらみの老人が言った。
 「はい。」
 酒より先に、みそを添えたキュウリの皿が出てきた。
 老人は、すぐにキュウリをつまんで、しゃきしゃきとかじりはじめる。
 それを見ていた天狗鼻の老人が、大きな口を開けて笑いだした。
 「どうしたんだ?」
 やぶにらみの老人が、店主にもの問いたけな目をむける。
 見ると、コップ酒を注ぎながら、店主も笑っている。
 「いやね、そろそろあなたが来るだろうと思って、天狗さんがキュウリを注文していたんですよ。だけど、あんまりにもタイミングがドンピシャだったもんで、おかしくてねえ。」
 「ちがうちがう。」
 天狗鼻の老人が、手を振って店主の話をさえぎる。そして、いかにもおかしそうに身を乗り出した。
 「キュウリの匂いが、ぷんとしたときに入ってきたものだからねえ。やっぱり河童さんは、キュウリの匂いに誘われて来るんだなあって感心したら、急におかしくなっちまってねえ。吹き出しちまったよ。」
 「ふん。」
 河童さんと呼ばれた老人は、そっぽを向いて、コップ酒に口をつける。しかし、その顔には、まんざらでもない笑みが浮かんでいる。
 となりの席の赤ら顔のサラリーマンは、話を聞いていたのだろう、老人のほうへ身体を向けた。
 「失礼ですが、ここへはよくいらっしゃるんですか?」
 店主がこたえた。
 「うちの常連さんですよ。河童さんと天狗さん。」
 「どちらが河童でどちらが天狗かは、聞かんでもわかるじゃろう。」
 老人たちは目配せして、おかしそうに肩を震わせている。
 「河童さんに天狗さんか。じゃあ、俺なんかは、さしずめ赤鬼というところかな。」
 赤ら顔のサラリーマンが、頬をパンパンと叩いた。
 「これはこれは、揃いましたねえ。」
 店主は腕組みして、笑いをこらえている。
 「赤鬼だあ?」
 河童とよばれた老人は顔を上げると、赤ら顔のサラリーマンの頭をなでまわしはじめた。
 「角はどうした、角は? 鬼ならば角があろうが?」
 「普段は必要ないんです。だから隠してあるんですよ。」
 「ふんっ。」 
 老人は、再び酒をすする。
 「赤鬼さんよ、気にしなさんな。この河童さんは、大変な皮肉屋でな。時々、突拍子もないことを言い出すんじゃ。」
 「そういうことじゃよ。わしに触れると痛い目にあうぞ。」
 河童さんはそう言って、またキュウリをかじる。が、ふと手を止めて顔を上げると、となりの赤鬼さんに向き直った。
 「そういえばお前さん、腰のところに大きなあざがないかい?」
 「えっ?」
 赤鬼さんは、驚いた顔になった。
 「ああ、腰のあざはありますよ。どうしてわかったんです?」 「ふん、やっぱりな。」
 河童さんは目を細める。
 「あれは昔も昔、大昔、今から千年以上も昔のことじゃ。今で言う信州あたりの山のなかで、旅をしていた山伏に、わしは相撲をいどんだんじゃ。もちろん、勝負はわしの勝ちじゃった。わしの得意の怒涛の寄りに、相手はたまらず尻餅をついたもんじゃ。あんたのその腰のあざは、その時のなごりじぇよ。なつかしいのう。まだ、鬼にはなりきれずにいるのか。そうかそうか。」 河童さんは、赤鬼さんの肩をパンパンと叩いた。
 「また、河童さんの昔話がはじまったのう。」
 天狗さんも、笑っている。
 「気にしないでくださいね。河童さんの話は、みんなホラですから。この人、いつもこうなんですよ。」
 店主が顔を寄せて、小声でささやいた。
 赤鬼さんは、びっくりした顔のままうなずいた。そして冷えた杯を、一息に飲み干した。
 「熱燗、もう一本ください。」 店の中には、湯気とたばこの煙が、かすみのようにたなびている。棚の上の招き猫は、薄ら笑いを浮かべているようにも見える。
 週末の夜、店の中はにぎやかだ。
どアップに耐える中条きよしで@正しい必殺@が帰ってきた!!




こならの森130号

2008-05-07 | 101号~200号
       ■こならの森130号■1999.2発行

表紙 「さくらアップ」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森3月号■

3pとしこの巻頭詩「たけのこ」
4p-7pJC・ルネッサンス
8pヤンバル・お店紹介『珈琲蔵(かふぇぐら) 』
9p結婚しました小暮宗市&朋子
10-11p ショート「前世」
12-19p 特集  節約生活
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

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【本文抜粋記事】

JC・ルネッサンストーク

吉澤石灰工業株式会社
代表取締役社長
 吉澤 慎太郎さん

聞き手 兵藤 勇(ひょうどう いさむ)さん
1962年 佐野市生まれ。

■PROFILE
吉澤 慎太郎
(よしざわ しんたろう)
1949年 葛生町に生まれる。


  吉澤石灰工業株式会社 吉澤 慎太郎社長に企業人として、
  父親として、地域住民としての顔についてお伺いしました。


@兵藤 安佐地域にあって、長年にわたりトップ企業として発展している吉澤石灰さんですが、今の時代をどうとらえておられますか。
@吉澤 今の時代は暗い話が多くなっていますが、努力をしている所、努力をしていない所の差が現れる時代ではないかと思っています。勝ち残る組に入るか、負けてしまう組に入るかの選別を受けている時代だと思うんですね。我が社としてはやはり勝ち残り組に入らなければいけない。これから21世紀に向けて、世の中が求める、ユーザーが求めるものを的確に提供することで、「吉澤、ぜひ今後も頼む。」と言われるような企業にしていかなければいけない。我々が目標とする優れている会社は日本にいくらでもある。どんどん業績を伸ばし、増収増益を続けているような元気な会社もたくさんある。我々にとってもまだいろいろチャレンジする分野があると思うし、そうすることで吉澤石灰を今以上に世の中が求めるような会社にシフトしていきたいと思っています。私が社長になって4期、8年になりますが、前社長からわたしに変わってから、なかなか実績を挙げるのが厳しいんですよ。ですから毎年毎年、いろいろチャレンジしてやってきています。
@兵藤 吉澤石灰さんでは、ユーザーさんはどういったところになるのでしょうか。

@吉澤 石灰は、鉄鋼・化学・建設・農業といった大変幅広い分野で使われている素材なんです。国内の石灰会社は70~80社ありますが、各社それぞれ得意分野を持ってやっています。我が社は鉄鋼向けの製品に強みのある会社と言えるでしょう。今までは、世界の鉄鋼生産の12~13%程を占める、日本の鉄鋼業の成長に伴い、育ててもらったと思っています。日本の鉄鋼業もなかなか厳しい環境にありますから、我々としても、新しい分野を開拓していかなければいけないという状況にあります。
@兵藤 新しい商品の開発についてはいかがですか。

@吉澤 我々はメーカーである、というポジションは非常に重要であり、基軸であると思っています。ですから、新しい商品作り、これが我が社の追い続けなければいけない課題であると思っています。

@兵藤 そこで他社との差別化を図っていくということですね。

@吉澤 それぞれの分野で魅力的な商品を提供したいわけですが、今我々が重要視しているのは、環境分野ですね。ゴミ焼却場での脱塩素、脱ダイオキシン用の『カルミュー』という商品が、今の最重点商品です。これに続くものもどんどん生み出していきたいと思っています。

@兵藤 歴史の長い会社で、発想の転換を図っていくということは非常に難しいことでしょうね。

@吉澤 そうですね。特に今、私がやらなければいけないのは、組織を構成する人々の意識改革だと思っています。全社員が、次々と新商品を生み出していくという挑戦的な姿勢にならなければいけない。今後はぜひ、そういう社風を持った会社、先見性・革新性を持った会社に変えていきたいと考えています。

@兵藤 よい商品があっても、それを販売したり、サポートしたりする一人一人の意識が目指す方向にいかないと、というところはあるでしょうね。

@吉澤 そうですね。総合力が問われるでしょう。つくる人から最後に商品をとどける人までの連携がうまくいかないとだめでしょうね。

@兵藤 今、どの企業をみても時代の変換期にあって、商品にどんな特徴を持たせるか決められたところが生き残れるという状況にありますね。

@吉澤 確かに、特徴ある商品を作り、しかもNO.1でなければ生き残れないですよ。顧客満足度の高い商品作りをする事によって、それぞれの分野でトップになれる様、努力をし続けていきたいと思っています。

教育のベースは家庭にある

@兵藤 吉澤社長の家庭人としての顔についてお聞きしたいと思います。今後ますます厳しくなっていくであろうというこの時代にあって、家庭の教育や、子供たちに接しながらいつも心がけていることについてお聞きしたいのですが。

@吉澤 様々なことが世代間において継承されていくわけですよね。家という場において、文化や伝統といったものが連綿と引き継がれているだろうと思います。世代の違う人達が共に住むということから受け継がれてきたものと思います。今、学校教育の場で様々な問題が提起されていますが、そのベースは絶対家庭だと思っています。家庭の中できちんとコミュニケーションがとれて、親から子へ引き継ぐべき物がきちんと引き継げていれば問題は起きないのではないでしょうか。やはり課題は家庭にあるのだろうと思いますね。一人一人が自分の家庭内にあって努力をしていくということからしか始まらないのではないでしょうか。私自身、両親からずいぶん多くのものを学びましたし、感謝しています。そして、私から子供たちに対しても、いろいろなものを伝えたいと思いますが、その中でも一番大切なことは、価値観の継承だと思います。何が日本人として、人間として大事なことであって、守らなければいけないのかということを、子供たちにどれだけ伝えられるかということだと思います。

@兵藤 今、代々続く価値観の継承というお話がありましたが、実際には具体的なものでコミュニケーションをとりながらいろいろ話をされると思いますが、特に重要だということで吉澤社長が親から継承されている物はなにかありますか。
@吉澤 ひとつは他人に対して思いやりを持てということかもしれません。さらにさかのぼったところからの話となりますと、我が家にある家世碑のことに触れなければなりません。そこに渡辺華山に書いてもらった風竹の画があり、その賛の中で、天明の大飢饉の時に我が家が蔵を開放して、困った人達に米をあげたことを取り上げ、吉澤家は『富みて義を好む』と書かれています。私も家の繁栄ということをまず第一義とし、その上で社会のために役に立つことは何かを考え、行動することにしています。この家世碑は私にとって、ひとつの重要な原点になっているものと思います。

@兵藤 私は最近、自分を生かした形で周りも生かせるというのがボランティアではないのかなと思っています。

@吉澤 なるほど。自分もよし、相手もよしというのはいいことですね。ボランティアということで思いますが、日本がもう少し弱者にやさしい社会になるといいなと思います。アメリカなどの方が車椅子に対して手助けする人が多いように思います。

@兵藤 以前はわかりませんが、確かに最近は、弱い者や自分と違う者に対して自分さえよければ他の者はなにをやっても良い。というような雰囲気が感じられますね。

魅力のある地方づくり

@兵藤 企業と家庭と地域についてのお話がありましたが、それは全てがバランス良く保たれていかなければいけないと思うのですが、葛生町となるか、あるいは広く日本ということになるのかもしれませんが、家庭人でない企業人でもない地域人としての顔についてお聞かせいただけますでしょうか。

@吉澤 私が10年前頃から関心をもっているのが、東京の一極集中の是正であります。あまりにも全てのものが東京に集中しすぎている。国の安全保障から考えても危険すぎると考えています。私はヨーロッパという所が大変好きですが、ヨーロッパではドイツにしろフランスにしろイタリアにしろ非常に魅力的な田舎が多いですね。都市ももちろん良いのですが、それぞれの村や町には住んでみたくなるようなところが多いですね。私にとっては特徴のある中規模な都市が点在している日本がひとつの理想像かもしれませんね。

@兵藤 東京一極集中の是正ということになりますと、やはり、首都機能移転についても考えなければなりませんが、その点についてはどうお考えですか。

@吉澤 私は個人的には那須が一番良いと思います。首都機能移転はぜひ早急にやるべきと考えています。東京をより魅力的にする意味でも、地方が活性化するという意味においても、ぜひ実現するべきであると考えています。併せて道州制の導入も必要かもしれません。そして、地方の核を大きくするという意味から、市町村合併も推進すべきでしょう。現在、佐野市・田沼町・葛生町の合併協議がありますが、私は葛生町という立場で、積極的に関与するつもりでいます。

@兵藤 先日行われた合併協議会を見学させていただきました。有識者の方々、地元でがんばっている方々が集まっていますが、その時間を有効に使っていただき、その結果の返事を住民に話していただいて、またそこでいろいろな話ができるような協議会であって欲しい。佐野青年会議所においても、自分たちが住んでいる地域ですから、他人事ではなく自分も関わっている、という意識改革をまずしていただきたいという思いを含んでの一昨年の署名活動なんですね。ですから今年度以降も広報等を続けて行きたいと考えております。

@吉澤 ただ、合併協議会が公開になっていますよね。公開であるが為に十分ディスカッションができないと私は感じています。我々民間は、これはどうですかとか言い易いのかもしれませんが、市長、町長、議会議員の人達にとっては発言しにくい場になっているのではないのかなとも思うんですよ。ですから公開というのは解りやすいようでありながら、議論を煮詰めなければならないときに型どおりになってしまう可能性もあるなと感じています。本当の意味での議論があそこでできるのかなという疑問がありますね。
@兵藤 そういうシステムに今まで慣れていないですからね。

@吉澤 いずれにせよ、ただ、あれは準備段階だということですから早く問題点を整理して、具体的にどういう形で合併の絵を描いていくのか、ということに踏み込んでいかなければいけないですね。どんなに大きな地域でも、どんなに小さな地域でも合併しようということは同じですから、相当なエネルギーを割いていかなければいけないと感じています。葛生にとってどういう道筋が良いのかと考えると、住んでいるみんなに解りやすく、なるほどこれが得られてこれが失われるんだなと解った上で「じゃ、そうしよう」というものであってほしいと希望します。
これからの生き方について

@兵藤時代の転換期で、組織にしてもシステムにしても変えていかなければいけないというのは、頭では理解していても30数年生きてきてしまうと、今までやってきたものがあたりまえだという意識が非常に強くなってしまっている。子供たちをみていると、昨日までやっていたことが今日になると全然違うことに臆することなく進んでしまっている。自分にも昔はあったはずなのにどうしてしまったのだろうと感じることがありますね。

@吉澤 そうですね。だんだん歳と共に保守的になってきますが、やはり新しいものに対する挑戦の気持ちをなくさないようにしていかないといけないでしょうね。以前、ある雑誌で松任谷由美と桑田佳祐の比較論が出ていましたが、面白いなと思ったのは、松任谷由美は時代と共に生きるという意識が強いんですね。常に今の時代の人達に会って吸収し曲作りをする。ところが意外だったのですが、桑田佳祐から「最近の若い人達は」という言葉が出てきたんですね。10代、20代と時代そのもの、時代の変化と同時進行だったものが、ある時から時代と離れていくんですね。時代から離れていくのか時代を取り込んでいくのかによって、生き方が大きく違ってくると思うんですね。ある年齢からは、努力しないと時代と共に生きるのは難しい。私は可能な限り時代と共に生きたいと思っています。

@兵藤 この地域の人達は70代、80代になっても最前線でがんばっている人達がいらっしゃいますがこういうのはまだまだ続くのでしょうか。
@吉澤 がんばり方が問題だと思うんですね。どの分野でどうがんばるかというのを考えないといけないでしょう。結局、それぞれの人にとって、脱皮ということがとても大きな課題だと思うんですね。仏教用語に「修破離」(しゅわり)という言葉があります。ひとつのことを極め、しかる後にそこから離れて次の境地に行く、という様な意味だったと思いますが、もし私がある年齢になったときには、第2の人生、あるいは第3の人生を考え、今までの自分とは違った生き方をしたいと思います。70代、80代で過去の延長線の上にいるということは賛成しかねますし、脱皮できなかったことを残念に思いますね。そしてまた一方、世代交代ということを考えるのであれば、若い世代が代わるに値するだけのものを上の世代に提示できなければならないのではないかと考えます。待っているのではダメだろうと思います。

@兵藤 本日は様々なご意見をありがとうございました。あとは私達がどう考え、どう動くかにかかっていることになると思います。





こならの森129号

2008-05-07 | 101号~200号
       ■こならの森129号■11999.1発行

表紙 「三毳より夜景S」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森2月号■

3pとしこの巻頭詩「うめ」
4p-7pJC・ルネッサンス
8pヤンバル・お店紹介『カフェ レストラン馬車道 』
9p結婚しました小暮宗市&朋子
10-11p 鬼
12-19p 特集 安佐一週
20-21p 協賛店・MAP
22p 現代国語
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

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【本文抜粋記事】

特集 安佐一週

 あれから十一年、こならの森は再び原点に返って、安佐を一周。
 十一年前もやはり日が短い冬であった。その間に、赤見の越床峠はトンネル化され昔の面影は今はない。林道の中腹から望む風景も変わってしまった。

■こならの森の原点って?
 こならの森も、よくもまあ世紀末の、西暦に9が三つも並ぶ年代まで発行できて来たと、あらためて思うが、その原点を知る人が一体何人いるのだろうか。そう思って草稿したのが今回の企画だった。創刊の初っ端から安佐を念頭に置いた特集を組んでいた。我ながらその原点を今回は微笑ましく見つめられた。そのために実地に車を走らせ十一年間の奇跡をつぶさに見てこれた。
 恥ずかしながら言わせてもらえば、創刊号につかわれていた巻頭の大写真の撮影ポイントがあやふやになっていた。何しろそれ以後十年以上その場所に立っていなかったからだ。さらに、田沼・飛駒の沢、田沼・蓬莱山の沢、葛生秋山の沢と三つの沢の記憶が混同してしまっていて(事実三つは似ている)、即答が困難な状況に追い込まれているという現状も否めない。
 撮影時には全く分からなかったが、十一年して改めて二つの写真を比べてみると、空き地だったところが現在は、蓬山ログビレッジになっているのだなと、感心させられた。
 あれから、田沼・葛生地区は多くのいわばアウトドアー施設が建設され、前号のこならの森でも少し触れたが、首都圏の野外生活圏となったと思われる。しかし、その主役はあくまで安佐地区の人なのだろう。
 ともかくセオリーにしたがって車を走らせる。創刊号では、理想的な走行環境として順に徒歩、自転車、車とあげているが、その後こならの森でも実際に蓬山ログビレジまでのマウンテンバイク・ツーリングを特集に組んでいる。今後の課題、さらには特集課題として、徒歩による安佐完全一周をここに予告しておきたい。

■実地に車を走らせ

 昔の出来ごとではなく、車が発達した今でも、峠を越えるのは大変なことだ。トンネルになってしまうと、そうしたことが忘れ去られてしまうが、赤見の越床峠もかつては手掘りのトンネルで結ばれていたので、現在は新・越床トンネルというべきなのかもしれない。入り口までしっかりとした取り付け道路が巡っていて往時をしのばせるが、それも今はさらに風化してしまった。十年ほど前に一度取材しているが、今ではその入り口さえも探せないのかもしれない。
 今回は、当時の人が最初にこのトンネルを通ったときに感じた思いと同じ感想を実感できたように思う。そしてさらに、須花坂トンネルへ向かう。ここも、明治・大正・昭和と三つのトンネルが並んでいる所だ。その点では、越床峠、あるいは越床トンネルと同じ状況であった地区だと思う。ほどなく飛駒へ向かう道に合流する。井伊直弼も領地検分の岐路に同じ道を通ったのかと思うと思い深いものがある。江戸時代、飛駒地区は主に木炭の生産に関連していたというが、木炭は今で言うエネルギー産業、当時は山の暮らしが盛んでにぎわっていたのであろう。
 どこまで行っても人家が並ぶ。昔、どうしてこんなところまで人家があるのだろうと不思議に思ったが、今では充分納得がいく。
 今回の行程は全線舗装されてしまっていて古来の道の持つ趣が消されている。しかしながら峠の名前には人々の往来とその息吹が随所に残っているように感じられるた。

■信号もないが………

 十一年前の創刊号の原稿を読み返してみると、『葛生仙波を過ぎると、信号もないがコンビニもなかった』のが、最近ではそれも出来ている。十一年間にいつのまにか、トンネル化され峠の数も減ってしまって、峠越えという言葉もなつかしい言葉になりつつあり、峠の茶屋もいつしかコンビニにかわりその面影すら今はないようだ。また、葛生の牛の沢林道が部分未舗装であったのに、今は全線舗装となっている。そのことも相違点だろう。
 しかしながら、山里の暮らしは変わっていないのだなと思わされる場面にも多く出くわすことが出来た。
 だれしも必ず心に『ゆとり』をもって生きているはず、さらに十年後にもそのほっとするような感じが残っているのだろうか。否、そうなることを願っている。
 今回の取材も終盤。高度が上がるほど小雨がみぞれ混じりに変わり、寒さが染みてくる。夕暮れも近い。遠くで何か火を燃やしているのか煙が上がる。昔なつかしい風景だ。そして干し柿の趣がまた郷愁を誘う。
 この辺はちっとも変わっていないのだなと感じた。急がねば、夕闇はもうすぐそこまで。


こならの森128号

2008-05-07 | 101号~200号
       ■こならの森128号■1998.12.3発行

三毳定点夕陽/逆から

C・o・n・t・e・n・t・s


■こならの森1月号■

3p としこの巻頭詩……「びわ」
4-7p JC・ルネッサンストーク
8p ヤンバル・お店紹介
9p 結婚しました@松 島さん
10-11p ショート/第7回(未収)
12-19p 特集 『行楽情報』
20-21p協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24p 安佐の名所クイズ
25-29p インフォメーション98
30p こならの森から

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【本文抜粋記事】
特集『行楽情報』
 朝夕は確かに冷え込む季節となりましたが。風のない日中の日なた、ポカポカ陽気になると、外へ出てみたくなるもの、家にじっとしていられなくなるものです。
 また、寒いからと入ってコタツダルマでは健康的にもよくありません。
 そこで今回は軽い運動や散策などができる公園や新ソバを食べさせる施設を特集します。

 この季節、行楽の季節も終わって、まったくのオフシーズンなので人気も少なくゆったりと過ごす事が可能となる。しかし場所によっては営業を休止しているところもあるので事前の確認が必要ではあるが、隠れた穴場となるのではないだろうか?
 紅葉の後、落ち葉を踏みながらの歴史散策は情緒がある。草や木の葉で全貌がはっきりしなかった石垣や建物なども見えやすくなるので、確認がしやすいという利点も冬でこそ。
 よく晴れた日の日中は気持ちが良く過ごしやすいが、午後3時を過ぎる頃からは、一時間に数度づつという早さで冷え込み始めるというから注意も必要。日中の日照時間が短いのも残念な限り。(もちろん、日中ぽかぽか暖かく、日照時間が長ければ冬とは言いませんが………)

■田沼・葛生方面へ■
 必ずと言っていいほど一年に一度くらいは、この方面へキャンプやバーベキューに行くという人も多いのではないだろうかうか。しかしながら、いくたび事に施設が大きく変化、拡充していて期待度が大きいのも魅力の一つだと考えている。それほど、地形どおり奥が深い地域だ。都心からも交通の便が良いせいか、ベットタウンならぬリゾートタウンとしても注目される。

■須花坂公園・憩い館
 行ったときには、混雑していて待たされること1時間。しかし、『待つほどのうまい』と言われるそばの味は格別。もりそば400円から。一升打ち2500円。土曜、日曜、祝日の営業。AM11:00~PM3:00。もらったパンフレットには、『農村レストラン』と書いてあったが、ちょっと謙遜すぎたような気もする。山村レストランや山里レストランならもっとよかっただろう………

■あきやま学寮
 あきやま学寮にしゃれたレストラン『ベルフォレスト』がお目見えしたが、そばはメニューにないとか。しかしその周辺には2軒ほどのそば店があるのでご賞味あれ。
 また、古代生活体験村やログハウスの宿泊施設も充実している。行楽シーズンの利用には早めの予約が必要となる。

■蓬山ログビレッジ
 キャンプ場や、アスレチックなどが有名で、そばなどは付け足しだと思っていたのだが、さにあらず、おそばもイケる。残念ながら営業は9月30日までだった。

■根古屋森林公園・根古屋亭
 地そば350円から。うどんもある。土曜、日曜、祝日の営業。AM11:00~PM3:00。他に、和紙すきが体験できる飛駒和紙会館、バーベキュー施設・ハーブ園などもある。

■仙波そば
 一連のそば館の発祥地とも言える場所だけあって、そば通にもおなじみ。

■三毳山公園
 三毳山ってこんなにきれいな山だったのかとあらためて見直させるほど、整備された公園が出現。三毳山の最高峰、竜ケ岳を富士山に見立てると箱根あたりのリゾート地に来たかと見まちがうほど。異国情緒もあり、一瞬別世界に来た錯覚に目がくらむ思い。
 わくわく滑り台、富士見台、冒険砦、わんぱく広場、ハングライダーなど見所いっぱい。敷地が広すぎて一日で全部を見て回るのは無理。里山なので高低差がある程度あり、徒歩で散策するのはきつく、おいおいバスの利用となるが、このバス代金がちょっと高めの設定ではないだろうか。ほとんど入園料と思えるほどの値段。子どもずれの五人家族ではなんと1900円(一日中乗り降り自由だが)。

■とちぎ花センター
 テレビドラマのロケに使われているので、最近注目されている。そのためか付近には他府県ナンバーの車が多く見られた。
入館料大人400円、子ども200円。開館時間・AM9:00~PM4:30。休館日・毎週月曜日・12月28日から1月4日。

■遊水池公園
とにかく広大な敷地だから、思いっきり体を動かしたい。ジョギングや散策、水上スポーツや釣りなどが楽しめる。谷中村跡散策もお忘れなく。

■佐野市運動公園
 陸上やテニス、野球、フィールドアスレチック、ローラー滑り台など楽しみ方いっぱい。また木々の葉も落ちるので、古墳群散策もしやすくなる。