図書館で借りている数冊の山登りガイドブックから興味のそそられる次なる目的の山を探していると、世界遺産の高野山が重複して出てくる。
その内2冊のガイドブックに高野山の表参道となる180町石道(1町約109mの約19km)が紹介されていた。
高野山は住んでいる富田林からそう遠くなく、昨年10月伯母子岳に登った時に大門前を通っただけでその前のこととなると小学生の時に行ったかどうか記憶が定かでない。
起点となる九度山の慈尊院から巡るとのことなので、電車で行くか迷ったが車で九度山の道の駅を目指す。
三日市や天見の石仏バイパスを抜け、気温-2℃を示す紀見峠を通って1時間ほどで九度山の道の駅の広い駐車場に到着する。
支度をしてこれから巡る町石道の案内を見て慈尊院を目指す。
10分ほどで女人禁制で高野山に入れない弘法大師の母公が晩年を過ごしたという慈尊院に着く。
ちなみにガイドブックによると九度山の地名も弘法大師が母公に会いに月に9度は通ったとの所以からだそうだ。
慈尊院の境内からすぐ丹生官省府神社への石段を登って行く。
ここに百八十町石があったようだが見過ごして通過する。
やがて柿畑の斜面を登って行くとだんだん眺望が拓けてくる。
振り返ると紀ノ川に霧が立ち込めていて遠くに高見山も望めた。
8時前に展望台まで登った所でバックパックを下ろして一服する。
金剛山や岩湧山を眺めていると無人小屋から3匹の人慣れた猫が餌をねだって寄って来た。
塩分の強い菓子やパンを与えるわけにもいかずすぐ後にする。
巨大なアンテナを正面に見ながら登り詰めると傾斜も緩やかになって来る。
100円で販売されているミカンやハッサク、キヨミオレンジがあったので途中で食べようと思い2個入りを求める。
後ろを振り返ると曇天の空模様だが景色が素晴らしく標高が随分上がったなあと感じる。
柿畑を過ぎてから後方の景色から離れ緩やかな登りの山道に入って行き、案内立札がある所を通過。
大門まで17km、さあ無事行けるやろか。
ら
読み辛い町石も多いが一際読み易い百五十四町石を通過、まだまだ先は長い。
8時40分頃、一人しゃがんで撮影をされていたので見てみるとショウジョウバカマがあちこちに咲いていた。
挨拶して話をすると20年来この道を歩いていて町石の研究もしているとのこと。
この辺りにはシュンランやエビネランが自生しているが盗掘されて激減していると嘆いておられた。
以前に盗掘している現場に出会ったので注意すると、「おまえのんかっ!」「世界遺産の大切なものですよ」と言うと「俺も世界の一人や」と逆切れされて困ったことがあったとこぼしておられた。
ひどいヤカラがいるもんやなあと思った。
まだ咲く前の時期だったのであれがシュンランであれがエビネランと教えてもらった。
どちらも目につき易い場所だったので咲いてからのことが少し思いやられた。
ゆっくり登るので先に行ってくださいとの声を後にして先に進む。
その頃から雨がぽつぽつ降りだし、9時に六本杉に着いたので休憩をしてザックカバーと傘を取り出す。
雨は織り込み済みだがちと降るのが早いなあと思う。
六本杉から緩やかな登りを辿って行き、寒い風が吹き抜ける9時35分二つ鳥居に到着。
身体も冷えて来てここで登りで脱いでいたジャケットとテムレスの中にインナー手袋も嵌める。
レインジャケットはいくらゴアといっても蒸れると暑いので雨は傘でやり過ごす。
ここからは緩やかな下りに転じ、人声が聞こえてくると思ったらグリーン上に人がいるゴルフ場脇を通る。
途中、ゴルフボールに注意してください、責任を負いません。との立札があったが何とも無責任なと思う。
反対側を見ると、そこそこロストボールが落ちていたので早々に通過する。
しばらく気にとめて無かったが、10時10分にいつの間にか百町を過ぎた九六町に着く。
雨模様で傘を差しているので足元ばかりが気になり見過ごしたようだ。
やがて左下に道路が見え始め、雨が一旦止み晴れ間も見え出した11時過ぎ矢立に到着する。
矢立茶屋の人に断って軒下のベンチでコーヒーを淹れてミレーや芋ケンピを食べて休憩させてもらう。
20分近く休憩してから挨拶して出発。
ここから登りとなり10分ほど歩いた所で袈裟掛石に着く。
石の間を通り抜ければ長生きするとの言い伝えがあるとのことだが、子供かよほど細身の人しか通れない狭さだ。
そしてちょうど12時に道路を横断。
5分後に展望台に登り上がるがガスっていて景観は無し。
天気の良い日の風景。
この頃からまたミゾレ交じりの冷たい雨が降り出す。
倒木の爪痕や墨絵のような景色を眺めひたすら歩いて行く。
12時25分鏡石。
どれが鏡石か全く判らず。
12時57分十町石。あと少し。
十町石から最後のツヅラ折れを登りきった13時7分に大門に到着した。
九度山の道の駅から6時間少しの長い道のりだった。
大門から壇上伽藍に向かうと起点となる一町石があったので何やら感慨深かった。
壇上伽藍では寒い中多くの外国人観光客がいた。
まずは金堂や根本大塔を眺め眺めて過ごす。
流石にお腹も空いていたのでベンチで休憩をする。
朝5時過ぎに熱湯を詰めて来た0.9mlのお湯も何度か飲んだこともあり熱くないのでカップ麺もそう美味しくなかった。
こんな気温が低くなりそうな時はガスストーブが必要だった。
食べている途中から寒くなって来たので早々に荷を纏め金剛峯寺へ行こうとするが、又冷たい雨が降り出してくる。
ここ最近の山行はタイツを履かないようにしている。
タイツを履いての登りは暑くなってくるとそう簡単に脱ぐことも出来ないのが厄介だ。
かといって山頂での休憩時は足元がすぐ冷えて来るので悩ましいことだ。
丁度、壇上伽藍を出た所のバス停で3人が待っていて、時間を見ると5分もしない内に来そうなので高野山駅行きのバスを待って乗り込む。
車中は暖かくてほっとする。
15分ほどで高野山駅に到着。
昨年秋だったかニュースで見た新しいケーブル車両に乗り込んで極楽橋駅へ。
極楽橋駅から九度山まで各駅停車の車内でおやつを食べて、まるで子供の遠足やなあと思いながらのんびりする。
九度山駅からは真田昌幸や幸村親子が蟄居させられた真田庵に寄り道。
そして朝に出発した道の駅に到着。
南方向を見てみると朝巡った柿畑や巨大な電波塔も望むことが出来た。
道の駅で販売されているものを物色した後、自宅に向けて車を走らせた。
その内2冊のガイドブックに高野山の表参道となる180町石道(1町約109mの約19km)が紹介されていた。
高野山は住んでいる富田林からそう遠くなく、昨年10月伯母子岳に登った時に大門前を通っただけでその前のこととなると小学生の時に行ったかどうか記憶が定かでない。
起点となる九度山の慈尊院から巡るとのことなので、電車で行くか迷ったが車で九度山の道の駅を目指す。
三日市や天見の石仏バイパスを抜け、気温-2℃を示す紀見峠を通って1時間ほどで九度山の道の駅の広い駐車場に到着する。
支度をしてこれから巡る町石道の案内を見て慈尊院を目指す。
10分ほどで女人禁制で高野山に入れない弘法大師の母公が晩年を過ごしたという慈尊院に着く。
ちなみにガイドブックによると九度山の地名も弘法大師が母公に会いに月に9度は通ったとの所以からだそうだ。
慈尊院の境内からすぐ丹生官省府神社への石段を登って行く。
ここに百八十町石があったようだが見過ごして通過する。
やがて柿畑の斜面を登って行くとだんだん眺望が拓けてくる。
振り返ると紀ノ川に霧が立ち込めていて遠くに高見山も望めた。
8時前に展望台まで登った所でバックパックを下ろして一服する。
金剛山や岩湧山を眺めていると無人小屋から3匹の人慣れた猫が餌をねだって寄って来た。
塩分の強い菓子やパンを与えるわけにもいかずすぐ後にする。
巨大なアンテナを正面に見ながら登り詰めると傾斜も緩やかになって来る。
100円で販売されているミカンやハッサク、キヨミオレンジがあったので途中で食べようと思い2個入りを求める。
後ろを振り返ると曇天の空模様だが景色が素晴らしく標高が随分上がったなあと感じる。
柿畑を過ぎてから後方の景色から離れ緩やかな登りの山道に入って行き、案内立札がある所を通過。
大門まで17km、さあ無事行けるやろか。
ら
読み辛い町石も多いが一際読み易い百五十四町石を通過、まだまだ先は長い。
8時40分頃、一人しゃがんで撮影をされていたので見てみるとショウジョウバカマがあちこちに咲いていた。
挨拶して話をすると20年来この道を歩いていて町石の研究もしているとのこと。
この辺りにはシュンランやエビネランが自生しているが盗掘されて激減していると嘆いておられた。
以前に盗掘している現場に出会ったので注意すると、「おまえのんかっ!」「世界遺産の大切なものですよ」と言うと「俺も世界の一人や」と逆切れされて困ったことがあったとこぼしておられた。
ひどいヤカラがいるもんやなあと思った。
まだ咲く前の時期だったのであれがシュンランであれがエビネランと教えてもらった。
どちらも目につき易い場所だったので咲いてからのことが少し思いやられた。
ゆっくり登るので先に行ってくださいとの声を後にして先に進む。
その頃から雨がぽつぽつ降りだし、9時に六本杉に着いたので休憩をしてザックカバーと傘を取り出す。
雨は織り込み済みだがちと降るのが早いなあと思う。
六本杉から緩やかな登りを辿って行き、寒い風が吹き抜ける9時35分二つ鳥居に到着。
身体も冷えて来てここで登りで脱いでいたジャケットとテムレスの中にインナー手袋も嵌める。
レインジャケットはいくらゴアといっても蒸れると暑いので雨は傘でやり過ごす。
ここからは緩やかな下りに転じ、人声が聞こえてくると思ったらグリーン上に人がいるゴルフ場脇を通る。
途中、ゴルフボールに注意してください、責任を負いません。との立札があったが何とも無責任なと思う。
反対側を見ると、そこそこロストボールが落ちていたので早々に通過する。
しばらく気にとめて無かったが、10時10分にいつの間にか百町を過ぎた九六町に着く。
雨模様で傘を差しているので足元ばかりが気になり見過ごしたようだ。
やがて左下に道路が見え始め、雨が一旦止み晴れ間も見え出した11時過ぎ矢立に到着する。
矢立茶屋の人に断って軒下のベンチでコーヒーを淹れてミレーや芋ケンピを食べて休憩させてもらう。
20分近く休憩してから挨拶して出発。
ここから登りとなり10分ほど歩いた所で袈裟掛石に着く。
石の間を通り抜ければ長生きするとの言い伝えがあるとのことだが、子供かよほど細身の人しか通れない狭さだ。
そしてちょうど12時に道路を横断。
5分後に展望台に登り上がるがガスっていて景観は無し。
天気の良い日の風景。
この頃からまたミゾレ交じりの冷たい雨が降り出す。
倒木の爪痕や墨絵のような景色を眺めひたすら歩いて行く。
12時25分鏡石。
どれが鏡石か全く判らず。
12時57分十町石。あと少し。
十町石から最後のツヅラ折れを登りきった13時7分に大門に到着した。
九度山の道の駅から6時間少しの長い道のりだった。
大門から壇上伽藍に向かうと起点となる一町石があったので何やら感慨深かった。
壇上伽藍では寒い中多くの外国人観光客がいた。
まずは金堂や根本大塔を眺め眺めて過ごす。
流石にお腹も空いていたのでベンチで休憩をする。
朝5時過ぎに熱湯を詰めて来た0.9mlのお湯も何度か飲んだこともあり熱くないのでカップ麺もそう美味しくなかった。
こんな気温が低くなりそうな時はガスストーブが必要だった。
食べている途中から寒くなって来たので早々に荷を纏め金剛峯寺へ行こうとするが、又冷たい雨が降り出してくる。
ここ最近の山行はタイツを履かないようにしている。
タイツを履いての登りは暑くなってくるとそう簡単に脱ぐことも出来ないのが厄介だ。
かといって山頂での休憩時は足元がすぐ冷えて来るので悩ましいことだ。
丁度、壇上伽藍を出た所のバス停で3人が待っていて、時間を見ると5分もしない内に来そうなので高野山駅行きのバスを待って乗り込む。
車中は暖かくてほっとする。
15分ほどで高野山駅に到着。
昨年秋だったかニュースで見た新しいケーブル車両に乗り込んで極楽橋駅へ。
極楽橋駅から九度山まで各駅停車の車内でおやつを食べて、まるで子供の遠足やなあと思いながらのんびりする。
九度山駅からは真田昌幸や幸村親子が蟄居させられた真田庵に寄り道。
そして朝に出発した道の駅に到着。
南方向を見てみると朝巡った柿畑や巨大な電波塔も望むことが出来た。
道の駅で販売されているものを物色した後、自宅に向けて車を走らせた。
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