「成人」ランナー“フル完走112回”ひで会長の日記

フルマラソン完走112回まで到達! ランナー生活32年、ランナーズマイスターのシン・ランニングクラブ会長マラソン日記

私のランナー草創期 その1 ジョギング開始からデビュー戦まで

2012年02月05日 | マラソン
現在、クラブで活躍している主力メンバーの「長距離ランナー」としての走歴は2~3年であり、まだまだ「成長期」として記録や距離への挑戦などの追求を通じて日々ランニングの楽しさを感じている段階だと思います。

一方、20年前の私のデビューした頃はどうだったのだろう・・・。そういえばこのブログでは「ランナー生活20周年記念」といいつつ、私の草創期についてはまだ述べていなかったではないか!
ということで、今回から数回に分けて、私の走り始めの頃について語ってみたいと思います。

私がランニングを始めたきっかけは「健康増進」と言えば聞こえは良いが、早い話が運動不足で体重が増えてしまったため(笑)。ちょうど会社に入社した1年目であり、何も運動していなかったので太り始めてやばいと思ったのである。
そこで1991年12月から昼休みを使ってジョギングを始めたのだが・・・。数百メーターも走ると息が上がり、とても2kmも走り切れなかったですね(苦笑)
しかし、いま思えば良くここで3日坊主にならずに続けられたかと思います。(ここでやめていたら当然いまの私はなかったでしょう! そして我がクラブも誕生していなかった・・・)

そんなで半年、突然のデビュー戦の機会が訪れました。当時、私はレースに出るなど全く考えてもいなかった(そもそも当時は「レースは競技者が出るもの」で自分には無縁と思っていた)が、ちょうど地方から転勤してきた「ランナー」の先輩から「レースに出てみないか?」と案内を受けとったのである。距離は8kmです。
最初は躊躇したが、これまで1人でゆっくりジョグしかしてこなかった私にとって、本気で走ったらどれくらいのタイムで走れるのか? 他の人と一緒に走ったらどれくらいの順位で帰ってこれるのか? せっかくだから一度くらい力試しに出てみよう!、となったのである。

ということでデビュー戦となった大会は1992年7月に開催された、現在でも開催されている「多摩川堤健康マラソン」となりました。この多摩川健康マラソンは多摩川に掛かる「ガス橋」を経由して東京側をスタート・ゴールに多摩川土手の折り返しコースで開催されました。
この時の私の年齢は19歳! 大会は年齢別のスタートのため私は「20歳代以下の部」に出場。この部の参加者は40名程度であった。当時、レースでのペース配分すら知らなかった私は無謀にも号砲から一気に全速力で飛び出す! しかし当然2kmもしたら息が上がり、4kmくらいからは歩きだす始末・・・。結局、良いところなしで8kmを約47分を要しての、ほぼ最下位でのゴールとなった。
実に苦すぎるデビュー戦でしたね~(笑)

いやはや、先の思いやられるこんな私が、これからランナーとしてどう成長していったのか・・・?
続きは次回へ・・・。
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