KONASUKEの部屋

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笠間の歴史絵画展1

2014年05月24日 | 笠間
「笠間の歴史絵画展1」の様子。
笠間図書館で、来月25日までやってます。
絵画で、笠間の古代から近世までの歴史を振り返るというもの。
今回は、9枚の絵で構成されていました。

「大昔の人々」
狩猟採集の時代

「佐白山の由来」
佐白山は元々、三白山と表記され、白い雉、白い鹿、白い狐が住んでいたのが由来とか。(出典:「笠間城のはなし」)
もっとも、展示されている絵では、白馬になってますけど。
白雉二年(651)、観音堂ができた時、「三白山」の寺号になったのだとか。
「白雉」ってところがミソかもね。

「正福寺と徳蔵寺の戦い」
佐白山と徳蔵村(旧七会村)にはそれぞれ真言宗の僧兵(弁慶みたいな連中)がいて、領地争いをしていた。
佐白山側が、宇都宮家に援軍を要請。
分家の塩谷家の息子、藤原(塩谷)時朝が援軍に来た。
時朝軍は、徳倉村の僧兵に勝利すると、佐白山の僧兵も滅ぼし、笠間城を築く。
以後、笠間姓を名乗るワケだぁね。

「時朝の仏像寄進」
笠間時朝は、仏教を厚く信仰し、多くの仏像を寄進したという。
石寺に弥勒仏を
楞厳寺に十一面観音立像を
岩谷寺に薬師如来立像を
京都蓮華王院(三十三間堂)に千手観音立像を二体
桜川市富谷の小山寺(現在は寒河江市慈恩寺蔵)に大日如来座像を
もっとも、ホントに信心から寄進のか、疑わしいと、僕は思うけどねぇ。
佐白山の百房を滅ぼしたために、祟りがすさまじかったとも言うし。
寺院は、城に敵が迫るまで防ぎとめる、防御施設としての意味もあったからねぇ。

「萩の井の伝説」
「小栗判官照手姫譚」関係。
「萩の井」は月崇寺にある。

「ありし日の笠間城」
江戸直前の笠間城主・蒲生郷成が石垣を作らせた。
蒲生氏は近江の出身なので、穴太衆の力を借り、石倉から切り出した石を用いたのだとか。

「下屋敷の造成」
1632年に笠間城主となった浅野長直は、山城で5万石の領地を治めるのは不都合として、現在の山麓公園に下屋敷を造成した。
だから今でも、佐白山のふもとには、大石邸の跡があるし、山麓公園には、大石内蔵助の像があるワケだね。

「時鐘を報ず」
十七世紀半ばのこと。
時鍾を設置した時の話。
現在、山麓公園にある時鍾は三代目で、大みそかには除夜の鐘がつかれる。

「赤穂義士と笠間」
正保二年(1645)、浅野長直は、赤穂に転封となる。
元禄十五年(1702)赤穂義士討ち入り。
義士のうち、
吉田忠左衛門
小野寺十内
堀部弥兵衛
の3名は、笠間出身だとか。
浅野家のつながりから、笠間市と赤穂市は姉妹都市になっています。

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