爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

遍路道5

2020-05-09 13:20:08 | 日記
歳を取っ来たせいか、昔の人達、昔の出来事を特に思い出します。
有名どころではなく、私自身の身の回りの事なんです。

出家して36年、当時師匠(住職)も若く、精力的に宗教活動をされていました。

私は36歳で一般の会社員から、出家しました。

師匠の人柄に惚れてです。

世間一般によく有る、跡目相続のゴタゴタの最中でした。

まず坊主の世界は、一般常識が通じない所でした。

いくら年下でも、一日でも早く得度(僧侶になる儀式)した奴!?が
先輩になります。

人格とか全然関係有りません。
一般社会で先輩といえば、年長で人格者のイメージが有りますが、 とんでもない集団でした。

戸惑いが先に立ち、受け入れ難い環境でした。

でも自分に言い聞かせました。
好んで入った世界だから、受け入れないと、と。
仕方ないかと、毎日呪文の様に言い聞かせました。

当時は住職側と先代(住職の母親・御前様)側と、小さくはないお寺でしたので、職員達も結構いました。

それが住職側は頭数が少なく、先方は取り巻きも多く結構いました。

勢力的にも圧されています。
何をするにもクレームを浴びる様な状態でした。

そこは代表役員の住職ですから、脅したり透かしたりで、大変だったのでは、ないでしょうか。

しかし精力的に活動をされていました。
まぁ、凄いの一言に尽きます。
当時思っていました。

師匠は激務なのに、疲れないんだろうかと。

ちょっと内輪の話ですが、師匠が或る占い師さんに見て貰ったところ、この人は僧侶でなければ、畳の上では死ねないと、言われたそうです。

なんかそれだけでも凄くないですか。

いわゆる、カタギの商売じゃなくても、本人がその気であれば、その道でも充分やって行ける人と。

私も感じていました。
なんかちょっと、カッコいいんです。(ミーハーですかね!?)

いえ!?私はカタギですよ。

お寺の業務を大きく分けると、修祓(お祓い)と滅罪(供養・葬儀)
になります。

なんせ、祈祷寺ですから、お客さんに来て貰わなくては、なりません。

まず人集めから。
師匠は霊感ばりばりの人です。
未来予知なんか、百発百中!
決して褒めすぎなんかじゃ、ありません。
鑑定と称しますが、お尋ね事のことです。

その鑑定の凄さは、有り難い事に、お客さんの口づてに広がりました。

最盛時のエピソードですが、
人間は百人いれば百人の、千人いれば千人の悩みがあります。

当山では、現在鑑定は予約制になっていますが、当時は来山順に受付をしてました。

忘れもしません。
ある年の2月2日でした。
明くる日の2月3日は、当山恒例の「節分祭」(豆まき)なんですが、鑑定のお客さんが本堂に詰めかけていました。
その日最後の鑑定のお客さんは、長崎から12:00頃に見えていました。
その方が終わったのが、夕方6時くらいでした。

鑑定時間をお一人15分としても、24人待ちの状態でした。
師匠も昼食はおにぎり一つを、何分かで食べて、続けられていました。

傍で見ていても、大丈夫なんだろうかと、思ってしまいました。

行事ごとに本当に忙しい、そんな伝統のお寺なんです。

現在は長男さんがお寺を引き継ぎ、日々三代目として、重責を果たされています。

益々の寺門興隆を願って、やみません。













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