■こならの森142号■2000.2発行
表紙 「 れんげ草」
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森3月号■
3pとしこの巻頭詩
4p-7p JCトーク
8p やんばる
9p 結婚 河内さん夫妻
10-11p NAZA報告「8」
12-19p 特集 北の中華街
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から
■■■■■■■■■■■■■■■
【本文抜粋記事】
『北の中華街』構想
■ラーメン横町
今回は、最近マスコミを賑わし、ちょっとしたまちの話題となっている『ラーメン横町』、そして『北の中華街構想』についての詳細を、提唱者である上岡一雄さんに伺いました。
佐野みやげ麺会会長・
(株)上岡商店代表取締役
上岡一雄さん
●最初にきっかけとなったことはなんですか。
商工会議所の専務さんとの会話の中で、「どこかに横町を造って下さい」というと、「そういう声は一杯あるけれど、まず空き店鋪を活用することを考えてみたら」と言われ、それがヒントとなりました。
よく考えたら駅前通りにも何軒かのラーメン屋さんがあり、大通りにも幾つかあって、間を埋めていけば全部繋がってしまう。そういう鳥瞰図が出来たわけです。
厄除けさんのお客さんも中央商店街までは入ってこない。ですから、なんとかそこまで引き込もうと思ったわけです。
それから来る人、来る人が訪ねることには、『横町』はどこですかということです。裏返せば『横町』があるものだと思っている。『ラーメン横町』というイメージは店が背中合わせにつながっているものですが、そういうものがあると思って来る。そしてがっかりして帰る人もいます。そんなことから横町は、みなさんが、望んでいるものだと思いました。
商店街に人を呼ぶということでは二つのことがあると思います。一つはこの地区の人を呼ぶ。いろいろ工夫すればできないことではないが、これには財力も、テクニックも必要です。それだけの努力をするのであれば、他からくるお客さんを誘致した方が懸命だと考えたわけです。
一つの大きな柱として、厄除けさんがある。ですから、もう一つの柱を作ってそこを中心に回遊させれば、町が活性化する。佐野市はラーメンの町ということで有名になっていますので、ラーメンが一番手っ取り早いと思いました。
横町も背中合わせのものを作るとなると、建物を作らなければいけないわけで大変です。そこで空き店鋪にラーメン屋さんが入ってもらうことを考えたわけです。
発火しないことには燃え上がりませんから、起爆剤になろうと思っています。
現在のところ申し込む人は少ないのですが、いい方向にいけば、我も我もということで、多くの人から協力してもらえるのではないかと思っています。
今のところは何の形もない、海のものとも山のものともわからないわけですから、様子を見ているのかなという気もします。もう一つには、郊外なら郊外で、もうお金をかけてしまっていますから、それを捨ててまで出店するということも、勇気のいることだと思います。
それから、話が錯綜して、誤解されている方も多いみたいですね。新年の二日に市役所で『ラーメン横町』というのをやったのですが、あれが新聞紙上にでた横町かと思った人がいるみたいです。あるいは、大通りに面したある店鋪が横町になるのではないかとか………。いろいろ、話がとんでしまいました。実際には、背中合わせの横町ではなくて横町ゾーンの中に中華街を造るということなのです。
●あえて困難な道を選んだようにも思えるのですが。
みんなにそういわれるんですよ。『大変だね』と。でも、内心はあまり大変だと思っていないんです。逆に楽しいと思っているくらいです。それが出来上がった時のことを思い描けば実に楽しい。例えば肉屋さんでは肉マンやシューマイを目の前で湯気を出して蒸かして売ってくださいとお願いしているわけです。肉屋さんの方もやろうと意欲的です。肉マンを食べながら、ウインドーショッピングをしながら楽しんでもらえる………ということを考えると、むしろわくわくしてきます。
●プラス・シンキングですね。
佐野ラーメンも一時は盛り上がったが、今はちょっと停滞ぎみですよね。ここで活を入れないといけないですね。厄除け大師さんには年間200万人からの観光客が来ます。その人達を、歩いて十二、三分の中央商店街まで誘導できれば、そこが活性化するわけです。いい素材があるんですが、活かし切っていないということですね。もうちょっと視点をかえたり、工夫すればできるわけですね。
今年の初頭から動きだそうと思ったのですが、まだラーメン屋さんも予定地にできていない。一部の商店がちょこっと中華のグッズを置いたくらいでは『行っても何もなかったよ』と、かえって評判を落としてしまう。ですから、4月のかたくりの里の頃を目指しています。春になれば、人の流れも動きも出てきますのでね。
2月のはじめには、キャラバン隊を市の商工課でやっています。そのせいもあって、その時期には人が集まります。シャトルバスがピストン輸送をしますね。そして現実に乗った人が、町中を散策している。それでなくても人が集まるのだから、その時までに立ち上げようと思っています。
今まではバスでくるわけですが、厄除けさんで降ろして参拝だけでかえってしまうというのがパターンです。それを厄除けさんで降ろしたら、バスは中央商店街で待っていますという風にする。嫌がおうでも歩かざるを得ないわけです。そうすれば中央商店街に誘導できますし、逆の方法も考えられます。地図を作って位置が分かるようにしておけば迷うこともないでしょう。
今でも家族で佐野にラーメンを食べにきて、足利学校でも見ていこうか、栃木の蔵の町へいこうか、ということで他に行き、佐野でそんなにぶらぶらしている人はいないと思います。
せっかくやって来た人が、町の中でラーメンを食べただけで帰られたのではもったいないです。ラーメンを食べた人が肉マンでも食べて、ちょっとしたグッズを買って町を散策する。それは、子どものグッズだけではなくて、いろいろそれぞれのお店が中華のものを置くことがいいと思います。例えば、靴屋さんはカンフーの靴、あるいは洋服屋さんではチャイナドレスとか、ブラウスとか、帽子とか。
お茶屋さんでは、中国茶とか急須とかというものを置いてもらいたいと思っていますし、文房具とかカバンとか、骨董品などを置く店もあったりして。後はわらじとかね。
今までの商品を、商売替えしてかえてしまうということではなくて、今までのお店づくりの中にプラスする。あまり負担がかからずにできると思います。
もう一ついいと思う素材は、東石美術館です。無料で絵を見せていただいているわけで、文化の香もするわけです。いい絵がたくさんあります。
もう一ついいと思うのは、こういう近代的な町並みの中に銭湯が二つもある。そして今流の銭湯「やすらぎの湯」もある。家族できて、ラーメンを食べ、町を歩いて、お風呂に入って、いい絵を見て帰れる。素材はたくさんある。観光資源がね。そういうものを活かさないことには、街が活性化しません。
もう少し、発想の転換をしてもらってみんなが力を合わせ努力をすれば、出来てしまうことです。
喜多方は有名になった。その頃は、毎日のようにテレビでラーメンの特集をやっていたわけです。それに追いつけ追い越せで、佐野が始めたのですが、途中でテレビのラーメン特集がなくなったので、喜多方ほど名前は浸透しなかった(味は佐野の方がよい)。佐野はかなり有名になりましたが、佐野に続けてと始めたところは、途中でとんざしています。
(後略)
表紙 「 れんげ草」
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森3月号■
3pとしこの巻頭詩
4p-7p JCトーク
8p やんばる
9p 結婚 河内さん夫妻
10-11p NAZA報告「8」
12-19p 特集 北の中華街
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から
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【本文抜粋記事】
『北の中華街』構想
■ラーメン横町
今回は、最近マスコミを賑わし、ちょっとしたまちの話題となっている『ラーメン横町』、そして『北の中華街構想』についての詳細を、提唱者である上岡一雄さんに伺いました。
佐野みやげ麺会会長・
(株)上岡商店代表取締役
上岡一雄さん
●最初にきっかけとなったことはなんですか。
商工会議所の専務さんとの会話の中で、「どこかに横町を造って下さい」というと、「そういう声は一杯あるけれど、まず空き店鋪を活用することを考えてみたら」と言われ、それがヒントとなりました。
よく考えたら駅前通りにも何軒かのラーメン屋さんがあり、大通りにも幾つかあって、間を埋めていけば全部繋がってしまう。そういう鳥瞰図が出来たわけです。
厄除けさんのお客さんも中央商店街までは入ってこない。ですから、なんとかそこまで引き込もうと思ったわけです。
それから来る人、来る人が訪ねることには、『横町』はどこですかということです。裏返せば『横町』があるものだと思っている。『ラーメン横町』というイメージは店が背中合わせにつながっているものですが、そういうものがあると思って来る。そしてがっかりして帰る人もいます。そんなことから横町は、みなさんが、望んでいるものだと思いました。
商店街に人を呼ぶということでは二つのことがあると思います。一つはこの地区の人を呼ぶ。いろいろ工夫すればできないことではないが、これには財力も、テクニックも必要です。それだけの努力をするのであれば、他からくるお客さんを誘致した方が懸命だと考えたわけです。
一つの大きな柱として、厄除けさんがある。ですから、もう一つの柱を作ってそこを中心に回遊させれば、町が活性化する。佐野市はラーメンの町ということで有名になっていますので、ラーメンが一番手っ取り早いと思いました。
横町も背中合わせのものを作るとなると、建物を作らなければいけないわけで大変です。そこで空き店鋪にラーメン屋さんが入ってもらうことを考えたわけです。
発火しないことには燃え上がりませんから、起爆剤になろうと思っています。
現在のところ申し込む人は少ないのですが、いい方向にいけば、我も我もということで、多くの人から協力してもらえるのではないかと思っています。
今のところは何の形もない、海のものとも山のものともわからないわけですから、様子を見ているのかなという気もします。もう一つには、郊外なら郊外で、もうお金をかけてしまっていますから、それを捨ててまで出店するということも、勇気のいることだと思います。
それから、話が錯綜して、誤解されている方も多いみたいですね。新年の二日に市役所で『ラーメン横町』というのをやったのですが、あれが新聞紙上にでた横町かと思った人がいるみたいです。あるいは、大通りに面したある店鋪が横町になるのではないかとか………。いろいろ、話がとんでしまいました。実際には、背中合わせの横町ではなくて横町ゾーンの中に中華街を造るということなのです。
●あえて困難な道を選んだようにも思えるのですが。
みんなにそういわれるんですよ。『大変だね』と。でも、内心はあまり大変だと思っていないんです。逆に楽しいと思っているくらいです。それが出来上がった時のことを思い描けば実に楽しい。例えば肉屋さんでは肉マンやシューマイを目の前で湯気を出して蒸かして売ってくださいとお願いしているわけです。肉屋さんの方もやろうと意欲的です。肉マンを食べながら、ウインドーショッピングをしながら楽しんでもらえる………ということを考えると、むしろわくわくしてきます。
●プラス・シンキングですね。
佐野ラーメンも一時は盛り上がったが、今はちょっと停滞ぎみですよね。ここで活を入れないといけないですね。厄除け大師さんには年間200万人からの観光客が来ます。その人達を、歩いて十二、三分の中央商店街まで誘導できれば、そこが活性化するわけです。いい素材があるんですが、活かし切っていないということですね。もうちょっと視点をかえたり、工夫すればできるわけですね。
今年の初頭から動きだそうと思ったのですが、まだラーメン屋さんも予定地にできていない。一部の商店がちょこっと中華のグッズを置いたくらいでは『行っても何もなかったよ』と、かえって評判を落としてしまう。ですから、4月のかたくりの里の頃を目指しています。春になれば、人の流れも動きも出てきますのでね。
2月のはじめには、キャラバン隊を市の商工課でやっています。そのせいもあって、その時期には人が集まります。シャトルバスがピストン輸送をしますね。そして現実に乗った人が、町中を散策している。それでなくても人が集まるのだから、その時までに立ち上げようと思っています。
今まではバスでくるわけですが、厄除けさんで降ろして参拝だけでかえってしまうというのがパターンです。それを厄除けさんで降ろしたら、バスは中央商店街で待っていますという風にする。嫌がおうでも歩かざるを得ないわけです。そうすれば中央商店街に誘導できますし、逆の方法も考えられます。地図を作って位置が分かるようにしておけば迷うこともないでしょう。
今でも家族で佐野にラーメンを食べにきて、足利学校でも見ていこうか、栃木の蔵の町へいこうか、ということで他に行き、佐野でそんなにぶらぶらしている人はいないと思います。
せっかくやって来た人が、町の中でラーメンを食べただけで帰られたのではもったいないです。ラーメンを食べた人が肉マンでも食べて、ちょっとしたグッズを買って町を散策する。それは、子どものグッズだけではなくて、いろいろそれぞれのお店が中華のものを置くことがいいと思います。例えば、靴屋さんはカンフーの靴、あるいは洋服屋さんではチャイナドレスとか、ブラウスとか、帽子とか。
お茶屋さんでは、中国茶とか急須とかというものを置いてもらいたいと思っていますし、文房具とかカバンとか、骨董品などを置く店もあったりして。後はわらじとかね。
今までの商品を、商売替えしてかえてしまうということではなくて、今までのお店づくりの中にプラスする。あまり負担がかからずにできると思います。
もう一ついいと思う素材は、東石美術館です。無料で絵を見せていただいているわけで、文化の香もするわけです。いい絵がたくさんあります。
もう一ついいと思うのは、こういう近代的な町並みの中に銭湯が二つもある。そして今流の銭湯「やすらぎの湯」もある。家族できて、ラーメンを食べ、町を歩いて、お風呂に入って、いい絵を見て帰れる。素材はたくさんある。観光資源がね。そういうものを活かさないことには、街が活性化しません。
もう少し、発想の転換をしてもらってみんなが力を合わせ努力をすれば、出来てしまうことです。
喜多方は有名になった。その頃は、毎日のようにテレビでラーメンの特集をやっていたわけです。それに追いつけ追い越せで、佐野が始めたのですが、途中でテレビのラーメン特集がなくなったので、喜多方ほど名前は浸透しなかった(味は佐野の方がよい)。佐野はかなり有名になりましたが、佐野に続けてと始めたところは、途中でとんざしています。
(後略)