■こならの森152号■2000.12発行
表紙 「 三毳山の朝」
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森1月号■
3p としこの巻頭詩
4p やんばる
5p 結婚 古川さん夫妻
6p-9p JC通信
10-17p 旧谷中村を歩く
18p 風の独り言
19p お店情報
20p (新)やぶいしゃのひとりごと
21p 書評・絵本紹介
22-25pインフォメーション98
26-27pクイズ/タウン情報
28-29p 協賛店・MAP
30p こならの森から
■■■■■■■■■■■■■■■
【本文抜粋記事】
渡良瀬遊水池
『旧谷中村を歩く』
■谷中村を歩く
少し肌寒い中、『こだま会』のメンバーは渡良瀬遊水池にある旧谷中村跡に集まった。今回は、こだま会のメンバーと一緒に、晩秋の谷中村の遺跡のようすを紹介する。
曇り空の中であったが、元気に歩き出す。歩いて少し運動をするにはちょうど良い気候でもある。いつになく70名以上の参加者だ。今回は、谷中村保存会の針谷さんのガイドで園内をめぐる企画。こならの森でも幾度となく紹介してきたが、公園として整備されたのちにやってくるのはひさしぶりのことだった。
旧谷中村役場跡に新しく作られた東屋で説明を聞く、~村を捨てていった人々と残り続けた人々の葛藤。どんな思いで村を後にしたのか。時代の流れの中でほんろうされる人々。そうせざるをえなかった人々の思いが語られた。
当時の民衆と今の民衆ではその姿が、あまりにもかけ離れていて想像するのは難しい。民主主義の20世紀、そして来るべき21世紀に向けてその原点とも言える、谷中村にこられたことは何か作為的な、あるいはある種の意味を感じる。新しい地域や郷土を考える上での原点でもあるのだ。郷土の偉人田中正造の人としてもここが原点である。これは21世紀になっても、変わらないものであろう。
旧役場前を過ぎて、道なりに進む。十数年くらい前訪れた時は案内版もなく、ただ呆然と広がる野原だけのところだった。背丈以上の葦が一面に広がり、先も見えなかった。そう考えるとは今の風景はゆめのようでもある。
遠い過去の『戦い』も夢のごとしで、リアリティがないのはいかしかたないところか。
どういう指向か雑踏の中を寺院跡まで、枯れ草をかき分けて向かう。何かあるのだろうと言う期待感とは裏腹に、行き着く先には何もなかった。進めど変化はない。それは、谷中村村民が通ったであろう先の見えない『同じ道』のような気もした。
映画や小説、伝記などの記述と今ここにある現実とはなんとかけ離れたことか。そのことのギャップをいつも訪れるたびに感じる。
遺跡周辺には、野ぶとうが一面に咲いている。食べてみたくなるほど美味しそうな実だが、可食できないのだそうだ。一見山ぶどうのように思えて食べてみたくもなる(実は著者は口に含んでしまったのだ)。ルビーやエメラルド、もちろんの野のもの。でもこの野のものというキーワードが正造らしくてマッチしているように思う。正造のイメージカラー(そんなものあっか)は、野ぶとうだと思う。野人、正造とその聖地に咲く野ぶどう。本当にマッチしている。それに出会えただけでも何か新しい発見に遭遇したようで、楽しい気分になった。 さらに進むと、寺の跡にでる。何もない遺跡の中で何かそれらしい象徴的なものがある場所はここだけだろう。
歴史に残る墓標はこの地である。
曼珠沙華の葉が一面に広がる。もう花の盛りはとうに過ぎているのだが、開花の時期には咲き誇って見事だと針谷さんはいう。
それから、谷中湖の道路まで出る。そこには、今までの歴史的な風景から、うって変わって一面人工的な、画一化された風景画広がる。水も淀んで見えた。ちょうどこの日には、遊水池マラソンがおこなわれていた。遺跡の説明中にも、園内をめぐるスピーカーからけたたましいアナウンスが流れ話が聞き取りにくくなる場面もしばしばあった。
ランナーがこだま会のメンバーをおい越していく。
ここで、遺跡の案内は終わり。
メンバーはまだ歩きたらなかったのか、ゆっくりとマラソンランナーたちに向かうように、さらに先の谷中湖まで歩いていった。
表紙 「 三毳山の朝」
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森1月号■
3p としこの巻頭詩
4p やんばる
5p 結婚 古川さん夫妻
6p-9p JC通信
10-17p 旧谷中村を歩く
18p 風の独り言
19p お店情報
20p (新)やぶいしゃのひとりごと
21p 書評・絵本紹介
22-25pインフォメーション98
26-27pクイズ/タウン情報
28-29p 協賛店・MAP
30p こならの森から
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【本文抜粋記事】
渡良瀬遊水池
『旧谷中村を歩く』
■谷中村を歩く
少し肌寒い中、『こだま会』のメンバーは渡良瀬遊水池にある旧谷中村跡に集まった。今回は、こだま会のメンバーと一緒に、晩秋の谷中村の遺跡のようすを紹介する。
曇り空の中であったが、元気に歩き出す。歩いて少し運動をするにはちょうど良い気候でもある。いつになく70名以上の参加者だ。今回は、谷中村保存会の針谷さんのガイドで園内をめぐる企画。こならの森でも幾度となく紹介してきたが、公園として整備されたのちにやってくるのはひさしぶりのことだった。
旧谷中村役場跡に新しく作られた東屋で説明を聞く、~村を捨てていった人々と残り続けた人々の葛藤。どんな思いで村を後にしたのか。時代の流れの中でほんろうされる人々。そうせざるをえなかった人々の思いが語られた。
当時の民衆と今の民衆ではその姿が、あまりにもかけ離れていて想像するのは難しい。民主主義の20世紀、そして来るべき21世紀に向けてその原点とも言える、谷中村にこられたことは何か作為的な、あるいはある種の意味を感じる。新しい地域や郷土を考える上での原点でもあるのだ。郷土の偉人田中正造の人としてもここが原点である。これは21世紀になっても、変わらないものであろう。
旧役場前を過ぎて、道なりに進む。十数年くらい前訪れた時は案内版もなく、ただ呆然と広がる野原だけのところだった。背丈以上の葦が一面に広がり、先も見えなかった。そう考えるとは今の風景はゆめのようでもある。
遠い過去の『戦い』も夢のごとしで、リアリティがないのはいかしかたないところか。
どういう指向か雑踏の中を寺院跡まで、枯れ草をかき分けて向かう。何かあるのだろうと言う期待感とは裏腹に、行き着く先には何もなかった。進めど変化はない。それは、谷中村村民が通ったであろう先の見えない『同じ道』のような気もした。
映画や小説、伝記などの記述と今ここにある現実とはなんとかけ離れたことか。そのことのギャップをいつも訪れるたびに感じる。
遺跡周辺には、野ぶとうが一面に咲いている。食べてみたくなるほど美味しそうな実だが、可食できないのだそうだ。一見山ぶどうのように思えて食べてみたくもなる(実は著者は口に含んでしまったのだ)。ルビーやエメラルド、もちろんの野のもの。でもこの野のものというキーワードが正造らしくてマッチしているように思う。正造のイメージカラー(そんなものあっか)は、野ぶとうだと思う。野人、正造とその聖地に咲く野ぶどう。本当にマッチしている。それに出会えただけでも何か新しい発見に遭遇したようで、楽しい気分になった。 さらに進むと、寺の跡にでる。何もない遺跡の中で何かそれらしい象徴的なものがある場所はここだけだろう。
歴史に残る墓標はこの地である。
曼珠沙華の葉が一面に広がる。もう花の盛りはとうに過ぎているのだが、開花の時期には咲き誇って見事だと針谷さんはいう。
それから、谷中湖の道路まで出る。そこには、今までの歴史的な風景から、うって変わって一面人工的な、画一化された風景画広がる。水も淀んで見えた。ちょうどこの日には、遊水池マラソンがおこなわれていた。遺跡の説明中にも、園内をめぐるスピーカーからけたたましいアナウンスが流れ話が聞き取りにくくなる場面もしばしばあった。
ランナーがこだま会のメンバーをおい越していく。
ここで、遺跡の案内は終わり。
メンバーはまだ歩きたらなかったのか、ゆっくりとマラソンランナーたちに向かうように、さらに先の谷中湖まで歩いていった。