■こならの森132号■1999.4発行
表紙 「バスタブ花」
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森5月号■
3pとしこの巻頭詩「ぼたん」
4p-7pJC・ルネッサンス 寺澤 芳男
8pヤンバル・お店紹介『あんず亭三楽 』
9p誕生しました 金原さん夫妻
10-11p ショート「花」
12-19p 特集 みかも山公園
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評「ガメラ3」
23p 書評「官僚…」・絵本紹介「おしゃべりな…」
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から「食材」
■■■■■■
【本文抜粋記事】
JC・ルネッサンストーク
寺澤 芳男さん
■PROFILE
寺澤 芳男(てらさわ よしお)
1931年 佐野市生まれ。
1988年 日本の民間人として初めて国
際機関、MIGA(世界銀行傘下の多数国間投資保証機構)の
初代長官に就任。
1994年 羽田内閣において国務大臣・経済企画庁長官に就任。
1997年 外務委員長、環境特別委員、
寺澤 芳男氏より、ひとのアイデンティティについてグローバルな視点からお話をいただきました。
~日本はまだ発展途上国~
@兵藤 ビッグバンは単なる金融再編ではなく、今ある全てのものの再編であるとお話されていました寺澤さんですが、佐野を離れ、日本を離れ、多くの時間を外から眺め、考える時間があったかと思いますが、外から見た日本をどのように捉えられていますでしょうか。
@寺澤 私は、22年間アメリカにいましたが、地方分権があたりまえです。まず、自分の住んでいる地域があって、それがどの州に属しているかが重要です。極論を言うと政府というのはない方が良いと思われている。しかし、一つの国家を形成しているわけですから、軍隊、郵便や外交などは、必要とされています。そういう国に22年間も住んでしまったので、日本に帰ってくると逆カルチャーショックを受けるんですね。日本からアメリカへ行ったときは、カルチャーショックを受けて、そこに住み慣れて、日本に帰ってくるとまたカルチャーショックを受けるんです。
@兵藤 どんなところに感じるのでしょうか。
@寺澤 日本は発展途上国的なところがまだ非常に残っているんですね。本当に日本が発展途上国であれば致し方ないが、アメリカを凌ぐような一人当たりの所得があり、しかもアメリカに次いでナンバー2の経済大国になり、どの点から見ても先進国であるにもかかわらず、国の形としては発展途上国である。ということは、やはり、ビッグガバメントであり、3割自治なんでしょうね。税金は全部中央政府に集められ、それを地方に分配する。すべて政府が中心になっていて、その不足分を地方がまかなうという形なんですね。
@兵藤 まだまだ地域の自立ができていない。言葉を変えれば個人の自立ができていないからでしょうか。ところで、寺澤さんは最近出版された著書の中で、「私には祖国愛がない」といったことをお書きになっておりますが、日本人としてのアイデンティティーといったことについてお話いただけますでしょうか。
@寺澤 私は、佐野で育って1945年(昭和20年)の戦争が終わる前の年に当時の栃木県立佐野中学校に入ったわけですね。そして、昭和20年に2年生になり、その年の8月15日が終戦だったんですが、それで私が感じたことは今まで日本のために死ねと言っていた大人達が豹変して民主主義と言い出したんですね。私は14歳の少年で、良く訳が分からなかったですが、いったい日本というのは何だったのか、神国日本といわれ、神の国だから絶対戦争に負けるはずがない、最後まで戦うんだという教育であったものがいきなり変わった。思春期にあった我々には大人達の変わりかたというのは非常にショックを受けました。
@兵藤 いやな国だなという印象を強く受けたわけですね。
@寺澤 その後、早稲田大学に入って一人の教授が、「俺達が悪かった。俺達が体を張ってでもああいうバカな戦争は阻止すべきであった。一部のグループの連中が牛耳っていた政府に楯突くこともできず、ああいう悲惨な戦争に突入してしまったんだ。」という反省の弁を聞きましたが、その教授一人くらいであとはほとんどアメリカ様々、民主主義、本当にものすごい変わり様、何だこの国はと感じ、そこに日本国に対する不信というのが私の場合は根付いたんですね。
@兵藤 他に当時のことはなにかありますか。
@寺澤 当時は、今と違って相当優秀な子供で、もっと上の学校で勉強したいと本人も思い、それだけの実力があっても、中学だけで就職してしまう子供がたくさんいました。「どうして裕福な家の子供しか上の学校に行けないのか。なぜ、裕福でない人達は行きたいのに進学をやめなければならないのだろうか。」と私は悩みました。今考えると「どうしてアルバイトをしないのか。」など考えますが、その当時はそういう状況にありました。だからといって「アメリカが良い」というまでの考えには及びませんでしたが、貧しい人達と裕福な人達の隔たりとか、戦争中の大人達が戦後豹変した生きざまなど、日本に対するショッキングな経験をしました。
@兵藤 大変な時代だったわけですね。
@寺澤 それからアメリカへ渡って、ワシントンのホワイトハウスの前の広場に寝ころんでいた時、この美しい情景が自分の祖国であったなら、この美しい国に侵入してこようとする他国があったら、侵入者に対して自ら美しい祖国を守るために戦うかもしれないというような意外なことを考えていました。「どうして日本にいたときにこの美しい国を守ろうとしなかったのか、自分は日本人ではないのか」とまた悩む事になりました。
@兵藤 悩み多き青春時代だったわけですね。
@寺澤 今、アメリカ人、フランス人などがアメリカ人的な考え方、あるいはフランス人的な考え方ということを容認して、むしろ容認どころかアイデンティティーとして他の国に対して誇らしそうに、フレンチなんだ、アメリカンなんだというのと同じように、ジャパニーズなんだというのが私の場合、素直に言えない。その辺の心の傷というものを、私達の年代の人達は皆持っていると思います。
@兵藤 私は、「プライベート ライアン」などのアメリカ映画を見る時、国への忠誠や国民としての誇りをかきたてられる国民性をうらやましく思います。今、私達は、あまりにも自分自身に自信がないからでしょうか。外国人から質問をされた時、ほとんどの人たちが答えることができません。単に外国語が話せないのではなく、自分自身の考え方のベース、アイデンティティーが失われているので、答えられないのでしょう。ですからそういったベースの部分を取り戻すことが必要ではないかと思います。
~改革は「スクラップ・アンド・ビルド」~
@寺澤 私は野村證券退職後、あるきっかけで世界銀行の姉妹機関であるMIGA(多数国間投資保証機関)の初代長官としてまたワシントンに赴任しました。この機関は発展途上国の経済開発の仕事をしていますが、一證券会社の利益の追求ためにという仕事とは私の生活もまるっきり変わってきたんですね。初めて発展途上国に旅行もしました。そこから私の世界観が変わってきました。
@兵藤 どのようにでしょうか。
@寺澤 簡単に言うと、65億人位地球上に人間がいて、発展途上国が55億人位、先進国が10億人位、これから20年位経つと100億人位になると思います。こうなると発展途上国が益々増えて、もうドイツなどは人口が減少してきておりますし、日本もあと十数年後には減り始めます。そうなりますと100億人の内、8億人が先進国で、92億人が発展途上国になるんですね。そうなった場合に南北問題というのが非常に大きくなってくると思います。それから環境問題。この問題は、それぞれの国家が言い合いをしているようでは解決はされないと思います。発展途上国は経済発展を考えますし、先進国は環境を考えますので、そこでどうしても合わない。また、安全保障の問題ですね。
そういうことを考えますと、私は「世界連邦」というのをどこかの時点で人間の英知を集めて作っていかなければいけないと思います。ヨーロッパの通貨がユーロという単位で統一されましたが、あのように地域地域で統一国家ができてきて、それが最終的に世界連邦となるのかは別として、そのようにならないと国家間の様々な問題は解決できないのではないかという思いが強くあります。
@兵藤 青年会議所では、地球市民(国境を越え、地球益を目指した市民)を唱えておりますが、持続可能な社会の実現には必ずこのような考え方が必要になってくると思われます。
@寺澤 私は、国会議員の生活を6年してきましたが、政治家の限界を非常に感じました。これは政治家になる前から考えていたことですが、政治家は、日本の衆議院議員でも参議院議員でも、アメリカの上院議員や下院議員でもまったく同じで、常に考えるのは選挙人の事であり、輪を広げたとしてもその国の事ですよね。本当に人類のことや地球のことを考えている政治家も、うったえても票になりませんから、語ろうとしません。はたして、国のことや選挙区のことしか考えない政治家達に政治をまかせて、いったいどうなるのだろう。前から思っていた素朴な疑問を、国会議員を経験した後も強烈に考えています。
@兵藤 それが現実なのでしょうか。
@寺澤 しかし、多国籍企業の経営者達は、製品を販売するにも、4分の1は日本国内ですが、後の4分の3は日本以外で販売していますし、株主も日本の株主よりも外国人の方が多いかもしれない。こうなってくると、好むと好まざるとに関わらず、インターナショナルな経営方針をとらなければいけない。ですから、経済人の方が、政治家よりもグローバルな物の考え方をしていると思います。
@兵藤 グローバルな考え方に変えるのは時間が必要なのでしょうか。
@寺澤 変革というのが日本の場合、非常に難しい。今まで、ペリーが来航して、開国を迫ったとか、戦争で負けて国が変わったというような、外圧がきっかけになっているんですね。
今後、日本が大きく変わるためには、また外圧が必要なのか。国民の内意で変えられるのが理想ですが、日本の場合はそれが難しい。そういった悩みが私にもあります。それから、私達が死んだ後、我々の子供達、孫達がはたしてこの日本をどうするのかということも考えますね。どちらかといえば、明るい絵よりも暗い絵になってしまって、そんな優秀な日本人が存続する限りにおいては、けっしてそんな暗い絵を思い描く必要はないんだと自分には言い聞かせてはいますがね。
@兵藤 いずれ大きな変化が必要なのはどなたも考えることでしょう。しかし、今、その変化を起こさないと、取り返しがつかなくなるような気がしてなりません。
@寺澤 永田町の政治家もさることながら、国民一人一人が「自分が痛い目にあうのはまっぴらだ、自分が痛い目にあわない範囲での改革であれば賛成である。」というのは、当然、そうでしょう。改革というのは、「スクラップ・アンド・ビルド」ですね。スクラップということは壊すということですから、すべてを壊さなければいけない。良いところはとっておいて、悪いところだけを壊すという意見は非常に説得力があり、皆が賛成するでしょう。しかし、壊すということは全ての物を壊して新しい物をビルドすることしかできないですね。そこが難しい事であり、良いところと悪いところを足して2で割るということもしますが、それも、説得力のある考え方ではあるが、実際問題としてはできない。
その辺も私は思うんですが、それがジレンマというか、日本国全体を考えた場合に私の憂鬱の元になっているのですね。
~市町村合併と経済圏~
@兵藤 最後になりますが、佐野青年会議所では、一昨年、合併協議会の設置の署名活動を行いまして、住民の約2割の方々の署名をいただきました。そして、昨年の4月に合併協議会が正式に立ち上がりました。実際に合併協議会が設置されてしまいますと住民側からは協議会にゲタをあずけてしまったんだということからか、ここにきて自分事という意識が少し薄れてきているように思えるんですね。そういった感情を高めていくことは非常に難しいことなのですが、なにかお考えがありましたらお願いします。
@寺澤 全国で地方自治体が3300位ありますよね。その行政区域一つ一つに文化会館があり、公民館があり、役所等がありますから、たとえば、企業のリストラのような考え方で合理的に考えれば、数を少なくしてお金を効果的に使う。それによって、行政の費用を安く押さえることができる、というような大きな流れのメガトレンドはあるんですよね。
その事と佐野市、田沼町、葛生町の合併を同一に論ずることができるかどうか解りません。あたりまえの話ですが、やはり住んでいる人達の介護の問題、医療の問題その他いろいろな問題で、あくまでもその立場からメリットが多ければ合併したら良いであろうし、メリットがなければ合併しなければよいだろうとは思います。しかし、メガトレンドとしては合併ではないでしょうか。
@兵藤 本来からいえば道州制的な発想をしていただきますと、この地域は県南で、群馬県の太田市や館林市も群馬県からはずれているんですね。この辺は両毛地域といいまして、経済圏として成り立てれば、人口も100万人弱になります。可能性が秘められている場所といわれています。
@寺澤 私もそう思いますね。当時、同じ栃木県といっても宇都宮に対するよりも、両毛線沿線の方が身近であったし、栃木県政も常に宇都宮の方によってしまって、佐野には見向きもしないという時代でした。両毛地域が一緒になって経済圏ができたほうが良いのかもしれませんね。
@兵藤 私達に必要なのは「スクラップ・アンド・ビルド」これ一言につきますね。
本日はありがとうございました。
表紙 「バスタブ花」
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森5月号■
3pとしこの巻頭詩「ぼたん」
4p-7pJC・ルネッサンス 寺澤 芳男
8pヤンバル・お店紹介『あんず亭三楽 』
9p誕生しました 金原さん夫妻
10-11p ショート「花」
12-19p 特集 みかも山公園
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評「ガメラ3」
23p 書評「官僚…」・絵本紹介「おしゃべりな…」
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から「食材」
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【本文抜粋記事】
JC・ルネッサンストーク
寺澤 芳男さん
■PROFILE
寺澤 芳男(てらさわ よしお)
1931年 佐野市生まれ。
1988年 日本の民間人として初めて国
際機関、MIGA(世界銀行傘下の多数国間投資保証機構)の
初代長官に就任。
1994年 羽田内閣において国務大臣・経済企画庁長官に就任。
1997年 外務委員長、環境特別委員、
寺澤 芳男氏より、ひとのアイデンティティについてグローバルな視点からお話をいただきました。
~日本はまだ発展途上国~
@兵藤 ビッグバンは単なる金融再編ではなく、今ある全てのものの再編であるとお話されていました寺澤さんですが、佐野を離れ、日本を離れ、多くの時間を外から眺め、考える時間があったかと思いますが、外から見た日本をどのように捉えられていますでしょうか。
@寺澤 私は、22年間アメリカにいましたが、地方分権があたりまえです。まず、自分の住んでいる地域があって、それがどの州に属しているかが重要です。極論を言うと政府というのはない方が良いと思われている。しかし、一つの国家を形成しているわけですから、軍隊、郵便や外交などは、必要とされています。そういう国に22年間も住んでしまったので、日本に帰ってくると逆カルチャーショックを受けるんですね。日本からアメリカへ行ったときは、カルチャーショックを受けて、そこに住み慣れて、日本に帰ってくるとまたカルチャーショックを受けるんです。
@兵藤 どんなところに感じるのでしょうか。
@寺澤 日本は発展途上国的なところがまだ非常に残っているんですね。本当に日本が発展途上国であれば致し方ないが、アメリカを凌ぐような一人当たりの所得があり、しかもアメリカに次いでナンバー2の経済大国になり、どの点から見ても先進国であるにもかかわらず、国の形としては発展途上国である。ということは、やはり、ビッグガバメントであり、3割自治なんでしょうね。税金は全部中央政府に集められ、それを地方に分配する。すべて政府が中心になっていて、その不足分を地方がまかなうという形なんですね。
@兵藤 まだまだ地域の自立ができていない。言葉を変えれば個人の自立ができていないからでしょうか。ところで、寺澤さんは最近出版された著書の中で、「私には祖国愛がない」といったことをお書きになっておりますが、日本人としてのアイデンティティーといったことについてお話いただけますでしょうか。
@寺澤 私は、佐野で育って1945年(昭和20年)の戦争が終わる前の年に当時の栃木県立佐野中学校に入ったわけですね。そして、昭和20年に2年生になり、その年の8月15日が終戦だったんですが、それで私が感じたことは今まで日本のために死ねと言っていた大人達が豹変して民主主義と言い出したんですね。私は14歳の少年で、良く訳が分からなかったですが、いったい日本というのは何だったのか、神国日本といわれ、神の国だから絶対戦争に負けるはずがない、最後まで戦うんだという教育であったものがいきなり変わった。思春期にあった我々には大人達の変わりかたというのは非常にショックを受けました。
@兵藤 いやな国だなという印象を強く受けたわけですね。
@寺澤 その後、早稲田大学に入って一人の教授が、「俺達が悪かった。俺達が体を張ってでもああいうバカな戦争は阻止すべきであった。一部のグループの連中が牛耳っていた政府に楯突くこともできず、ああいう悲惨な戦争に突入してしまったんだ。」という反省の弁を聞きましたが、その教授一人くらいであとはほとんどアメリカ様々、民主主義、本当にものすごい変わり様、何だこの国はと感じ、そこに日本国に対する不信というのが私の場合は根付いたんですね。
@兵藤 他に当時のことはなにかありますか。
@寺澤 当時は、今と違って相当優秀な子供で、もっと上の学校で勉強したいと本人も思い、それだけの実力があっても、中学だけで就職してしまう子供がたくさんいました。「どうして裕福な家の子供しか上の学校に行けないのか。なぜ、裕福でない人達は行きたいのに進学をやめなければならないのだろうか。」と私は悩みました。今考えると「どうしてアルバイトをしないのか。」など考えますが、その当時はそういう状況にありました。だからといって「アメリカが良い」というまでの考えには及びませんでしたが、貧しい人達と裕福な人達の隔たりとか、戦争中の大人達が戦後豹変した生きざまなど、日本に対するショッキングな経験をしました。
@兵藤 大変な時代だったわけですね。
@寺澤 それからアメリカへ渡って、ワシントンのホワイトハウスの前の広場に寝ころんでいた時、この美しい情景が自分の祖国であったなら、この美しい国に侵入してこようとする他国があったら、侵入者に対して自ら美しい祖国を守るために戦うかもしれないというような意外なことを考えていました。「どうして日本にいたときにこの美しい国を守ろうとしなかったのか、自分は日本人ではないのか」とまた悩む事になりました。
@兵藤 悩み多き青春時代だったわけですね。
@寺澤 今、アメリカ人、フランス人などがアメリカ人的な考え方、あるいはフランス人的な考え方ということを容認して、むしろ容認どころかアイデンティティーとして他の国に対して誇らしそうに、フレンチなんだ、アメリカンなんだというのと同じように、ジャパニーズなんだというのが私の場合、素直に言えない。その辺の心の傷というものを、私達の年代の人達は皆持っていると思います。
@兵藤 私は、「プライベート ライアン」などのアメリカ映画を見る時、国への忠誠や国民としての誇りをかきたてられる国民性をうらやましく思います。今、私達は、あまりにも自分自身に自信がないからでしょうか。外国人から質問をされた時、ほとんどの人たちが答えることができません。単に外国語が話せないのではなく、自分自身の考え方のベース、アイデンティティーが失われているので、答えられないのでしょう。ですからそういったベースの部分を取り戻すことが必要ではないかと思います。
~改革は「スクラップ・アンド・ビルド」~
@寺澤 私は野村證券退職後、あるきっかけで世界銀行の姉妹機関であるMIGA(多数国間投資保証機関)の初代長官としてまたワシントンに赴任しました。この機関は発展途上国の経済開発の仕事をしていますが、一證券会社の利益の追求ためにという仕事とは私の生活もまるっきり変わってきたんですね。初めて発展途上国に旅行もしました。そこから私の世界観が変わってきました。
@兵藤 どのようにでしょうか。
@寺澤 簡単に言うと、65億人位地球上に人間がいて、発展途上国が55億人位、先進国が10億人位、これから20年位経つと100億人位になると思います。こうなると発展途上国が益々増えて、もうドイツなどは人口が減少してきておりますし、日本もあと十数年後には減り始めます。そうなりますと100億人の内、8億人が先進国で、92億人が発展途上国になるんですね。そうなった場合に南北問題というのが非常に大きくなってくると思います。それから環境問題。この問題は、それぞれの国家が言い合いをしているようでは解決はされないと思います。発展途上国は経済発展を考えますし、先進国は環境を考えますので、そこでどうしても合わない。また、安全保障の問題ですね。
そういうことを考えますと、私は「世界連邦」というのをどこかの時点で人間の英知を集めて作っていかなければいけないと思います。ヨーロッパの通貨がユーロという単位で統一されましたが、あのように地域地域で統一国家ができてきて、それが最終的に世界連邦となるのかは別として、そのようにならないと国家間の様々な問題は解決できないのではないかという思いが強くあります。
@兵藤 青年会議所では、地球市民(国境を越え、地球益を目指した市民)を唱えておりますが、持続可能な社会の実現には必ずこのような考え方が必要になってくると思われます。
@寺澤 私は、国会議員の生活を6年してきましたが、政治家の限界を非常に感じました。これは政治家になる前から考えていたことですが、政治家は、日本の衆議院議員でも参議院議員でも、アメリカの上院議員や下院議員でもまったく同じで、常に考えるのは選挙人の事であり、輪を広げたとしてもその国の事ですよね。本当に人類のことや地球のことを考えている政治家も、うったえても票になりませんから、語ろうとしません。はたして、国のことや選挙区のことしか考えない政治家達に政治をまかせて、いったいどうなるのだろう。前から思っていた素朴な疑問を、国会議員を経験した後も強烈に考えています。
@兵藤 それが現実なのでしょうか。
@寺澤 しかし、多国籍企業の経営者達は、製品を販売するにも、4分の1は日本国内ですが、後の4分の3は日本以外で販売していますし、株主も日本の株主よりも外国人の方が多いかもしれない。こうなってくると、好むと好まざるとに関わらず、インターナショナルな経営方針をとらなければいけない。ですから、経済人の方が、政治家よりもグローバルな物の考え方をしていると思います。
@兵藤 グローバルな考え方に変えるのは時間が必要なのでしょうか。
@寺澤 変革というのが日本の場合、非常に難しい。今まで、ペリーが来航して、開国を迫ったとか、戦争で負けて国が変わったというような、外圧がきっかけになっているんですね。
今後、日本が大きく変わるためには、また外圧が必要なのか。国民の内意で変えられるのが理想ですが、日本の場合はそれが難しい。そういった悩みが私にもあります。それから、私達が死んだ後、我々の子供達、孫達がはたしてこの日本をどうするのかということも考えますね。どちらかといえば、明るい絵よりも暗い絵になってしまって、そんな優秀な日本人が存続する限りにおいては、けっしてそんな暗い絵を思い描く必要はないんだと自分には言い聞かせてはいますがね。
@兵藤 いずれ大きな変化が必要なのはどなたも考えることでしょう。しかし、今、その変化を起こさないと、取り返しがつかなくなるような気がしてなりません。
@寺澤 永田町の政治家もさることながら、国民一人一人が「自分が痛い目にあうのはまっぴらだ、自分が痛い目にあわない範囲での改革であれば賛成である。」というのは、当然、そうでしょう。改革というのは、「スクラップ・アンド・ビルド」ですね。スクラップということは壊すということですから、すべてを壊さなければいけない。良いところはとっておいて、悪いところだけを壊すという意見は非常に説得力があり、皆が賛成するでしょう。しかし、壊すということは全ての物を壊して新しい物をビルドすることしかできないですね。そこが難しい事であり、良いところと悪いところを足して2で割るということもしますが、それも、説得力のある考え方ではあるが、実際問題としてはできない。
その辺も私は思うんですが、それがジレンマというか、日本国全体を考えた場合に私の憂鬱の元になっているのですね。
~市町村合併と経済圏~
@兵藤 最後になりますが、佐野青年会議所では、一昨年、合併協議会の設置の署名活動を行いまして、住民の約2割の方々の署名をいただきました。そして、昨年の4月に合併協議会が正式に立ち上がりました。実際に合併協議会が設置されてしまいますと住民側からは協議会にゲタをあずけてしまったんだということからか、ここにきて自分事という意識が少し薄れてきているように思えるんですね。そういった感情を高めていくことは非常に難しいことなのですが、なにかお考えがありましたらお願いします。
@寺澤 全国で地方自治体が3300位ありますよね。その行政区域一つ一つに文化会館があり、公民館があり、役所等がありますから、たとえば、企業のリストラのような考え方で合理的に考えれば、数を少なくしてお金を効果的に使う。それによって、行政の費用を安く押さえることができる、というような大きな流れのメガトレンドはあるんですよね。
その事と佐野市、田沼町、葛生町の合併を同一に論ずることができるかどうか解りません。あたりまえの話ですが、やはり住んでいる人達の介護の問題、医療の問題その他いろいろな問題で、あくまでもその立場からメリットが多ければ合併したら良いであろうし、メリットがなければ合併しなければよいだろうとは思います。しかし、メガトレンドとしては合併ではないでしょうか。
@兵藤 本来からいえば道州制的な発想をしていただきますと、この地域は県南で、群馬県の太田市や館林市も群馬県からはずれているんですね。この辺は両毛地域といいまして、経済圏として成り立てれば、人口も100万人弱になります。可能性が秘められている場所といわれています。
@寺澤 私もそう思いますね。当時、同じ栃木県といっても宇都宮に対するよりも、両毛線沿線の方が身近であったし、栃木県政も常に宇都宮の方によってしまって、佐野には見向きもしないという時代でした。両毛地域が一緒になって経済圏ができたほうが良いのかもしれませんね。
@兵藤 私達に必要なのは「スクラップ・アンド・ビルド」これ一言につきますね。
本日はありがとうございました。