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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森144号

2008-05-16 | 101号~200号
       ■こならの森144号■2000.4発行
表紙 「 わたらせ渓谷鉄道」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森5月号■
3p 創刊12年
4p-7p JCトーク
8p やんばる
9p 結婚 中田さん夫妻
10-19p 特集 両毛五市ちょっと旅
20-21p 協賛店・MAP
22p お店紹介
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

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【本文抜粋記事】

佐野青年会議所@通信《教育問題と福祉問題について》

 ●佐野日本大学学園常務理事
  熊倉 勝さん

八下田理事長 今日は教育と福祉のことについてお話をうかがいたいと思います。
熊倉常務理事 教育と福祉は現代的問題ですから、私も日頃から大切なことと考えていました。
八下田 私が推し進めていることで、教育問題ということに非常に関心がありまして、二人の子供の父親として教育問題を今後どうしていくのか、親業という部分で親が分担する部分、学校が分担する部分、地域が分担する部分というものを、考えていかなくてはならないと思っています。その役割分担を、お聞かせ願えればと思います。
熊倉 そうですね。教育というのは大変難しい問題です。大きく分けて学校教育があれば、社会教育があり、家庭教育もあります。さらに、マスコミでも大きくとりあげられているように生涯教育でもあり、つまり、大きな枠組が四つあります。
私が戦後の日本教育の流れを眺めてみて思うことは、家庭、社会、学校の役割が不明確になってしまったことです。ご存じの通り、それが一因ともなって、今、大きな混乱が起こっています。人生教育のスタートは、家庭教育です。その後に、地域社会を支える社会教育があって学校教育に至り、最後に生涯教育があると言えばわかりやすいと思います。
まず、家庭教育が崩れた要因ですが、少子化と都市化によって三世代家族であったものが核家族化してしまったことがあげられます。昔の家庭は、お爺さん、お婆さんがいてお父さん、お母さんがい、子供が四~五人という三世代家族でした。そういう状態だと、自然に家族生活の中で基本的ルールを覚えます。ご飯の食べ方から、目上の人に対する対処の仕方とか、人間関係とか、基本的生活習慣を家庭の中で学ぶことができました。現在は、核家族化が進み、日本で従来培われてきた家族の質が変わったわけですから、基本的な教育の質も変わるわけです。お父さん、お母さんが三世代家族の中で培ってきたようなことを、どうやって今後の家庭生活の中に取り入れることができるか。つまり、お父さん、お母さんの役割が問題なのです。最近、親と子に関わる事件がいろいろ起きていますが、何故そうなってしまったのかと考えてみると、お父さん、お母さんの存在がなくなってしまっていることが原因です。昔から、「三つ子の魂百まで」と言います。〇歳~三歳までの幼児時代で受けた影響が非常に大きいということです。教育は「抱っこしてもらう」、母乳をもらうということから始まります。もらうことから愛情を受けるわけです。お母さんから愛情を受けることは、人間を愛せるようになる大きな要因です。反対に、お母さんの愛情を十分受けないと人間不信に陥ります。そして、将来大人になった時に人を愛せない。あるいは、自分が子供を産んだ時に正しく育てられない。ですから、お母さんの役割は非常に大きなものです。次に、お父さんの役割ですが、お父さんは厳しさを学ぶ場所です。社会生活を送るには色々と困難なことが起こります。そういう場面を乗り越えていく力というのは、お父さんから受けた影響が大きい。お父さんから影響を受けないと困難を乗り越えられません。最近、「キレる」とか、登校拒否とか、困難に出会った時、立ち向かわずに横に逃げてしまうケース、これらは、比較的お父さんからの影響が少ないことに原因していることが多い。お父さん、お母さんの役割がどう変わってもいいです。場合によっては、お母さんがお父さん役をやってもいい。お爺ちゃん、お婆ちゃんでもいい。そういう役割分担が必要です。
さらに、家庭内で子供の仕事分担を決めて、家庭内での手伝いをさせることも大切です。
家庭内の問題が学校に押し寄せて来るということでは、学校も大変な思いをしています。そうは言っても学校ですから、それをきちんと受け止めて、教育をして行くことが大切です。戦後、文部省もたくさんの教育改革を実施してきました。そして、二十一世紀型のカリキュラム改正ということで、幼稚園については本年四月より実施され、小学校、中学校が二〇〇二年、高等学校については二〇〇三年から始まります。「自ら学ぶ力」「自ら考える力」の育成が主眼です。今後も学校教育は変化していきます。皆さんは、小学校とか中学校教育のあり方が一番気になるのではありませんか。
八下田 ええ、僕は放課後教育が特に必要だと思うんです。放課後遊ぶ友達を作ったりしてですね。仲間と外で遊ぶということが大事だったと思うんですよ。今は塾、家に帰ればファミコン、夜は親との団欒もなくて、塾に行くと夜遅くなるのでそのまま寝てしまう。その繰り返し ― 。放課後教育は必要とは思いますが、今のそういう現実にぶつかると社会のシステムとしては難しいのかなとも思います。
熊倉 昔は、子供は家に帰ってから必ず外に出て、空き地や路地でキャッチボールしたり、サッカーボールを蹴ったり、鬼ごっこをやったりして遊んでいました。この遊びの中からガキ大将が生まれ、子供達の社会性も育ちました。
昔だって塾に行かなかったわけではなく、算盤塾とか習字の塾に行ったりしました。塾そのものが悪いということでなくて、子供達がどういう遊びが出来るのかということになると思います。
今後、文部省は学校五日制を実施しようとしています。土曜日に子供達はどうするのでしょうか?誰が、どうやって子供達の面倒をみるのでしょうか?或いは、子供達はどういう生活をするのか?大きな問題です。私は、二十年前に文部省の教員海外派遣で、共産主義国家のチェコスロバキアと、スイスを主体とする研修団に参加しました。当時、チェコスロバキアでは、学校の生活の中にも共産党青年同盟の部会があり、その同盟の人達が中心になって青少年の学校教育以外の活動を担当し、共産主義思想を広める為に、小さい時から共産党組織に参加させていました。
また、十五年前ですが、日本大学の教育視察で、サンフランシスコ市を訪問しました。シリコンバレー、スタンフォード大学、カルフォルニア州立大学のバークレー校等を見学しました。その当時、アメリカは学校の週休二日制が始まっていましたが、土曜日に公園内にある美術館に多くの人達が子供を引率して見学していました。地域社会の人達がボランティアで子供達を引率していたわけです。日本の場合、学校週休二日制を実施した時、地域社会の人達がアメリカのようにすることができるのか。子供達に土曜日はただの休みですよと言ってしまうのか。組織的に子供達を面倒をみてくれるのかどうか。そういうことは大きな問題になるのではないかと思います。
八下田 僕が参考にしている世田谷区の例があります。その地域にある公園や校庭を民間に貸すのです。管理するのはNPOなどの民間の団体です。子供達をそこで自由に遊ばせる。自分の責任で遊ぶということで開放された部分が必要になってくるのです。今の小さい子供達は、遊び方がわからないことが多いので、地域の人がプレイリーダーという先生になって遊び方をまず教えて、それに習って皆が遊んでいくということをしているのです。
熊倉 JCの「子供未来塾」も、そうしているのですか?
八下田 今後、そうなっていけばいいと思っています。青年会議所だけでなくて、民間団体も教育NPOがその推進のための運動をしていかなければと思います。青年会議所という形で活動していけるよう、NPOの有志が、その組織を作って地域の人達とリンクしながら造ってゆくのが理想だと思っています。
熊倉 そういう意味では、子供は自然とのふれ合いとか、友達と体をぶつけ合いながら学ぶことが大きいと思います。東京へ出た人は古里のイメージが脳裏に焼き付いている。いわゆる原体験とか原風景です。自然との触れ合いというものには、常に、一+一=二でなく、偶発性や偶然性があります。そういう体験が大切です。その意味では、JCの「未来塾」は大きな役割を持ってますね。
八下田 小学校、中学校で空教室が大変問題になっていますよね。一つの例といてスポーツジム的なことです。普段、子供達が授業が終わったら、そこでスポーツジムができるのです。五十円か百円の会費で使用させて、管理はNPO、地域のボランティアが予約まで取って貸し出している。会員制で必要経費を頂いてですね。土曜日は大人の人を対象にスポーツジムに必要主費をいただいて学校へ通うことも実施しています。その収益でボランティアの運営資金にしているという例もありますが、私立の学校では考えていないのですか?
熊倉 佐野日大の中学・高校・短期大学での学校開放は積極的に実施しています。短期大学では図書館の施設を開放したり、また、大学の授業に社会人の人達に参加してもらう聴講制度を実施しています。去年が春季講座で五十名。今年はもう七十名の方が受講申込を行っています。今、ちょうど受付期間です。また、高等学校でも素晴らしい野球場、サッカー場、陸上競技場を持っていますので、希望者があれば是非開放していきたいと思います。先日も野球場で市内の学童野球の選抜チームの大会が実施されました。天体観測のドームなどもありますので是非利用してください。また、公立学校の空いている教室などを利用されて色々な形でやられていることは本当にすばらしいことですし、私達も協力は惜しみません。ですから、佐野日大の学校開放については、是非、JCの方々にもご提案頂きたい。私は青年教師の時代、野球部の監督や部長をやっていた経験の中から思うんですが、子供の教育の中でJCの人達が事業を実施する時、形を作って与えるだけでなく、企画とまでいかないにしても準備段階で参加させる。造られたものに参加させるのではなく準備まで含めたものに参加させると子供達に勉強になると思います。「はい、やりなさい」という御膳立て、これは一つも勉強になりません。
八下田 野球で言えばグランド整備のためにまず石を拾うとか。
熊倉 極端に言えば、そういうところから始めるといいと思います。ところで、JCは、昔から安佐中学校野球大会を実施していました。当時、安佐地区では学童野球は盛んでしたが、中学校野球は今一つ。高校野球は最も弱かった。安佐地区から甲子園大会へ出場できるチームが何とか出てほしいと思っていました。安佐地区では学童野球は盛んでしたが、中学校野球は今一つ。当時、JCの方々が考えて、中学校野球大会を実施したことがありました。私も、高校の教員になって、すぐに野球部の監督、部長を引き受け、素人でしたが、何とか甲子園に出場できるチームを作ろうとしました。しかし、私が部長、監督の時代には甲子園大会に出場できませんでした。次の松本監督時代の平成元年に、安佐地区で初めて甲子園大会へ出場できました。(松本監督は佐野西中、佐野日大高、日本大学で野球選手として活躍。)さらに、平成二年、葛生高校が甲子園大会へ出場しました。そういう意味で、JCの中学校野球大会は、この地域の中学、高校の野球の隆盛に大きな貢献をしたと思います。その後、佐野日大は夏四回、春二回、計六回、甲子園大会へ出場しています。また、安佐地区の選手が、何人もプロ野球選手になりました。現在、石井君(横浜)、戸叶君(横浜)、小関君(西武)が、プロ野球で活躍し、子供達に夢と感動を与えています。
八下田 相手に感動を与えるというのは大変素晴らしいことだと思います。野球の話に戻ってしまいますが、私も佐野日大のOBとして県大会の決勝を見に行きました。最後、スライディングでサヨナラ勝ちした時は、嬉しくて飛び上がってしまいました。万歳!万歳!嬉しくてポケットにあるものが全部周りに散らばったほどでした。特に母校ということもありましたが、この安佐地区からやっと甲子園に出たんだ!という思いも強かったですね。感動を与えてくれると思うのです。スポーツを見て感動しない人は、いないと思うんのですよ。
佐野日大が甲子園に出て良かったと思うのは、この安佐地区の宣伝になったこと、これが最大の効果で、また大きな喜びだったのかなあという思いがあります。ところで、スポーツの教育的意義についてどういうお考えですか。
熊倉 スポーツは、青少年の育成に大きな役割を果たしていると思います。スポーツの意義は自分の肉体への挑戦を通じて身体を鍛えることもあります。
また、オリンピック大会などで、選手が全知全能をかけて走ったり、投げたりしている姿を連想し、我々見ている観客に大きな感動を与えています。そうした、トップレベルのものもありますが、一般的なところでは、スポーツを通じて、友情とか苦しい時を乗り越える力を培っていきます。少子化で子供がいなくなり、家族が、核家族になって
いく、その社会環境が子供にとってはすこぶる良くない。そこで、スポーツを通じて困難を乗り越えるとか、縦社会とか、横社会とかを、学ぶことに意味があると思います。また、団体競技の素晴らしい面としては「戦い」ということです。相手をゲームの中で倒そうという「戦い」を通じて相手の痛みを感じたり、つらさを感じたりすることが大切です。最近、青少年の犯罪などで、衝動的にに相手を傷つけたりするケースがありますね。相手の痛みがわかっていれば、そこまではいかなかったのではないかと思います。スポーツを通じて、相手の痛みがわかれば、平和な社会をつくれたのかなと思います。スポーツも原点に返って、そういう面も取り上げるといいのかなあ、という気がします。今以上に、スポーツが盛んになればと思います。
八下田 ところで、四月から介護保険、地方分権法が実施されますが、地域間格差というものが間違いなく出てくると思います。安佐地区が今後生き残れる部分、特に、日大さんが社会福祉法人をつくって介護をやっていくということがありますが、地域格差とか、結果的には少子化や、税金の問題も重なりあって影響してくると思いますが、今後どういうふうに考えていらっしゃるのかお聞きしたいと思います。
熊倉 高齢化というものは少子高齢化です。高齢化の部分では現在どういう状態になっているかと言いますと、二〇〇〇年で六十五歳以上の人が十七%です。(一九九四年では十三%)二〇二五年では、二五.八%。現在が六人に一人の割合で高齢者、これが二〇二五年には四人に一人になるわけです。通常高齢化社会というのは七%以上です。ところが、将来、高齢者が二十%を超える超高齢社会になります。これは、世界で例を見ないケースです。そのくらい速いスピードで高齢化が進んでいます。ですから、日本も老人福祉の分野で急いで何とかしなければならないということになったのです。そこで「介護の社会化」を実現しようことになった。従来、介護というのは、各家庭の負担でしてもらったことですが、家庭だけではどうにもなりません。家庭でどうにもならないと病院に持ってこられるわけです。病院が全部老人で埋まってしまう。老人医療保険で日本の医療保険はパンク寸前に陥っています。それを解決するために介護保険が始まったわけです。二〇〇〇年の四月からスタートするが、ドイツの公的介護保険制度を模範にしてつくったのですね。ドイツは準備期間に二十年をかけてスタートさせていますが、それでもいろいろ問題点はあるそうです。
日本は介護保険は、まだ五~六年しか経っていません。まだまだ準備不足でスタートしますから、いろいろな混乱があると思うのですが、そうは言っても何とかしなければならない問題ですから、皆さんの協力でやっていかなければならないと思います。そういう高齢化社会を考えて、佐野国際情報短期大学でも平成十年から社会福祉学科をつくりました。社会福祉専攻は、福祉に関する相談業務に応じるケースワーカーの分野を担当する社会福祉士を育成します。介護福祉専攻は老人介護における中心的役割を果たす介護福祉士を卒業と同時にに取得できます。福祉の分野では、専門的技術だけでなくボランティア精神を備えた人間性豊かな人材が必要であり、いくら専門的な知識があってもどうにもなりません。そこで、福祉の感性(福祉マインド)を育成します。
八下田 先日、先生のイギリスの老人施設の視察報告書を読ませていただきましたが、イギリスの老人施設はどのようなものでしたか。
熊倉 本学園の高等部(中・高一貫コース)の修学旅行で、昨年イギリスに行ってまいりました。その折、イギリスの老人施設の実情を調査し、報告書を研究紀要に発表しました。イギリスは、戦後最も社会福祉が進んだ先進国です。イギリスの老人施設というのはどのような思想で経営がなされているのか、そこのところを見てまいりました。施設は民家を改造した建物で大半が個室です。入居者は三十名で非常に狭い施設でした。所長のダイアナさんは、施設の経営理念として、「スタッフはくつろいだ雰囲気の中で最高のケアを提供する。住居者の質の高い生活を私たちが追求してこそ、住居者がここを自らの家とみなす」という、しっかりした経営理念をお持ちの方で、施設といえども、そこが「最後の棲み家」というような感覚を持たせてあげることが大切だと言っています。いわゆる、入居者の「人としての尊厳」を大切にしています。
佐野国際情報短期大学の社会福祉学科の関連施設として老人福祉施設を計画しています。この施設は、臨床教育の場であり、介護福祉の実践の場であり、地域福祉の場であり、入居者の「自立と安全と尊厳を守る」ことを理念にしたいと考えています。
八下田 高齢化社会を考えていくのにあたって何が大切なことでしょうか。
熊倉 高齢化社会で重要なことは世代間の信頼です。介護保険にしても高齢者だけが負担するのではなく、若い人も負担します。年金も高齢者が自分達で貯めたものを使うわけではなく、若い人の負担でも支えています。これからの少子高齢社会で重要なことは、世代間のギャップを起こさないことです。若い人も中高年層も高齢者も、お互いの世代間の交流を大切にしないといけないということです。小学校、中学校の子供達が施設を訪問して、高齢者と積極的に交流する。高齢者は子供達と触れ合うことによっていろいろな原体験を思い出していくという場面もあります。たとえば、イギリスの老人たちは、施設の部屋の中に可愛い子供の時の絵を飾っている。イギリスの施設の入居者は、アルツハイマー系「痴呆症」が2/3、いわゆる痴呆老人です。日本ではアルツハイマー系は1/3です。そして、2/3は脳血管障害です。痴呆症を防ぐものの中に原体験というか昔のことを思い出させることが効果があるというのです。日本でも、今後、アルツハイマー系が増えてくるだろうと言われています。子供との触れ合いがより一層大切です。同時に、世代間ギャップを起さない為にも、世代間の相互理解が大切だろうとと思います。なお、介護は、今までは家庭内での負担でしたが、もうそれではできないので、皆んなで助け合うということで介護保険が始まるわけですから、皆さんがNPOネットワークセンターの中で福祉のことも捉えていることは非常に重要なことだと思います。
八下田 最後に、少子化についてどう考えますか。
熊倉 高齢者の問題というのは、少子化の問題です。日本の平成九年の合計特殊出生率が一.三八。一定の人口を保つのには合計特殊出生率は二.〇八必要とされています。少子化の進行は社会構造に大きな変化をもたらすと共に経済活動の低下を招きます。そこで、最近、世界の中で人口増加政策で成功しているケースがあります。それは、シンガポールです。一九八〇年代に人口抑制策を採ったのですが、人口減少が激しく、一九九〇年代に人口増加策を採り、合計特殊出生率を二.〇〇まで持ってきたそうです。シンガポールは何をやったかというと、第二子以降の子については、所得税減税をやったのです。政府が政策として子育て支援のための政策をやったのです。それで出生率を戻してきた。日本も子育て支援のために、政府自らキャンペーンを展開しています。栃木県でもやっています。佐野市も「こどもの街」宣言をしています。子供を大事にしようということで行っているわけです。日本でも早く合計特殊出生率が一.七八とか、あるいは、一.八とかというような数字に戻さなくてはならないと思います。結婚して子供を育てることは、若者にとっては社会人として社会的な負担を負うことだと思います。反対に、子供を持たない方には大変申し訳ないけれども、何らかの社会負担をしてもらうとか。そうでないと他の人達の子供に負担がくるのです。少し暴論かも知れませんが、それくらい何かやらないと子供をたくさん産んでくれないのではないかと思うのです。佐野国際情報短期大学では、平成十三年度の四月から社会福祉学科の中に児童福祉専攻を設置して、保育園の保育士とか幼稚園の先生とか、あるいは、子育て支援の為の相談を行なえる人材の育成に取り組みます。また、同時に子供を産み、正しく育てられるような現代的良妻賢母を育ててていきたい。そんな準備を進めています
八下田 先生には貴重なお話をいただきありがとうございました。JCでも先生からのいくつかのご提案につきましては前向きに考えていきたいと思います。


プロフィール ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
熊倉 勝 (まさる)
1943年 佐野市生まれ