第弍話 残り香
肆.ガマフヤー
亜熱帯気候に包まれた南に位置するこの島は、すぐ傍が海で風通しがいいものの湿度が高く、砂浜にパラソルをさして影を作り水着姿で過ごす時以外は、日向に出ると、そのムッと込み上げる湿度と光に皮膚を刺される痛みに攻められるのである。
そこで、この島の人々は、突き刺さる太陽光が痛みを伴う光なのか否かで、季節を判別する。痛くなったら夏、そうでなければ大体冬と捉え、春と秋の存在をなくてもいいものと、考えている。
「二人とも、宜しくね、俺は視野が狭いから教授が連れてってくれないからさ」
「ああ、分かってる、でもさぁ、本物の洞窟なんだよな、ワクワクしてくるよ、なぁ、昌幸」
照芳は医学科を卒業すると、医師免許を取得したものの、臨床はアルバイト程度で、解剖学教室の助教となった。
「まぁな、でも餓鬼の頃、思い出すな」
昌幸の言葉は空気を澱ませてしまった。
「なんだ、なんだ、俺はあの時、防空壕に行ってなかったらここにはいないと思うよ、自分で決めて下見しようってなって、手榴弾を味わったんだから、良い経験だよ」
照芳はその澱みを自ら洗い流した。
「そっか、凄えや、雄二は不発弾喰らったもんな、俺の友達はミラクルばっかだな」
昌幸のお調子者は変わらない。
「おはようございます、諸見里さんが紹介してくれたお二人ですか、山田です、今日は宜しくお願いします」
「先生おはようございます、はい、兼城《かねしろ》君と上江州《うけず》君です」
三人が解剖学教室の出入り口で喋っていると、山田洋介《やまだようすけ》教授がやってきた。
丸刈りで眼鏡をかけてて、大柄な身体で、一見、厳ついが優しい顔つきである。
「あっ、おはようございます、兼城雄二です」
「おはようございます、上江州昌幸です」
二人とも一瞬、腰が引けたが、その顔を目にするとホッとした。
「どうぞどうぞ、お入り下さい、私は出かける準備してますので、仲程さん、今日手伝って下さる、兼城さんと上江州さん、コーヒーでもお出ししてもらえますか」
「おはようございます、今日は宜しくお願い致します、どうぞ、こちらにお掛け下さい」
山田教授は左奥の教授室へ向かい、事務官の仲程景子《なかほどけいこ》が、新品なソファーに案内してくれて、雄二と昌幸は更に、緊張感が解れた。
「思ってたより地味なんだな、ここって、職員室、俺は大学いってないからさ、雄二んとこもこんな感じなの」
「こんな感じだよ、学校だもんな」
「そだったな、昌幸は高校卒業したら親父さんの木材屋さんを継ぐのを決めたんだよな」
二人はだいぶこの場に馴染み、再び三人で、世間話をできるようになった。
もう、空気は澱むことはなかった。コーヒーの薫りも後押ししてくれて。
「さぁ、出掛けましょうか」
三人の雑談が一〇分近く続いていると、照芳にいわれたようにツナギを穿いてきた雄二と昌幸と同じ格好、ツナギ姿で山田教授はそういった。表情が先程とは違い、キリッとしていて、仕事モードだった。
「はい」
雄二たち三人は山田教授のその表情で、特に、雄二と昌幸は再び、緊張感を高めソファーから立ち上がった。
学術的に有効性が高いと考えられる発掘現場には、縄文時代の化石が出土しそうだということで、解剖学教室に依頼があった。この島で考古学的活動が可能な機関は照芳が所属する大学の解剖学教室しかなく、二〇年振りの依頼であった。
「山田先生、宜しくお願いします、お気をつけて」
女性で准教授の石井《いしい》ひとみは発掘調査へ向かう、照芳が運転する山田教授と雄二、昌幸を乗せたバンを見送った。
「石井先生も行きたいと思ってるんでしょうけど、股関節を痛めてしまってて、彼女の分まで頑張りたいですよ」
「先生、すみません、僕も片目が見えなくて」
「いえいえ、仕方ありませんよ、懐中電灯の光しかないですから、そんな中では視野が狭いのはリスクを倍以上負うことになります、私一人で作業しようかと思ってましたが、諸見里さんがお二人を紹介してくれたから助かりますよ」
現場へ向かうバンの中での照芳と山田教授の会話が始まった。
「山田先生、私たち二人は足手纏いになりませんか、発掘活動なんて初めてですけど」
「何言ってんだ、やりながら覚えりゃいいだよ、そうですよね山田先生」
雄二らも二人の会話に加わった。
「いいですね、お二人は、諸見里さんの幼馴染だけありますね」
「はい、二人は勘がいいと思いますよ、ずっとこんな僕の味方でしたから」
山田教授は笑いながらそういい、照芳は二人への信頼を強調した。当の二人はポカンと口が半開きになり、頭の中で思い浮かぶその会話に適した返す言葉をみつけられないでいた。
「いやですね、諸見里さんは、幼少期に稀に見る経験を積んだんですよ、そして、お二人に支えがとても幸せだったようで、本来なら医師として臨床で充分な実力を発揮できるのですが、私の教室に入りたいというので、お二人の話題がでて私も一度はお会いしたいと考えたのです」
そうこうしているうちに現場へ到着した。ここは、この島で暮らす人なら、いや、この地域出身者ならば誰もが知っているといっても過言ではない、鍾乳洞である天千洞《てんせんどう》と同じ地盤の洞窟だった。
その天千洞と出入り口が反対側になっていて、三年前に発見された洞窟なのだ。ここは、天千洞の広さの三分の一程度しかなく、多勢の人が収容できない広さと予想されていて、その違いが、縄文時代には住居として利用されていたと仮説立てられているのだ。
「じゃあ、諸見里さん何かあったら連絡しますから、運転お疲れ様でした、ではお二人さん、参りましょうか」
その洞窟は、発見されて一年目は発掘調査の予算がつき、鍾乳石が確認できる場を見つけることができたが、二年目は世界大戦で命を落とされた方々の遺骨収集にあてられて、学術的発掘調査は一年間休止を余儀なくされたのだった。
しかしながら、山田教授はそれに不満はなく、あえて遺骨収集を先にするよう要望したくらいだった。
「遺骨収集後の地図は頂いてますが、実際にはどうかを目視しないといけなくて、発見当初は諸見里さんと私とで調査を始めましたが、危険性を懸念する軽い事故がありまして、諸見里さんが危うく大怪我しそうになったんですよ、ですから今日は、お二人に安全性を確認して頂きたいのです」
そういいながら洞窟入り口付近まで足を運んだ。
「そうなんすか、やたら日当が高いのはそんなことがあるんですね」
「ええ、でも遺骨収集の時の洞窟の採掘状況が良いとは聞かされているので、大丈夫だろうと思うのですが、念には念を入れないとですね」
「はい、光栄です僕らがそんな重要な仕事に携われるのは有り難い限りです、事故がないように、先生の指示に従います」
洞窟の入り口は山田教授が漸く通れる程の穴が一〇メートル伸びていて、匍匐前進で進まなければならず、だから、ツナギ姿が必須で、その道中で分かれ道があったり、または、分かれ道が崩れ易い状態であれば補習しながら進まないといけないわけである。
その一〇メートルの細い入り口を通過するのに一時間近くかけた。そこを通過し山田教授が持参していた小型のサーチライト照らすと、美しい鍾乳洞となっていた。所々に小さな水溜りがあり、その直上には、先細りしている鍾乳石がツノを尖らせ、水滴を一〇秒に一回のサイクルで地面に垂らしているのであった。その水滴の着地点は小さなクレーターのように、波紋が広がったように、石灰岩を浸食していた。そして、その水滴たちは、着地点に留まることはなく、入り口から下方に濾過されるよう奥に池を作っていた。しかし、その池は、現状の水位を保つことから、更に、そこから、地面へ染み込み、川、もしくは、海へ流れているのだった。
「じゃあ、この入り口を広げることからはじめますか、一旦、外に戻りますよ」
山田教授を先頭に一〇メートルのトンネルを戻っていった。
「あいあい、山田教授、お疲れ様です、天千洞窟よりは小さいけど立派な鍾乳洞になってますでしょう、あそこからは三人の遺骨がで出てきましたよ」
外に出る戻ると、ガマフヤーの勢理客守《じっちゃくまもる》が待っていた。
「どうも、お久し振りです、お元気そうで、北側にガマがみつかったんですよね」
「えぇ、そこでは一〇数体分の遺骨が出できました、恐らく集団自決ですね、悲惨ですよ想像すると、慣れませんよ、みつける度に涙、涙ですよ」
「いやぁ、ご最もです、勢理客さん、その壕に案内してもらえますか、先ずは線香をあげさせてください」
山田教授と勢理客はとても仲がいいように映り、その会話に雄二と昌幸は隙入ることができなかった。教授にいわれるがまま、二人も線香をあげに向かった。
三人が線香に火をつけ、手を合わせ静かな風が流れると、勢理客は涙を流した。
「いつもありがとうございます、山田先生、ここで無念に旅立った人たちは心穏やかになれますよ」
「いやいや、とんでもない、勢理客さんの活動が素晴らしいんですよ」
雄二と昌幸にとって、衝撃的な出来事だった。幼い頃から身近に感じていた〝戦後〟が薄っぺらいものに感じた。まだまだ、戦争は終わってないと再確認させられた。
「お疲れ様です、兼城さん、上江州さん、今日はありがとうございました、お陰で入り易くなりましたよ、この状態なら諸見里さんと石井先生も安全に中に入れますよ」
鍾乳洞への入り口である一〇メートルの細いトンネルは、山田教授が中腰で通れるまでになった。
「先生、先程の勢理客さん、なんですけど、常に遺骨収集をなさってるんですかね」
「そうですね、本業の合間にやってるでしょうから」
照芳の迎えの車がくる間、雄二はガマフヤーのことを質問し続けた。
「今日はありがとな、助かったよ、先生も喜んでたし」
「照芳は勢理客さん知ってるの」
大学に戻り、雄二と昌幸が帰宅する時、照芳に見送られていると、昌幸がそう聞いた。
「あっ、勢理客さんに会えたの、知ってるよ、ガマフヤーだろ」
「そうだよな、やっぱり、山田先生も気さくに接してたからな、連絡先とかも知ってるか」
昌幸が積極的になった。
「うん、知ってるよ、でもどうして」
「勢理客さんの手伝いをしたいんだ。」
雄二はその発言に驚いた。
「えっ、昌幸、俺も手伝いたいな」
雄二は昌幸に感化された。
こうして、雄二と昌幸が照芳の大学の手伝いで、ガマフヤーの勢理客と出会うことになり、遺骨収集のボランティアを始めるようになった。
「まだ、戦争は終わってないんだよ、俺らの代で終わらせることは難しいかもしれないな」
雄二は幼馴染と戦後の傷跡を直接的に触れるようになり、そういった言葉を時折、口にするようになった。
第弍話 残り香 肆.ガマフヤー 終
次回、第参話 戦の日々