K.H 24

好きな事を綴ります

螺子職人とピアニストー3

2021-12-02 16:34:00 | 小説
第参話 苦手
 
 物心つくと、おもちゃの小さなピアノは飽きてしまい、通園路にある家電量販店の電子ピアノの鍵盤を叩くのが楽しくて仕方なかったようだ。
「お母さん、楽しいよ」
 美音にとって、ピアノをはじめ、楽器の音を一度、耳にすると全てが音階と共に美しい音色に聞こえていた。いわゆる、絶対音感に似た能力を先天的に身につけていたのだ。だから、美音はいつでもその音色を楽しみ笑顔を絶やさない幼児だった。
 その反面、保育園や幼稚園の頃から保育士や幼稚園教諭の話しは聞かず、いや、その大人達の声まで楽しく聞こえて、燥ぎ回るのが常であつた。したがって、話しを聞かずに動き回る女の子と見られていた。
 
「美音は本当にピアノが好きね、とても上手よ」
 母の千亜希は電気屋で長時間電子ピアノを弾こうが嫌な顔せず、我が子の楽しむ姿を見守っていた。
 美音は他の遊び、塗り絵やお絵描きの時に実在しない曲を鼻歌混じりで一時間以上、遊び続けた。それら以外の時は注意散漫で、周囲の状況にそぐわない事をしたりした。だが、千亜希は優しく言い聞かせた。決して癇癪を起こさなかったが、集団行動に不適だったり、指導する大人のいうことを受け入れられないのではないかと、懸念していたことも事実だった。
 
 その理由は美音を早産してしまい、低体重児で産み落とし、NICUの保育器でのサポートが必要となり機械音や閉鎖的空間に居させてしまった事に不本意さを抱いてたからだ。自由にのびのびと日々を過ごさせたいと考えていた。
 しかしながら、予想以上にピアノの上達は早く、普段から聞かせていた童謡をリズムにズレがあるも、特に、弾き方を教える事なく演奏出来るようになっていた。
 
 ある日、美音が通う幼稚園教諭は連絡帳で遠回しに発達障害を疑う内容を告げられた。
 千亜希にとって、その内容は想定内のことで、勇気を出して、発達障害を否定してもらおうと小学校入学前に小児神経科を受診させる事にした。
 
 残念ながら医師からは、発達障害の一種であるアスペルガー症候群が疑われるといわれ、また、絶対音感やピアノ演奏の上達が早いのは、音楽に特化したサバン症候群の可能性が高いともいわれた。だが、支援学校へ通う必要があるかは現時点では判断できない、幼稚園では問題行動が無かった事、千亜希自身の育て方等を鑑みるとそのまま普通学校に進学させて構わないと結論付けられた。それと、万が一、小学校入学後に学校生活に適応しきれい、ストレス過多等が見られれば、学校側とも相談して、いつでも受診するよう助言を受けた。更には、貴重な話を聞くことができた。
 
 新生児がNICUでサポートを受け保育器で過ごす時期があった場合、保育器の中の環境は問題ないが、心電計をはじめとする医療機器から発する音や点滅する光等が微細な脳傷害を与えてしまう可能性が分かってきいて、それが発達障害の原因の一つであることも聞かされた。
 
 千亜希は受診してみて、今後も美音のそんな一面に気を配らねばならないこたを再確認し、子育てしていく中で具体的な課題を持てた。同時に、医師までもが、色眼鏡で美音の事を見る事に呆れてしまった。それと、ピアノ演奏や音楽に関する才能を伸ばしてあげたい意を強く抱いた。
 
「では、三年二組の自由曲は、茶つみです。ピアノ伴奏は春野美音さんです」
 美音は、小三の校内合唱コンクールからピアノ伴奏を任された。しかも、歌を歌いながら楽譜を見ずにクラス全員を先導するようにした。
 それからは〝ピアノの天才〟、〝ピアノの申し子〟等と呼はれるようになった。
 また、週に三日通っていた小柳冨佐子(こやなぎふさこ)ピアノ教室の発表会では、関係者や父兄以外の一般の来場者が増え、マスコミの取材等もあり、ピアノ教室自体への収益や評判も上げていた。
 
「美音さん、あなたのお陰で私は、鼻高々よ、ピアノを好きになってくれてありがとうね」
 ピアノ講師の冨佐子は美音に誇らしい眼差しを送った。
「冨佐子先生、お鼻、何も変わってませんよ」
 美音には冨佐子の喜びの表現が理解できなかった。機嫌が良いのは察していたが。
「そうだね。先生、ピノキオじゃないもんね。アハハ、アハハ」
 冨佐子は笑った。
「美音、冨佐子先生は美音がピアノが上手くなったから嬉しいのよ、教えてもらったんだからお礼、ちゃんといわなきゃね」
 千亜希は感謝する事を教えたくてそういった。
「先生ありがとうございます、でも、ピノキオみたいに鼻がのびちゃうと、ぶつけちゃって痛いよ」
 冨佐子と千亜希は、美音の発想に笑った。
 
「美音ちゃん、今日も上手に弾けてたね、歌いたくなったよ」
 笑いの輪の中に、同じ歳の木村清樹世(きむらすずよ)が入って来た。
「スズちゃん、今日も来てくれたのね、ありがとう、スズちゃんの時は見にいくからね」
 清樹世も発達障害のが疑われていて初めて小児神経科に受診した時に出会い、千亜希が清樹世の母親である加寿美に声をかけ、連絡先を交換し、互いに相談し合う仲となり、子供達も仲が良くなったという経緯があった。
 清樹世は手先が不器用で楽器には興味を持てず、合唱団に入る事になった。高い歌唱力を持つが、合唱では周囲の子達に気を取られ集中出来ず、注意散漫になるため上手く歌えず、合唱団の指導者が独唱を勧めたことで、その合唱団に所属する事が継続できた女児である。
 しかしながら、周囲に気を取られるのは清樹世も絶対音感の持ち主で周りよりもレベルが高すぎて、周りの子達の音程のズレや声量が弱かったりする事が気になってただけたのだ。寧ろ、周りの子との歴然とした違いが清樹世が自分自身の歌声が間違ってるとさえ感じてた。だが、絶対音感の美音にとって清樹世の歌声はとても気持ち良く楽しくなる歌声で、とても気に入っていた。
 清樹世も同様に美音のピアノを気に入り、お互いの発表会には欠かさず見に行くようになったのだった。
 
「春野さん、こんにちは。美音ちゃん、また、上手くなった感じですね」
 加寿美は千亜希に挨拶した。
「木村さん、今日もありがとうございます。スズちゃんは来週ですね。私も楽しみにしてますよ、絶対見にいきますからね」
 千亜希は加寿美の手を両手で握りそういった。そして、帰りは四人でファミレスに行くのが恒例となっていて、勿論、どちらかの父親がいると、五人、若しくは、六人になることもあり、お互い、境遇が似た愛娘のためを思う親として、交流が深まった。
 父親同士が揃うと、ファミレスの後に二人で呑みに行くことさえあった。
「最近さぁ、清樹世は思春期に入って来た感じで、だいぶ男の子を気にするようになってきた感じなんだ、こないだ、加寿美が赤飯炊いてよう、俺に対しても恥ずかしさを見せるのさ、当たり前の成長期での在り来たりのことなんだろうけど、反抗期に入ると荒れるかなぁ」
 清樹世の父親、秀造が美音の父親、夏飛虎(なつひこ)と二人で小料理屋に呑みにきて、一杯目の生中に口をつけた後の言葉だった。かれこれ、五年になる付き合いの日々が過ぎていた。
「そうなんすか、お赤飯ですか、うちの食卓にはまだ上がってこないなぁ、とうとうそんな時期になってきましたね、どうなることやら、ですね、秀さんは男兄弟だけでしたよね、俺もそうだから、女の子のデリケートなとこは分からんですよ、胸張って静観しかないな」
 夏飛虎は秀造とは違い、心配する様子を見せなかった。
「夏、何かあったら相談に乗ってくれよな、宜しくな」
 秀造の不安な心情は止まなかった。
「そりゃ勿論、俺だって何かあったら、秀さんに相談しますから」
 夏飛虎はあっさり答えた。
 この二人、母親達よりも親しい関係性を築いてた。秀造が二つ歳上で、お互い学校は違えど野球部出身で、その影響で直ぐに打ち解け、程良い上下関係が成立していた。だから、たまに二人で呑みに行くのもお互いの妻は嫌がらず、逆に、頼もしく思えていた。
 そんな話題をも酒のアテになる時期となり、父親達は娘が彼氏を連れてきたら、とか、結婚式では泣く、泣かない等まで話を膨らませていた。
 
「お母さん、お母さん」
 六年生に進級する前の春休みの朝、美音が目覚めると大声を出して母親を呼んだ。美音が大人の女性の身体に近づき、身篭ることの準備が整ってきた証であるが、保健の授業でも習ったはずなのに、実際に、そんな身体の変化が訪れると、美音はパニックを起こしていた。
「どうしたの、朝から騒いで、ゴキブリでもいた」
 そういいなが、千亜希は美音の部屋のドアを開けた。
 美音は立ち竦んでいて、部屋に入って来た千亜希に鬼の形相で鋭い目線を向けた。
「あら、始まったのね、はいはい、シーツは洗いましょうねぇ、美音、着替え持ってお風呂場に行くわよ」
 千亜希は浴室の棚から、準備してた生理用ショーツとナプキンを取り出し、事細かく美音が分かり易いように教えてあげた。美音は千亜希からの教えを理解したが、身体変化に対しては、まだ受け入れられないでいて、気持ちが沈み込んでしまった。約二週間の春休みの前半は美音のピアノ演奏も暗い曲ばかりになった。
「美音、女の人はみんなそうなるんだから、お母さんだってそうなのよ、保健の授業でも聞いたでしょ、スズちゃんだって始まったっていってたわよ、携帯電話貸せたげるから、スズちゃんとお話ししてみたら」
 千亜希は美音を助け舟に乗せた。
「美音ちゃん、私、夏休みの頃から始まったのよ、お腹いたくなったり、気分悪くなったりする時もあるよ、終わったら何も無かったようになるから大丈夫よ」
 千亜希のスマホで加寿美に連絡をとり、事情を話し清樹世と二人で話しをさせる事が出来た。
「うん、分かった。一昨日の朝からなんだ、スズちゃんと話したら楽になったよ、ありがとね」
 美音は清樹世の声を聞くと気が楽になった。
 その後、春休み中に何度か清樹世と美音は会う機会があった。二人の母親がそんな機会を設けたのだった。そして、二人は、同じ中学に通いたいといい出した。公立だと無理なことだったため、ふた家族で検討し、合唱部が有名な私立の中学に受験させることにした。
 
 同じ私立の中学に入学した二人は、希望通り合唱部へ入部した。二人は既に有名人だった。美音は全国レベルのピアノコンクールで金賞を何度も取っていて、清樹世も同じように独唱部門では、小学生レベルを優に超えていた。周囲の生徒達は、二人を期待した。美音のピアノは期待を上回るものだったが、清樹世の合唱は期待外れだった。独りでしか歌えないことに、わがままだの、独り善がりだの影口を叩かれた。それに気づいた美音と清樹世は、顧問の先生に重唱を試みたい旨を嘆願した。
 それに対し顧問の教師は、放課後の部活の時間帯での練習は依怙贔屓(えこひいき)していると誤解される恐れがあるから、他の生徒がやっていない朝練をすることで、二人の自発的な取り組みで、他の生徒よりも努力し、みんなの前で披露して認められるようにしたらどうだと、壁を乗り越えるための課題を顧問は提案した。
 これがきっかけで清樹世は、三年生になる頃には合唱が人並み程度出来るようになった。
 この二人は高校も一緒になった。その地域では有数の進学校。普通科は無く、理数科と国際科、美術科、音楽科の四つの科が設けられていた。勿論、二人は音楽科に入った。とても個性的な生徒が集まる学校だった。中学校では一年生の頃から目立っていて三年間は支え合いながら、苦難を乗り越え過ごした日々だっが、この高校では、確かに名は通っていたが、持て囃されたり、影口を叩かれたり等はなかった。
 美音はピアノ、清樹世は歌に集中できた。心穏やかに楽しい日々を過ごせた。
 しかしながら、浮いた話しは皆無。でも、たまに見かける男女二人で下校する姿を見ると、羨ましかったり、憧れる気持ちを抱くことがあった。そして、二人だけで過ごす時間が減り、各々、他の友人ができたり、五、六人で話しをし、盛り上がる機会も度々見られるようになり、男子が交じる事さえあった。正に、アオハルを満喫していた。
 そして、高二に進級する頃に、二人は初めて男子から告白された。清樹世は悩みながらも独りの男子と上手く付き合えたが、美音は、長続きしなかった。三ヶ月程で途絶えてしまった。
 それは、どうしても美音は手を繋ぐのを嫌がったからだ。ピアノを弾くための大事な手に万が一の事があると嫌だと思っていたのだ。そんな美音に男子はついて行けなかった。しかし、美音は恋愛感情を少しでも持てた経験が嬉しかった。二、三度、映画や遊園地でデートができたことが嬉しかった。
「美音の拘り、やっぱり理解してもらえないのね、残念だね、でも、哀しくないの」
 数人の女子だけで、恋話が始まり、清樹世だからこそ聞けることだった。
「哀しくないって言ったら嘘になるけど、それと、男子にも悪いなって思うけど、今はピアノが大事、毎日毎日、鍵盤を叩いていたいから」
 美音はかなりストイックだった。
「凄い、尊敬しちゃう。格好良いよ。もっともっと、ピアノの腕を磨いて、ピアノの前に座ったら勝手に指が動き出す、なんて、極めればさぁ、その時は良い人が現れてるかもね、美音はその方向で頑張りなよ、応援するよ」
 高校生になって友人になった国際科の橋本多実栄が美音をリスペクトした。
「多実栄も凄いよ、そんな考え方、私なんてモテないから彼氏出来ちゃうとタダでは手放したくないって思うなぁ」
 もう一人の新しい友人で美術科の彫刻家を夢見る喜友名朋美が羨ましがった。
「美音、そんな風に考えてるんだ、ピアノが恋人だな、手を繋がないだけで落ち込む男は腰抜け野郎だよ、振ってやった方が良いさ、美音のこと本当に好きじゃないんだよ、格好つけたいだけの男さ」
 途中から参加して来た唯一の男子で理数科の渕上真斗が口を挟んで来た。
「みんなありがとう、私は平気だから」
 色んな意見が飛び交い、美音は喜びを感じてた。
 
 美音の人付き合いの苦手なことは、恋愛することへも悪影響を与えた。恋人なんて、結婚なんて、できなくても構わないと考える美音だった。
 
 続