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「成人」ランナー“フル完走113回”ひで会長の日記

フルマラソン完走113回まで到達! ランナー生活32年、ランナーズマイスターのシン・ランニングクラブ会長マラソン日記

思い出のレース記 1995年1月 東京シティハーフマラソン編 その2

2012年01月21日 | マラソン
今回は思い出のレース回想記、95年の東京シティハーフマラソン編の続き、その2です。


前年12月に右膝を故障(腸脛靱帯炎)して以来、練習もほとんどできなくなり「楽しみ」から「恐怖」へと変わってしまった東京シティハーフ。千葉マリン・ハーフでのワースト記録更新でさらに完走への不安が高まる中、ついにレース当日を迎えることとなった。
なお、レースの受付は前日のみであり、東京都庁にて受付を行った。前日も不安と恐怖でいっぱいであったが、ともかくナンバーカードも手にして完走を目指してがんばろうと思った。

当日、足にはしっかりとサポーターを固定して都庁前のスタートへ向かう。号砲直前はとにかく緊張した。痛みに対する不安とともに「ビッグレース」ならではの緊張感であったのだろう・・・。
テレビ中継開始に合わせついに東京都知事により号砲。スタートラインまでのロスタイムは1分半であった(ちなみに当時はまだ「ネットタイム」は計測はおろか概念すらない時代)。

新宿大通り、水道橋と進んだがやはり初めて大都会を走るのは圧巻であった。沿道の応援もすごい。なんだか別世界を走っているような、無我夢中の気持ちになった。そのためか、心配していた右膝が痛み出す気配はない。とりあえず一安心した・・・、のもつかの間・・・。
東京ドーム前を通過したあたりから腹痛が始まったのだ。故障発症以来、ほとんど練習できなかった影響が出始めたらしい。完全な練習不足であった。
それでも大手町から増上寺までの日比谷通りは感激した。まさか自分がここを走れる日がきたことを・・・。必死にペースダウンを抑えるため足を前へ出していった。
しかし、終盤の海岸通りではペースダウンも激しくなり、やっとの思いで歩かないよう走り続けた。

ついに見えてきた大井競馬場! ここからは最後の力を振り絞りラストスパート。トップのフィニッシュから40分、テレビ中継もすでに終了していたが、1時間43分台にて感動のフィニッシュとなった!

ゴールしてから一気に右膝の激痛が甦ってしまい、帰りは一苦労であった。それでもサプライズとしてゴール地点に職場の先輩が応援に来てくれて一緒に乾杯してくれたことも忘れられない思い出となった。
そして故障完治まではさらに2ヵ月以上要することになったが、東京の大舞台を初めて走れたこの「95東京シティハーフマラソン」は私にとって一生忘れられない感動のレースになったのであった。

~終~
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