■ ■■■■■ ■ 日刊 こならの森 ■ ■■■■■ ■

* * * *  *  * * * *
東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森154号

2008-05-26 | 101号~200号
       ■こならの森154号■2001.2発行
表紙 「桜草(ブルー) 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森3月号■



■154号→

ヤンバルのー子の青春レストラン……4
結婚しました。…………………………5
佐野JC・教育フォーラム……………6
特集・関東フォーラムとちぎ………10
風の独り言………………………………18
現代国語辞典……………………………19
やぶいしゃのひとりごと………………20
書評/絵本紹介…………………………21
インフォメーション……………………22
 [映画・本・CD・ビデオ・コンサート]
各市文化会館情報………………………24
タウン情報………………………………26
安佐の人名クイズ………………………27
協賛店マップ……………………………28
こならの森から…………………………30

■■■■■■■■■■■■■■■

【本文抜粋記事】


佐野JC・教育フォーラム
「あなたは自分の“マチ”が好きですか?
子供達にどんな“マチ”を贈りますか?」


日本ふるさと塾 主宰 
萩原 茂裕さん


中里 今年3月に佐野青年会議所が行う教育講演会の中で、萩原先生には「ふるさと」の良さを再認識するためのご講演をしていただく事になっております。また、先生は日本ふるさと塾を主宰されているということです。そこで、先生の出身は旭川ということをお聞きしましが、生まれ故郷の旭川の「ふるさと」という感覚と、こちら(埼玉)の「ふるさと」という感覚の違いというか、どちらが先生にとっての「ふるさと」なのか、まずお聞かせ願いたいのですが。

萩原 それは未だに旭川ですね。旭川のことは一番心配になります。ですが、現在、私の票田は日本ですから旭川にはもう戻れないのです。以前に「市長に出てみたら」という話がでたことがありましたが、首長になってマスコミに取り上げられて、日本中講演に周る人がいますがそれは違うと思います。票は地元からもらっている訳で、市長になったら外に出るのはおかしいと思うのです。そういう人は日本中にたくさんいますが。

中里 そうすると、先生にとっては日本中に「ふるさと」があるという発想なのでしょうか。先生が感じる「ふるさと」とは、全国の色々な地域の人々と、心と心の触れ合いや感動といったものをあちこちで改めて味わいたいということなのではないでしょうか。

萩原 他にいけば教わります。座っていたら教わりません。また、私はお金を頂いたうえに勉強させて頂いているということは、凄い事だと思います。なかには子供に教わることもあります。もうひとつは、私自身、年上の人よりも年下の人との接触が多いので、尚も勉強になります。だから年を取っていられないんです。

中里 ですからいつまでもお若いわけですね。それと、今の学校の現状や社会問題のなかで「自由と規律」或いは「自由と管理」の関係が問われております。欧米のほうでは「個人を大切する」というような捉えかたをするようですが、ところが、日本の場合は「自分だけよければよい」というような感覚になってきてしまったような気がします。そういったことは、規律の中で学ぶべきものだとは思うのですが、そのような「自由と規律」の関係をどう学ぶべきものなのか、またはどう思われてますか。

萩原 「自由と規律」というなかの「自由」を勘違いしていると思います。個人の捉え方が日本の場合は少しずれていて、日本の「自由」はもらった「自由」ですが、ヨーロッパの自由は勝ち取った「自由」なんです。それは何のためなのかというと、国のためにです。日本の場合の「自由」は自分のためなんです。その違いがかなり開いてくるわけです。自分さえ良ければ良いと言ったような。だから、自分だけよければ良い訳ですから「要求」なんです。その違いだと思います。つまり、勝ち取った自由と貰った自由の違いだと思います。

中里 私は最近「私たちが生きた世紀」という、世紀とはどういう100年だったのかが書かれたエッセイ集を読みました。戦争体験をされた方の話が多いのですが、それを読むと、戦時中は強制的だったかもしれませんが、家族や国を守るためにという思想があったように思います。それが当たり前の感覚だったのかなと思います。ところが現在はそういう感覚があるのでしょうか。子供達が関わる色々な凄惨な事件が数多くありますが、日本人は、今後どのようにしていったら良いのでしょうか。

萩原 その時はどうなっていたかというと、戦争は家族とか国を守るというのが普通だったのですが、現状は親・子供のために、地域のために、国のためにという事がすっかりなくなってしまったという事です。意図して占領した国がやっているかもしれません。変な考え方をするとですけど。最近私はよくこの話をするのですが、ある国を無くそうと思ったら時間はかかるけど、戦争をしなくてもいいんです。教育からやっていけばいいのです。その国を嫌いにさせる教育をしていけばいいのです。そうすればその国はいつか絶対に無くなります。

中里 そうですね。最近では国歌を歌おうとしない若者が増えていますからね。

萩原 日本の素晴らしさを日本人の多くは気が付いていない。だから皆、海外へ出て行った子供たち、大人たちが帰ってきてから日本の偉大さが分かるということです。日本は島国です。他の国は一歩踏み出せばよその国ですから国際感覚は分かりますが、日本はそうではないので国際感覚が分からない。ですからどこかの国が意図してやっていることだと考えたら、非常に恐ろしいことだと思います。それは国のために、地域のためにという発想をなくされたと思います。それと最近思うことは、昔語りをしていないということです。昔は家庭のなかに三世代も生活していた訳ですから、おじいちゃんやおばあちゃんの苦労話を聞かせてもらいました。今はその話も聞けません。おじいちゃんおばあちゃんと繋がってないのですから。長い歴史の繋がりというものを知りません。それと私が最近気が付いたことは、年をとった年配の方は体のどこかが悪くなってきてもそれを隠すことです。これは隠してしまってはダメなんです。そういう時は孫たちに教えないといけないのです。そういうことが無くなってきてしまった。しかしそういう世相をつくったのは我々の責任だと思います。

中里 今、「新しい教科書をつくる会」という運動があります。現在は、日本の歴史について、自虐的な叙述で犯罪者扱いの表現しかしていない教科書が多いそうです。栃木県の中で『安佐地区』の教科書が一番ひどいと言われています。確かにそういった戦争はありました。悪い事は悪いと謝ることは大切ですが、日本人には、神仏を中心とする精神的な良い考え方もありますので、そのあたりの正しい歴史を教えていないのではないかなと思います。

萩原 自分の国を悪く教育する国はありません。あのロシアでさえ自分の国を自慢している訳です。国を滅ぼそうとする意識が働いてるのかもしれませんが。生まれたところを本能で好きになるわけですが、日本の場合はそれを壊してしまっている教育があると思います。

中里 色々な外圧でそうしているのか、先ほど先生が言われました国を滅ぼそうという意識が働いているのかもしれませんね。

萩原 最近ここへ友人のお嬢さんが来て、本人が言った言葉は「私は日本に帰ってきて5年経ちましたが、大変ショックを受けました。それは日本の子供たちが自分たちの国を自慢しないことです」と言われて、そのとき私は気がつきました。私が学生時代ですが、先生に「戦争で敗れて無くなった国は沢山あるが、戦争に敗れなくても無くなった国がある」と言われたのを思い出しました。なぜ敗れていないのに無くなったのかというと、「ある国がその国を滅ぼそうとして、その国の子供たちに自分たちの住む国を嫌いになってしまう教育を続けていったら100年、200年後には無くなる」と言われました。まさしくその渦中に日本があるのです。それをみんなが気が付いていないのです。

中里 そこで、特に先生にお伺いしたいのですが、これからの子供たちに、どういう形で日本人の良さを伝えていったら良いのか、日本の自慢出来る部分を子供達にどう表現したら良いのかお聞かせ願いたいのですが。

萩原 その前に日本は昔、他の国から「日本のここが素晴らしい」といったように、色々と誉められたところは沢山あったと思います。そこから勉強するべきだと思います。世界の目から見たら日本という国にはどういう価値があったのか。そうすると、日本という国は礼儀正しいとか親切だという評価をされていたかと思いますが、それは一体どこなのかということです。昔の人には武士道というものがありましたが、そういうところを勉強するべきだと思います。日本人の良さはそこに出ていると思います。そういう勉強は今は無いですね。

中里 「お互い様の心」や「おもてなしの心」といった日本古来の精神文化ですね。

萩原 そうです。そのころは周りを考えての生活というものが沢山ありました。色々な教育がありましたから、これからはそれを噛み砕いて話してあげることが教育だと思います。それと、他人のために流す汗で勉強できるということもあります。昔はそういう教育がありました。例えば瀬戸大橋が掛かりました。これは誰が掛けたのか。国民の税金です。そこで瀬戸大橋にありがとうという教育をすればよいわけです。今はそういう教育がないと思います。
 アトランタオリンピックが始まる前の年のことですが、農業共済組合の月刊誌の原稿を頼まれてまして締め切りが迫っておりました。そのときに、テレビで千葉の幕張にて開催されていた、国際柔道選手権の試合を見ていましたら、そこで日本の選手が負けました。外国の選手は握手してきたり抱きついてきたりしますが、日本の選手は全員それを振り払って、ふてくされたように帰っていくんです。そこで私が昔、先生に言われたことを思い出しました。「柔道・剣道は日本のお家芸で、基本は心・技・体だぞ。試合に負けても勝っても試合をさせてもらってありがとうという気持ちで挨拶することが基本だ」ということです。案の定、日本の選手はオリンピックでは惨敗してしまいました。

中里 私も剣道の経験がありますが「礼に始まって礼に終わる」ということを教えられました。それが武士道だと思います。全てのことに感謝ということで、家庭の中での躾ということにおいても親が示していかなくてはならないと思います。最近は、ありがとうと言えない子供というのも大きな問題だと思います。先ほど先生がお話されたように、日本人の良さなり昔からの伝統文化やその心というものを少しでも広められるよう、私の家庭でも実践していきたいと思いますし、青年会議所メンバーの家庭のなかでも一人ひとりが実践してもらいたいと思います。そういうところから「個人」と「おおやけ公」或いは、「個人」と「団体」の調和する関係について考えていきたいと思います。

萩原 私は、全部が教育だと思いますが、先日電車に乗っていましたら隣の席でまだ小学生くらいでしょうか、男の子と女の子そしてお母さんの家族がおりました。そのお母さんが週刊誌を読んでいたところ、雑誌のなかでヌード写真が出てきました。そこで娘さんが「おかあさん、いやらしい!」と言ったわけです。そこでお母さんはこういいました。「お母さんはそう思わないわよ。とてもきれいだと思うわよ!」これぞ教育だと思います。すごい教育だと思いました。

中里 そういった教育を私たちも実践していきたいと思います。先生におかれましては今後とも、様々な日本の良さを国中で発信して頂ければと思います。特に、3月の教育講演会ではその部分のお話を宜しくお願い致します。本日はお忙しいところたいへんありがとうございました。

プ ロ フ ィ ー ル ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
萩原茂裕(はぎわら しげひろ)
 昭和4年(1929)北海道旭川市生まれ。経営コンサルタント時代から、一つの企業だけが良くなるだけではなく、地域全体が良くならなければと考えて地域開発を手がける。まちづくりは人づくりを唱え、現代の松下村塾たらんとして日本ふるさと塾を主宰する。国内飛行便利用回数年間平均約150便という数字が活動状況を物語る。
 大宅壮一マスコミ塾優等貰、蓮沼門三社会教育奨励賞受賞。「手づくりのふるさと」「日本人とまちづくり」「レッツ・ラブ運動の展開」「第四の教育」上・下「お互いの力でまちづくり」「あなたはふるさとが好きですか」等の著書がある。