■ ■■■■■ ■ 日刊 こならの森 ■ ■■■■■ ■

* * * *  *  * * * *
東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森162号

2008-05-30 | 101号~200号
       ■こならの森162号■2001.10発行
表紙 「 三毳山」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森11月号■



結婚しました。…………………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン……5
タウンミーティング……………………6
廃線路を行く……………………………10
美しくなる16のツボ…………………18
風の独り言………………………………19
やぶいしゃのひとりごと………………20
書評/絵本紹介…………………………21
インフォメーション……………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
各市文化会館情報………………………24
サッカー情報……………………………26
協賛店マップ……………………………28
こならの森から…………………………30

■■■■■■■■■■■■■■■


【本文抜粋記事】

鉄道ロマン&ミステリー
県内の廃線路を行く

■廃線路を行く

 今、廃線路を行くというのが静かなブームのようだ。
 編者はいわゆる鉄道マニアという人ではないが、郷愁というかロマンというかそんなところに引かれた。

 本当は歴史に残る廃線路というのが関東県内には多くあり、軽井沢近辺は重文級の遺構が多い。栃木県はともうしますとこれが………ところがありました100年前に消えた遺構である。(残念ながら、今回は取り上げられず。遺構らしいものはわずか一つ)
 ともかく県内で一番有名でもっとも素晴らしいと思える、東野鉄道、西那須野~那須小川と東武鉄道、矢板線 新高徳~矢板、を取材した。何冊かのガイドブックをもとに出発。ガイドに書かれているとおりに、進むが、車を利用しているため、狭い道や道無き道をかき分けて遺構を探し当てるのは大変だった。
 事前の下調べや詳しい地図などが用意できなかったために、見つからないことも、ロマンがいつの間にかミステリーに変わっていた。実際にはガイドブックの著者も「1時間近く車を走らせてやっと探し当てた」、などと書かれている。

 今回取材した、二つの路線は東野鉄道と東武鉄道と非常に紛らわしい名前だ。また、東野鉄道は昭和43年廃止、東武鉄道は昭和34年廃止でこれまた紛らわしい。

「栃木県内の廃線路」
東野鉄道、《西那須野~那須小川町》を行く
昭和43年廃止というから比較的新しい廃線路でもある。ともかく西那須野駅へ向かってみる。この路線跡は、現在はぽっぽ通りという遊歩道となっており、西那須から大田原までいける。実際に野木神社前まで歩くことにした。遊歩道といっても自動車道と多く交差しており、何度も道を渡らなければならないので、安全な道とは言えないのが残念。野木神社前には、線路とホーム跡のレプリカがあって、往時を偲ばせる。近くには、SLを形どった遊具もある。
 そこからは、ぽっぽ通りに沿いながら大田原へと車で向かう。途中、道が分からなくなり、大田原駅跡は、確認できなかった。
 その先に、トンネルの跡があるというので向かう。ガイドの通りに向かうのだが、案内標識があるわけでもなく、人に聞くにしてもなんといって説明すれば良いやら………。ぐるぐるとあたりを周回してやっとのこと探し出す。トンネル前までは、単なる私道としか思えない、本当にここで良いのだろうかと不安になりながらも先を急ぐと、塗り壁のごとくにトンネルが出現した。
 ともかくトンネルを発見したときの感動は推理小説で犯人を発見したときの感動と似ていた。今回もそうである。思いがけないところから、それ(トンネル)が出てきたら、それも偶然に、そして驚きは自然に感動へと変わるだろう。
 なんとかトンネルを塞いでいる柵に登り、内部の写真撮影に成功。と思いきや………。片手で柵をつかみ、もう片方の手でカメラを操作。そのためなのか、内部が暗いのか思ったような撮影にはならなかった。手がちぎれるかと思ったのに………。
 それで、いったいどこがミステリーなのかといわれてしまいそうだが、ともかくいってみることをおすすめする。その前後の路線跡を寺の山門が塞いでいるのだ。完全に路を裁ちきっきっている。
 黒羽から小川町までのルートは、昭和43年廃止以前に先に廃線となっている。

東武鉄道矢板線 
《新高徳~矢板》

 東武鉄道は関東の私鉄の中では最長の営業距離を誇っているだけあって、こんなところにまで、路線を持っていたのかと、改めて感動した。
 昭和34年6月に廃止となっているが、なぜかこの年は編集長の生まれたとしでもある。なにかの因果というものを深く感じる。新高徳駅は現在でも健在だがその先は、のどかな田園風景の中に消えていってしまった。
 今回用意した地図は十万分の一のものだが、それにはくっきりと廃線路が刻まれていて、ルートの確認も割合と簡単に出来る。ともかく細い道ではあるが一直線にどこまでの続いていく道がそうである。
 四十年前とはいえ、その当時ここに本当に鉄道が通っていたのかと、驚きがこみ上げる。本当に、何もない田園地帯なのだ。舟生の何とも言えないひなびた、宿場町の情緒がたまらない。そして、今回のクライマックスともいえるトンネル跡へと向かう。やはり、案内板など一つもないので、「きっと、ここだろう」と思われる道を進む。途中にはちょっとした湿原が現れ、カモの群が一斉に飛び立っていった。高原地帯に迷い込んだと思わされる風景だ。
 しかし………、途中の看板にトンネルは途中落盤の危険があるため数年前に閉鎖、通行できないと書かれてあった。まことに残念。SLに乗ったつもりでゆっくりとトンネルを越えるのが、最大の目的であったのに………。でもちょっとした収穫もあった。取材班の興味は、いつのまにか山栗拾いに移っていったからだ。日暮れも近いというのに………

■■■■■■■■■■■■■■■


こならの森161号

2008-05-30 | 101号~200号
       ■こならの森161号■2001.9発行
表紙 「 そばの花」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森10月号■
結婚しました。…………………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン……5
タウンミーティング……………………6
美しくなる16のツボ…………………12
ドライブガイド…………………………14
風の独り言………………………………18
シネマまるかじり………………………19
やぶいしゃのひとりごと………………20
書評/絵本紹介…………………………21
インフォメーション……………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
各市文化会館情報………………………24
サッカー情報……………………………26
協賛店マップ……………………………28
こならの森から…………………………30

■■■■■■■■■■■■■■■


【本文抜粋記事】
ドライブガイド
磐城街道をゆく
■特集 街道をゆく

 いったんこの道(街道)にはいると、今まで忘れていた遠い日の記憶が蘇ってくる。ガイドブックに載るような大げさな「しかけ」は、全くないのだが、どことなく郷愁的なかれた感じが素晴らしい。
 この街道に殆ど平行するように並んでいるのが磐越東線である。東北本線の郡山から常磐線のいわき市までを結んでいる。
 実は、大きな用水路があるなと思っていたものが、線路であったのだ。こんな所にどうして線路があるのだろうという印象。使われなくなってしまったものだろうとも思っていた。しかし、車を降りて線路をよく見ると使用している痕跡がある。さらに先に行くと、駅らしい建物も発見できた。この街道の近くには、うつくしま福島博覧会会場もあるし、阿武隈(あぶくま)洞へのアクセスも簡単である。
 夏井川にそって夏井渓谷が道すがら迫ってくる、そればかりが、線路もつかず離れずで、こっちが忘れていても、あっちが忘れていないぞ、というような感じでおやっと思えるところで一致してくる。そして、たびたび接触する。つまり踏切の多さに絶句する。線路と、道路が平行線であれば、踏切も必要なくなると思うのだが………。線路が先で、道路が後で発達したのか、はたまた逆なのか。どちらにしてもこうたびたび交差していては、絶句する。しかも道路交通法では線路が優先で、常に線路と交わるときには道路側の車両が一時停止をする。当たり前だが。そのために、信号も十字路もないひなびた山道であるにもかかわらず実際の走行感覚は、信号機ジャングルの都会と変わらない。
 近くには、やはり内陸部から海岸へとのびる「御斉所街道」という名前の街道が直ぐ下を通っている。こちらも機会があればトライしてみたい。

話がそれてしまいそうだが………

 想像力によって全てを考えられる、人にとっては本当に肩すかしはもっとも究極のコトであると思われる。
 そういわれてしまうと、思い当たる点もないではない。行かなかったのに、殆どいったも同然のコトを得られたのであるから。それは旅には、過去、現在、未来があると思えるからだ。
過去とは、行く前の時間である。これが長い方がより長く肩すかしを楽しめるようにも思う。
 そして、本番。一年以上考えてきた計画の実際の時間は二泊三日というのが、本当の所であろう。しかしそれで終わりではない。その後の時間がもっとも肩すかしにはない時間であると思える。実際に旅を経験すれば、その後は過去ではなく思い出に変わるのだから。



■■■■■■■■■■■■■■■