おっぱいとわたし 2016.12.3右乳癌告知 HER2(3+)ホルモン陰性浸潤径1.5cmステージ1

告知時、37歳独身 卵子凍結済
時々糖質制限、栄養療法ネタあり😸

乳腺外科初診:乳管内乳頭腫?えっ不妊??

2017年01月21日 11時49分47秒 | 告知前のこと
長いから、タイトル変えた。

初診で、エコー、マンモを終え。待つ。待つ。待つ。。。。。

やっと私の番だわ

女医さん、昔と変わらず、サバサバしてます。

触診。画像診断。(そうそう、10年前のエコーの画像を持参したの。)そして先生の手で再度エコー。

※私が受診した際に、持参したもの。

昔の繊維線種のエコー画像(最初に検診受けた病院の先生が、なぜだかタダでくれた。それ以来ずっと大事に持っていた。)→後に女医主治医に「持ってきてよかったね」と言われる。
既往歴、受診するまでの経緯(私だったら、産婦人科でのDrとのやり取り)、
現病歴、飲んでる薬、サプリメントを記載したものと質問したいこと(インフルエンザの予防接種を受けていいかとか)を提出しました。

私の場合、経過が長いことと、その間、小さな病気が多かったことと、今薬を飲んでいるので。それを大学病院の受診で説明したら、時間がかかると思ったので。


「乳管内乳頭腫を疑います。ただ、これは増殖率が早く、
繊維線種から、月日がたっていること。その間の経過をみれていないこと。
良性だとしても、摘出手術が必要でしょう。
悪性の可能性も否定できません。以上の点で、生検をしましょう」

針生検。チクッとしこりに針を刺して、組織を吸い取る。

私は、先生に聞いた。

「あの~。これって、母乳がでますかね。将来」

女医は表情を変えずに言いました。

「治療によっては。将来子供が産めない身体になるかもしれません」

・・・・・・・・・・・・?????????????????

どゆこと?????????????????????????


※多分、女医は、画像診断の時点で、生検するまでもなく、悪性だという診た手だったということでしょう。


ともかく、結果を待たないと何も分からないので、その日は帰宅。

※その後、結果は疑陽性。マンモトーム生検に進むことになる。

異変から告知まで④

2017年01月21日 11時41分27秒 | 告知前のこと
乳がん検診ができる病院を探す。

市の保健所に確か問い合わせた。「こういう事情で、検診の受診年ではないので、市から配布されるカードもないのですが。どこで検診できますか?」

担当の女性は「すでに症状が出ているので。検診ではなく受診して下さい」
「メールで施設の連絡先を送ります」。

乳がんの専門施設とその連絡先が添付されていた。

私は、ずっと医療施設に勤めており、昔研修医を育成する部門の事務だった。

だから。

知ってる先生(10年たったら、えらいさんでしょ?)、しかも男の先生に乳首つままれるのだけは嫌だった。

この期に及んで、自分が乳がんという危機感なし。


でも、腕が確かで、施設として高度なものを持っていて
なにかあったら通いやすくて・・・。

結局元の職場の昔から知っている、女医さんの外来日(繊維線種のセカンドオピニオンを受けたDr)に飛び込み受診した。(8時半に行って18時ごろやっとみてもらえた。そんなことは、承知済みだったので、昔の職場を探索したり、まだヨユー

それが11月16日のこと。

異変から告知まで③

2017年01月21日 11時27分03秒 | 告知前のこと
長くて、すみませぬ。


絵文字が使えることを、今知りました。使ってみよう。

産婦人科に行くには、基礎体温。

毎日測ってました。今記録を見返すと。
当時は過眠傾向。

疲労感が強かった。



10月30日ブラに出血確認。

しかし、私は不正出血の汚れが付着したと思っていた。

11月4日再度ブラに出血。

翌日が産婦人科受診だった。

Drは「精神科の薬の影響じゃない?」そう言って、私の右乳首をつまんだ。

出血。。。。

私はいままで、乳首を横につまんでいた。
しかも、軽めに。
(伝わるかしら?右乳首を自分の右手でつまむ場合親指が、右側に来る)


でも、Drは、縦につまんだ(同、親指が上(顔の方))。しまもきゅっと。つまむ。

医師の顔つきが変わる。

「薬の影響だと乳汁しか出ない。(高プロラクチン血症)」
「血が出る」「乳首ゴリゴリしてる」

「乳腺外科を受診したほうがいい」

(ついでに、この日、昨年はなかった、子宮筋腫まで見つかる。24.8mm)
(この日は、子宮けいがんとクラミジア・淋菌の検査もする→が、後の卵子凍結でお世話になる
Drに、「膣の細胞をちょこっと採取する方法の子宮けいがんの検査は意味がない」と言われる。※ついでに基礎体温で排卵など、正確にはわからない。ということも初めて知る。

でも、まぁ

結果的にここで産婦人科の先生に診てもらったから、なんだか大変なことが起きてる気がしたんだから、助けてもらったわけです。




異変から告知まで②

2017年01月21日 11時12分34秒 | 告知前のこと
繊維線種と言われてから

10年が過ぎようとしていた。

転職先は、老人ホーム。

お年寄りとの触れ合いは、とても楽しかった。

ただ、どうやら仕事内容(総合職の事務)と風土が私にはあっていなかったらしい。

事務長が率先して、誰かの悪口を言う。それに同調(ごますり?)しないといけない空気。

いつも誰かが、誰かを監視して、事務長に告げ口。
独り悪者を作って、みんなの輪が保たれていた。

ま、仕事なんていいことばっかじゃないけどね。

当時、私はお見合いも始めていた。

悪いことは重なる。

結婚相談所の仲人と私の相性は最悪。

なんで、高飛車にそして、早口でまくし立てられて

決め言葉は「あなたは結婚できない」なのだろう。
すごく焦っていた私は、素直に信じて言いなりになっていた。
(私は恋愛経験がこの時点で、なかった(恥)。純粋過ぎる私)
ま、それはおいといて、すごく好きになった人とのアレヤコレヤがありました。(これは落ちついたら書きたい)

そして、職場のパワハラは。

じわじわと入職当時から私を追い詰めていった。(被害者は私だけじゃないという^^;なんて職場。)

ついに、張り詰めていたものが臨界点に達した。
(これと並行して、ナンヤカンヤ継続中(笑))

2年前の4月。辞めろと言われた日から、転職活動も始めていた。
内定も貰ったが、決めかねていた。

ある日・・・急に声が出なくなった。(すぐに戻ったけど)

心療内科にて「心身症」。


仕事は、もう辞めるつもりだった。

そこから半年。(現在も、薬だけもらいに行ってるが、実はあまり飲んでない。)
※傷病手当金がほしいので、通ってます。
っていうか、今や乳がんだから、そっちでもらっとけばよかったよね。

すぐに復職できる。と主治医に言われたはずなのに、
半年経っても、体調はすぐれなかった。

だるくて、熱はないのに熱感があった。

なんかおかしい。

リワークという復職支援のプログラムにも午後からやっと出席というありさま。


なんかおかしい。主治医に訴えた。「薬があっていないのでは?」「なぜ治らない?」
「薬は必要なのか?」

Drは、あせらないこと、様子を見ることを繰り返した。


どうしたんだろう

不正出血が続いていた。

そうだ。折角暇だし、気になることは調べてみよう。

産婦人科に予約を入れた。

異変から告知まで①

2017年01月21日 10時48分34秒 | 告知前のこと
元々、私は20代後半(10年くらい前)から、乳腺繊維線種を持っていた。
(現在の病巣とは関連なし。が、乳腺繊維線種の人はリスクは高まると当時言われていた)

これが、時々痛かった。Drは、痛ければ鎮痛剤を飲めばいいよ。と言われた。

当時は、癌なのでは?と怖くて怖くて、セカンドオピニオンまで受けた。
結果が出るまで、ひとりで泣いた。

結果が出ても、納得できずにセカンドオピニオンを受けた。
「その若さで、癌になるはずはい。」そう言われた。(でも、その後19歳でも乳がんになった方がいることを知る)

当時は、大学病院に事務として勤めていたので、「ほんとは検診は大学病院ではしないんだよ~」とDrに言われながらも、こっそり経過を見ていた。

セルフチェックはしなかった。

というか、怖くて触れなかった。それは今も同じ。おっぱい怖くて触れない。

その後、激務に耐えかねて転職。

・・・・・・・・・・放置した。


どこに転職しても、私はいつもなんだか激務だった。

契約職員から正規職員にどうしても成りたくて、採用試験の勉強。
加えて老猫3匹の看病・通院・介護が始まった。

寝る間を惜しんで、こなしたなぁ。

いつも疲れてた。エナジードリンクを1日2本飲むことも多かったなぁ。

重度貧血になったり、不正出血があり産婦人科には通っていた。

冷え取りもやっていた。



胸の痛みは常にあった。時々ズキンと刺すような痛み。痛みがなんだか、イヤなものに成ってるように感じた。

でも、なぜだか私は、産婦人科系の心配ばかりしていた。

その間、右額に帯状疱疹、百日咳、謎の(専門病院をいくつも受診した)長引く激しい咳・・・

今思えば身体はSOSを発していた。

乳がんの検診のことは
頭の片隅にいつもあった。


でも、大学病院で検診できないでしょ?
繊維線種もちで、エコー(30代だから)受けたら、引っかかるでしょ?

どこ言ったらいいんだろう?

今思えば、エコー受けとけばよかったよ。

経過観察っていう考えに至らなかった。


それからさらに数年後

ようやく乳がん検診を受けようと思う。

が!

全然、市の受付窓口に電話がつながらない。(-_-;)

やっとつながったと思ったら、

いちいち長時間保留で、待たされる。

やっと電話口に出てくれたと思ったら、数カ月先まで予約が埋まっているという。

福祉業界で転職したばかりの私。
数か月先の休みを確保する勇気がなく。
またしてもくじけることとなる。