K.H 24

好きな事を綴ります

小説 イクサヌキズアト-4

2022-04-10 16:01:00 | 小説
第壱話 和合

 肆.解決にならない解決
 
「親父のは無理だけど、お前と俺の字は鑑定できるだろ、ねぇ、凪先生」
「なんだよ泰生、俺に恥をかかすつもりか、それでも兄弟かよ」
 
 凪が設けた、泰生と忠成が対峙する場は、早々に冷ややかな空気へ変化した。
 
「お前は俺にここで弁護士と遺産相続の話しをするっていってたよな、それをなんだよ、古い昔のことから持ち出しやがって」
「なんで、相続の話だろうが」
 
 二人は早々に喧嘩腰になった。
 
「お二人とも喧嘩はご勘弁です、忠成さんは遺産相続の話があるということで今日はいらしたのですね、泰生さん、説明不足ですよ、忠成さん、順序が前後することになりますが、この覚え書きに署名されているのは確実ですね」
 
 躊躇なく凪は、二人の間に入った。
 
「ああ、そうだよ、チェッ」
 
 忠成は舌打ちを吐いた。
 
「お前なぁ、凪先生にそんな態度とるんじゃないよ、何様だ」
 
 泰生は火に油を注がんばかりに小言をいった。
 
「お前は一生俺のことを馬鹿にし続けるんだな」
 
 忠成は刃渡り10センチ程の折りたたみナイフをライトグレーのジャケットの内ポケットから取り出した。
 
 一瞬、時が止まった。凪があの力を使い止めたのだ。
 
『忠成さん、あなたは人生を諦めてはいけないわ、泰生さん、広い視野で忠成さんをみてあげて、あなたも自分の生活に余裕がなくて、不安を拭いたいのは分かるけど、人はみんなそうなのよ、戦時中の怖さは、今はないのよ』
 
 凪は、止まった世界の中で、ゆっくり立ち上がり、二人の間に行くと、ナイフを取り上げ、耳打ちをしたのだった。
 
「忠成、あの頃はしょうがなかったんだと思うよ、たまたま俺の方が給料高かったわけだから、贈与税とか固定資産税とかの話をしたじゃないか、そして、お前が、広いだけの土地を所有しても維持費で火の車になることを納得したろが、それから、お互い相応の金額の借金をしてアパート建てたろ」

 泰生は忠成が折りたたみナイフを取り出して襲って来たことなぞ、無かったかのように喋り始めていた。
 
「泰生、お前はどんどん、どんどん、話を独りで進めていくんだよ、いつでも、それと、言葉足らずなんだよ」
 
 忠成さえ、折りたたみナイフを隠し持っていたことが嘘のように、無かったことになっていて喋ってきた。
 
「あぁ、そうかもしれないな、でもな、俺はみんなのために行動してんだ、だから、お前にもアパート建てたり、勧めただろ」
「それが嫌なんだよ、俺にだって伝手はあるのに、何から何まで決めてきて」
 
 二人の確執は治らないようだ。
 
「お二人の確執は埋まらないようですね、ベルリンの壁だって崩れ去ったのに、どうですか、お互い、兄弟として協力し合えないようですが、ご理解できました」
 
 凪は泰生と忠成に目配せしながら喋り、春生に一瞬だけ目線を送って確認した。二人の兄弟は元より、春生さえ、口を詰むんだままだった。
 
「これは仕方のないことだと思います、お二人は長年こんな状態なのでしょうから、でも、一歩進んだと思いますよ、互いが嫌になったことをいい合えたのだから、仲良くしようなんて考えない方が逆にいいですね、ですから、今回の安造さんの現金は、数三さんに相続してもらって構いませんね」
 
 凪は杉下家の遺産相続からの戦慄を、あの力を使って解決させたのだ。根本的な解決にはいたらなかったが。
 
 恐らく、杉下家の家族の不仲は、世界大戦以前からのことで、それに大戦のキズが安造に多額の財産をもたらした。
 しかし、安造はその、財産運用を上手くできずにいて、泰生と忠成の間の溝を深くすることに拍車をかけてしまった。
 
 世界大戦がなければ、この一家の歯車は滑らかに回ったのだろうか。そんなタラレバを論じるのは誰一人居たなかった。
 
 しかしながら、この一家が戦争はなかったほうが良かったと悔やんでも悔やみきれないでいた。
 
 嘗ての軍国主義国家の傘の下の教育制度の功罪であろう。
 
 第壱話 和合 終

 次回予告
  第弍話 残り香


小説 イクサヌキズアト-3

2022-04-07 07:56:00 | 小説
第壱話 和合

参.糸口
 
 春生は自分の実家の闇に気づいたように感じてた。父、泰生と叔父、忠成の仲の悪さはつい最近できたものではなくて、自分の想像を超える深い亀裂が自分自身が産まれる前からあるのだろうと。肩の力が抜けているにも拘らず、下っ腹に向かって不愉快な重みが両肩から鉄塊で押しつけられるような、これまでに経験のない重さ、いや、身体の虚脱を感じていた。
 
「すまんな、大きな声出して、忠成とはいつもそうなんだ、俺と忠成の間に幸子《さちこ》がいたんだけど、精神病を患ってて幸子ばかり面倒をみてたもんだから、その幸子は母さんと結婚する前に死んじまったんだけどな」
 
 そう話し出す泰生の顔を見上げる力くらいしか出せない春生だった。
 
「そうなんだ、父さんは忠成叔父さんに信頼されてないってこと」
「そんかもしれんな」
 
 それだけいうと泰生は春生から離れていった。
 
「春生、大丈夫?今に始まったことじゃないし、兄弟で解決しないとね、コーヒー淹れたから来なさい」
 
 千鶴は春生を慰めるわけでもなく、泰生のかたを持つわけでもなく中立であるかのように振る舞った。
 
「ありがとう、いただきます、母さんは父さんと叔父さんのこと一部始終しっていたの」
「父さんと結婚する前のことは少し教えてもらったけど、詳しくはわからないは、結婚式にも忠成さんはひょこっとあらわれたは、どうやって連絡とったのか私は分からなかった、強いていうなら、父さんは寡黙でしょ、人に相談なんて滅多にしないから、良くいえば独りで抱え込む、悪くいえば身勝手ってみられてもおかしくないわね」
 
 千鶴は中立だった。春生はそんな千鶴の強さを初めてしった気がした。
 
「うちって、色々と問題ありなんだ」
「どんな家だって、何らかの問題を抱えているものよ、深く考え過ぎちゃだめ、誰だっけ、〝右から左へ〟とか歌う芸人さん、それが良いのよ」
 
 春生は更に、千鶴の冷静な強さに驚いた。
 
 エンジンのスタート音が鳴った。アクセルを軽く空吹かしして、春生たちの家から一台のライトカーが、春生と千鶴のことを気に止めないように出ていった。
 
「あら、父さんどこに行くのからしら、せっかちだから、一言何か言って出かければいいのに」
「本当になんで何もいわないんだ、何考えてんだか」
 
 千鶴はいつものことのように表情は穏やかだか、春生は癇癪を起こしてた。
 
「まあ、まあ、あなたはこんなことしないように常に冷静でいてね、大丈夫、大丈夫、なるようになるは」
「母さん、平気なんだ」
「そりゃあね、いちいち気にしてたらあなたの父親とは一緒に居れないわ」
 
 春生は千鶴の言葉に熱で膨張しかけた心が一気に萎んでいった。それと同時に重たい身体が、いつの間にか軽くなっていてが、それを意識することはなく、諦めの境地に達した気がしていた。
 
「杉下さん、松井です、松井麗美です、法律事務所の」
 
 受話器の送話口を掌で覆って喋っているのか、周囲の音がこもって聞こえていて、麗美自身の声は小さな囁き声だった。
 
「あ、あ、杉下です、お世話になってます、もしかして、父がそちらに」
「はい、特に、問題はないのですが、お父様は感情を殺していて、上手く説明できないみたいで」
「分かりました、直ぐそちらへ伺います」
 
 春生は安心感と泰生の慌て振りが頭に浮かび薄笑いしてしまった。
 
「はい、いってらっしゃい」
 
 千鶴もそれを見て、笑みを浮かべ、春生の車の鍵を手渡した。
 
「中内君、春生さんいらしたわよ」
 
 ピカピカな赤色の軽自動車の運転席から降りる春生を見て、面談スペースのシャーカステンの奥でパソコンに向かっている甚平に、ゆっくり口を動かして伝えた。というのは、泰生は言葉を発するのだが、断続的で、その間は腕を組んで言葉を吟味してるのか、〝うぅー〟と、唸っているのだ。だから麗美は、自分の声が甚平の耳に届かないと察し、何度かそれを繰り返していた。
 
 一方、凪は普段と変わらない姿勢と表情で泰生を見つめていた。
 
「失礼します、杉下です、こんにちは」
 
 春生はノックすることを忘れて、声を出しながら事務所に入ってきた。
 
「あっ、こんにちは、泰生さん、いらしてますよ」
 麗美は慌てて、泰生が春生がきたことを気づくように、今度は事務所中に通る声を出した。
 
「松井さんありがとう、春生ここだ」
 
 泰生はシャーカステンの天辺から目まで見えるように立ち上がり、玄関先へ視線を向けた。
 
「父さん、どうしたんだよ」
「お前を待っていた」
 泰生は凪の目の前の椅子に座り腕を組み、目を瞑ってそう言った。
 
「ええぇ」
 
 凪と泰生以外の三人は声がシンクロした。でも、凪だけは軽く握った右手の親指側を唇に付かない程度に近づけて笑を堪え咳払いした。
 
「何いってんだよ、黙って出てったじゃないか」
 
 春生は呆気に取られた。
 
「そうだったか、まあいいや、お前も座れ、何故だか、上手く説明できないんだ、忠成のこと、お前が凪先生に説明してくれないか」
 
 泰生は周りの空気を読むことなく、あっさり春生に説明した。
 春生は仕方なく、千鶴から聞いていた、泰生と忠成の仲の悪さを凪に話した
 
「父さん、僕はこれぐらいしか知らないよ、後は自分で話しなよ」
「いや、充分ですよ、それで泰生さん、私が何をすればいいのですか」
 
 凪は予兆なく二人の間に入った。
 
「えっ、ああ、なんだ、忠成も連れてきていいですか、ええ」
「是非、是非、今回の相続の件、私が法律家として忠成さんに説明してさしあげますね」
「そうそう、宜しくお願いします」
 
 泰生は照れ臭そうな、気が進まないのか、そんな感情が絡み合っているのか、額に汗を滲ませて凪にお願いした。
 お願いされた凪は、とても顔の表情が緩み、ニコニコして、自分のスケジュールを手帳を開き、確かめ始めた。
 
「泰生さん、三日後の午後一時からで宜しいですよね、春生さん、忠成さんに電話して下さいます、そして、私に代わって下さい」
 
 こうして、凪だけが心乱さず振る舞い、泰生と忠成が対峙する場を設けたのであった。
 
 続


小説 イクサヌキズアト-2

2022-04-04 11:19:00 | 小説
第壱話 和合

弍.すれ違い続けた兄弟
 
 春生は実家にいる泰生と会い、凪からいわれた〝証明できる文書〟とか、存在するのか確かめていた。
 
「あっ、あるはずだ、お前も手伝ってくれ」
 
 泰生は数秒天井に視線をやると、庭にある物置に春生を連れて行った。
 
「春生あったぞ、これだこれだ」
 泰生は眼鏡を老眼鏡にかけ替えて、茶封筒にLDLで本体は掌サイズだか、強い光を放つ懐中電灯を照らした。裏返してみると右下に円で囲われた〝秘〟が黒のボールペンで書かれていた。
 
「父さん、この封筒の中に入ってるの、怪しいんだけど」
 
 春生は疑心暗鬼でいたが、泰生は懐中電灯を春生に持たせ中の文書を取り出した。
 
「ほらぁ、三人の自筆の署名があるだろ、そうだよ、三人で面と向かって、俺と忠成の経済状況とか確認しあって、その土地を活用するように話合ったんだから、じいさんは六人兄弟だったらしい、じいさんと俺と忠成だけが生き残って、忠成はまだもの心ついてない時だよ、戦争だよ、戦争でじいさんの家族、近々の親戚はほぼ全員が死んだんだ、嫁に出た姉さん一人だけ生きてるけど、当時は結婚で家を出ると実家との関わりは他人のように浅いものになったらしい、だから、じいさんが全ての財産を一手に貰い受けたわけさ、終戦直後だから、登記の変更とか役所がそんなことしてる嶋がないからな」
 
 春生は泰生から始めてそんな話を聞いた。戦前は自分の一族は裕福な暮らしをしていたのかと頭に過った。それと、普段は口数が少ない父親である泰生の流暢な話し言葉に驚いていた。
 
「あっあ、父さん、凪先生に連絡しとくよ」
 
 春生の言葉が聞こえなかったのか、いや、他のことを考えているかの顰めっ面で物置から出て、自分の部屋へ歩き出した。
 
「もしもし、杉下です、ありましたよ凪先生」
「お三人の署名がある文書ね、春生さんに今後の指示はださなかったんじゃないかしら、なるようになるから、春生さんは、お父様のこと静観してて下さい」
「分かりました」
 
 春生が凪に報告の電話をすると、凪は全てお見通しであるかのような返答だった。そして、春生は安心したようた気がして電話を切った。
 しかし、凪との電話を切って数秒後、途轍もない違和感を覚えた。
 
 すると、泰生の部屋から怒鳴り声が聞こえてきた。窓ガラス越しに泰生が自宅の電話の受話器を左手に持っているのが薄っすら見えた。
 
 それを目にした春生は静観しろという凪の言葉を思い出して、泰生の部屋には向かわず、喉を潤すために台所へ向かった。
 
「始まったわ、嫌だ嫌だ」
 
 春生が台所に着くと、間髪入れずに、母親の千鶴が吐露した。春生が千鶴の顔を覗き込むと何かを我慢していて、目を見開いた硬い表情が伺えた。
 
「なんだか喧嘩になった、きっと忠成叔父さんと話してるんだと思うけど」
 
 右手にグラスを持ち、左手で蛇口を捻った春生は、少しだけ音量を下げた声で千鶴に話した。
 
「春生はさぁ、愛美《まなみ》ちゃんや哲郎《てつろう》君と仲がいいからさぁ、いってなかったんだけど、昔っから忠成さんとお父さんはとても仲が悪いの、それに加えて藤子《ふじこ》さんは口ばっかりな人だし、塾を経営してて、塾長だからって私には上から目線でものをいうの、もう関わりたくないの、だから、私がいない時に電話して欲しいわ」
 
 秋枝は顔を紅潮させていた。
 
「そうなんだ、二人とも俺には優しいけど」
「それはね、きっと、春生に優しくしていれば、味方になると思って、味方につけたい作戦よ」
 
 春生は秋枝の言葉に唖然として、グラスに注いだ水を飲むごとを忘れ、ダイニングテープルにそれを置きながら椅子に腰掛けた。
 
「えっ、母さん、昔っからって、父さんと叔父さんは相当前から仲が悪かったの、叔母さんの上から目線は気づいてたけど、中二の時だったかなぁ、〝うちの塾に通えば成績は上がるわよ〟っていわれた、だから、僕は席次は常に一〇番いないだっていうと、流石、杉下家ねなんていってその後は成績に関することは何もいわなくなったけどね」
「あはは、そんなこといってきてたの、愛美ちゃんは今、美容院で美容師してるでしょ」
「ああ、愛美姉さんは早く美容師になりたいって、高校にいかなかったよね」
 
 二人の話は広がっていった。
 
 一方、泰生は部屋で、かかってきた電話に怒鳴ったり、自ら電話をかけて怒鳴ったりの繰り返してが続いてた。
 
「愛美ちゃんね、高校受験、失敗したのよ、でも、藤子さんは、高校に受験しなかったことにして、知り合いの美容院に就職させたの、今でも美容師免許はとってないみたいよ」
 
 母親が隠して事実を耳にした春生は嫌な気持ちになり、秋枝の話を聞きたくなくなった。
 
 丁度その頃、泰生の部屋は静まっていた。
 胸に嫌な気持ちを充満させた春生はその静けさに気づき、泰生の部屋へ嫌々足を運ぶのだった。
 
「喧嘩じゃない、忠成は話を聞かないんだ」

 春生が泰生の目の前に位置して、忠成と喧嘩になったのか問うてみると、泰生は熱冷めやらぬ状態だと直ぐに分かった。
 
「落ち着きなよ」
 
 一言溢して、泰生の部屋を出ていった。
 
「もしもし、杉下です、凪先生、父と叔父は大喧嘩になったようです、どうしましょう、参りましたよ」
 
 春生は、庭に出て加熱式タバコをふかしながら凪に電話した。
 
「大丈夫ですよ、大丈夫、なるようになりますからね、いい方向へ治まりますよ」
 
 凪の声は、春生とは反して普段通りの落ち着いた優しい色だった。
 
 続


小説 イクサヌキズアトー1

2022-04-02 15:13:00 | 小説
第壱話 和合

壱.美原海凪《みはらみなぎ》法律事務所
 
「良かったですね、奥さんが誤解してたことと理解して下さって」
「ほっとしました、美原海先生のお陰です、僕も誤解されないように日頃から妻との会話を増やしていこうと思います」
「私も、子育ての忙しさに感けて、いつも明るく振る舞う夫にイライラしてたんだなって実感しました、穏やかに接してくれてただけなのに、反省します」
 
 離婚裁判の相談を受けた弁護士の美原海凪は、あの力を使って相談依頼に訪れた夫婦の仲違いを収めたのであった。
 あの力とは、時間を操作し、過去や未来を変えてしまう力だ。
 
「凪先生、また無料相談で解決したんですね、御見逸れしました、といいたいところですが、今月も精一杯ですよ、経営」
「ごめんなさい、最近は益々、見えて来るんです、何ていうか」
 
 事務系の仕事を一手に手がけている松井麗美《まついれみ》は凪の収益に繋がらない仕事に愚痴を漏らすことがある。
 
「麗美さん、僕はそんな凪先生を尊敬しているんです、僕の給料はもっと減らしていいので凪先生の今の仕事振りを支えて下さい」
 
 司法試験を見据えて、凪の助手を務める、大きな理想を抱いている中内甚平《ちゅうだいじんぺい》は、凪に対する麗美の愚痴が発せられる毎に陶酔して凪のことを話すのだ。
 
「甚平君、大丈夫よ、ただの愚痴よ、こんな私の愚痴を聞いてくれる凪先生、尊敬してるの、火の車だけどなんとかするわ」
 
 時折みる、麗美と甚平の会話である。二人は、凪を弁護士としも人としても尊敬し、敬愛しているのだ。
 
 そんな大黒柱の美原海凪の弁護士事務所は、主に、民事裁判を請け負っており、週に三日は朝の七時から一八時までクライアントとの面談に費やし、残りの二日は裁判に充てている。しかしながら、麗美は事務員であるため八時間労働を厳守させ、甚平には日曜日だけは休みを与え、凪だけが三六五日フル稼働している。
 したがって、麗美が事務所の経済面を危惧するのは、凪と甚平の必要経費が必然的に嵩張ることと、休まない凪の身体を懸念していることで、愚痴を口にするのだ。凪はそれを察しているものの、甚平はそこまで深読みすることができないでいる。
 
「こんにちは、一四時に予約していた杉下春生《すぎしたはるお》です、お邪魔します、宜しくお願いします。」
「こんにちは、こちらへどうぞ」
 
 あの夫婦の後に予定していたクライアントが玄関扉をノックし、場に慣れた雰囲気を漂わせ、事務所へ入ってきた。
 凪は麗美と甚平との会話を強制終了させ、自ら玄関と対角線上の壁に、中を見ることができない上三分の一が磨りガラスになっているパーティションを二枚立て掛けた面談スペースにクライアントをガイドした。
 
「中内君、記録お願いしますね」
 
 同時に甚平を面談スペースへ誘った。甚平は仕事のモードな顔つきに変わった。
 
「参りましたよ凪先生、父の弟にあたる叔父が色々、言い出してきまして、祖母の側の家の人が素直に話を受け入れて安心したのですが、あの叔父さんが急にですよ、どうしたら良いですかね」
 
 春生は、遺書を残さずに他界した祖父、安造《やすぞう》の財産分与に関する相談で、今回で三度目の面談であった。
 初回の面談時は、父の泰生《やすお》と母の千鶴《ちづる》と共に、その場を設け、三〇年以上前に祖父の財産であった土地を泰生と、その弟、忠成《ただなり》とで七対ニの割合で生前贈与しており、死後に残った僅かな銀行貯金を祖母だけに相続させたいとの旨の相談内容であった。
 というのは、春生の祖母、数三《かずみ》は祖父の三番目の後妻で、安造と数三の結婚の決め手は、安造が所有する土地の一部を数三の兄弟や親類へ安価で譲ったことだった。その甲斐あって、数三のそれがしらは繁栄したのだった。
 また、数三は自分勝手なところもあり、泰生と忠成はその頃一〇代後半で、既に職に就いていたが、二人に何の相談もせずにポンポン土地を売る父、安造に嫌悪感を覚え、父親と後妻との距離を置くようになった。
 その後、泰生と忠成は、安造が最後の土地の一画を手放そうとした時に、安造を説得し、七対二の割合で生前贈与してもらうことになった。
 更には、贈与税や固定資産税の納付が可能か否かで春生と忠成はあのような割合になったことで兄弟仲が険しくなった。
 要するに、祖父、安造の壱千萬円近くある貯金は、数三を実家から出て行ってもらい、自分の親類と生活を送る、もしくは、将来の医療費や老人施設入所時に使えるものとして欲しいとの泰生の一存が、数三の家の者も納得して、それ以上のことは何も求めてこなかった。
 
「どんなことを仰ってるのですか、具体的に教えて頂けますか」
 
 凪は、安造が他界し息子たちである泰生と忠成が年老いた義母である数三の残りの人生を人間らしく暮らして行ける配慮をしたと捉え、更には、仲違いが激しかった義母であったため、その親族に今後の面倒をみてもらうことが互いに最良なことと考えてのことだと理解していた。そんなことを頭に浮かべながら春生にあんな質問を投げかけていた。
 
「はい、祖母に譲ったお金は自分らも貰う権利があったとか、祖父から生前に譲り受けた土地の配分は不公平だとか、いいだしてます」
 
「なるほど、安造さんが残してた貯金はもとより、泰生さん名義の土地まで幾分頂こうと考えてるわけですね、では、ひとつ確認したいのですが、ご祖父様から譲り受けた土地の配分を泰生さんと忠成さんが同意をしたことを証明できる文書とかありますか、確かに、その当時のお二人の経済状況を反映させて配分されたと思いますが、そういった文書があると忠成さんの主張は受け入れなくてもいい筈です」
 凪ははごく当たり前のことを口にした。
 
「分かりました」
 春生は凪の助言を納得すると、泰生が待つ実家へ向かった。
 
 実は、安造と泰生、忠成の間には、『土地贈与における分配の約束事』となる文書がつくられていて、凪はそれをあの力で確認し、それを泰生が保管していることを知っていたのだ。
 
 続