爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

世間の「モノサシ」に振り回されない

2021-12-30 12:17:02 | 日記
自分の心を柔軟に、かつ寛大にするには、自分の心の中にある小さな尺度(モノサシ)を捨てる事だ。

と同時に世間の尺度に合う様に、あまり努力をしない事だ。

いま世間で良いと言われている様な人になろうとすると、常に世間に振り回されて、自分の心の安らぎを失う。

心の中にある自分だけのちっぽけな尺度で、他人や世間の出来事を計っていると、日毎に他人が不愉快な存在になり、世間が地獄の様に見えてくるであろう。

その時に自分は生きる意欲を失ってくる。

また、世間に気に入られ様、世間に迎合しようと、世間の尺度ばかり気にしていると、自分の精神の自由を失う。

自分の尺度や、世間の尺度をひっくるめて「尺度」(人のモノサシ)という。

「人尺」に従って生きていると、いつの間にか人生が「ダメだ、ダメだ」という否定の方向に向いてしまう。

宇宙の生成力(徳)の尺度を「天尺」という。

天尺の尺度はただ一つ。

人を愛し、人を思いやり、人を慈しむ心を持っているかどうか。

損得ではなく情の一目盛だ。

人尺、つまり人の世の尺度で、あれが良い、これが悪いとやっていると、私たちの判断は実に気ままに飛び跳ねて、とうとう自分では手に負えなくなって、ついにはどうしたら良いのか分からなくなって、動けなくなる。

「仁に志せば、悪しき事なし」ーそんな時には、天尺を志せ。

天尺に生きるとは、自然の様に生きる事だ。

自然とは自から然なる…。という意味だ。

作意なしの素直な心だ。

お金が沢山入ってきたら、贅沢をすれば良い。

貧乏になったら、貧しく生活すれば良い。

別に何の問題はない。

フランス料理も良いが、玄米で梅干しもうまい。



まずは自分が幸せになる

2021-12-29 10:59:17 | 日記
私は小学一年の時に、世の中の厳しさをいやという程痛感した。

田舎にしては大きな商売をしていた父は、困っている人、貧しい人の面倒をとても良く見ていて、新聞にも「親切なお米屋さん」と写真入りで掲載されたりしていた。

しかし突然、その父が他界した。

その上詐欺に引っ掛かって、破産したという。

すると今までは、ニコニコ笑って親切にしてくれていた近所の子供たちが、急に威張りだした。

嫉妬が意地悪に変わると、恐ろしい。

土手を自転車に乗って走っていると、五、六人の友だちがワイワイやって来て、力を合わせて自転車をひっくり返し、自転車もろとも私を田んぼに突き落とした。

ブランコに乗せられ、みんなで力任せに振られ、頭から落とされた。

大きな石をぶつけられて、口も切れた。

貧しく惨めな身分になった時、初めて友だちの心の底が分かると思った。

貧乏になると、びくびく生きて行かなくてはならない。

元気な気持ちが腐ってくる。

やっぱりある程度までは、豊かに暮らしたい。

孔子は「貧と賤とは、これ人の悪む所なり」と、言っている。

人というものは、貧乏で生活に困ると、とかく他人から無礼を受け、何かと人を恨みがちになる。

「論語」というと、何となく貧に甘んじて生きる事が、わきまえの有る生き方の様に思っている人も多いが、実はそうではない。

「倉廩(そうりん・穀物を蓄える所)実ちて、則ち礼節を知る」。

これは管子(かんし)の言葉である。

倉の中に品物が豊富になり、経済生活が豊かに成ってくると、人は初めて礼節を知る…と。




「イエス」「ノー」で割りきらない

2021-12-26 18:31:43 | 日記
勇気を持って生きる事。

いっそう豊かな人生に近づく為には、勇気を持って生きる事。

ノーと言わなくてはならない時は、ノーと言おう。

イエスとノーをはっきり選択し決断しない限り、貴方の未来も運命も開けてこない。

勇気こそ美しい人生を、創造する。

前進前進、とにかく勇気を強く持って前進して行こう。

勇気が有れば、世間の落ちこぼれにはならない。

本当にそうであろうか。

ただ乱暴な勇気を持った人たちが、物怖じもせず、ただ一つの主義や利益を守る為に、その他の一切に対抗して暴れだすと、世の中がギクシャクする。

孔子は言う「勇にして礼無ければ則ち乱す」と。

人を思いやり、人を慈しみ、人を敬する礼のない勇気は、結局のところ世の中を乱すだけだ。

勇気ある者は、決して人を愛する礼の心をゆるがせにしてはならない。

弱い者を労り育てるのが、人間の真の勇気だ。

以前、裏山から下山する時にスッテンと転んで、右足をくじいた。

くるぶしの所が風船の様に腫れて、歩けない。

大変な事に、翌日に仏教大学で講演する事になっていた。

生まれて初めて、杖をついてお話し申し上げた。

次の日には、ご本殿を参拝したかった。

門の所で合掌すればいいと思っていたが、タクシーの運転手さんが車椅子を押して、本殿の中まで入ってくれた。

沢山の参拝者の人たちが、車椅子が進むに連れてサッと道を空けて下さった。

「どうぞお先に」「大丈夫ですか」…。

見知らぬ人たちの優しい礼節に、私は懸命に涙をこらえた。











弱くても構わない

2021-12-25 20:28:09 | 日記
大人しい人、優しい人、素直な人、人として、執るべき態度を執っている人たちが、実は痛み悩んでいるのが、現代社会の特徴である。

今日では、わがままに、勝手に言いたい事を、大声で言い振らして、人を責め非難する人の方が、大手を振っている様だ。

彼らは、自分の利益に都合よく行動する様に、がんがんプレッシャー掛けて、貴方を支配しようとしている。

大人しく、優しく、素直な人は、その横暴な要求を、嫌々受けながら、不平不満の中で、すっかり自信を失っている。

と言って、その支配を受けなくては、上手く生きては行けない。

孔子は「君子は憂えず離れず」と言っている。

大人しく、優しく、素直な人は、そんな時には自信を失って、落ち込んだり、嘆いたり、逃げ出そうとしたりしてはいけない。

どんな時も、恐れおののいてはいけないのだ。

「弱能(よ)く強に勝つ」

これは「十八史略」にある名言である。

弱いものが、いつかは勝つのだ。

大人しく、優しく、素直な人が、いつかは物凄い自信を着けて、安定した存在となるのだ。

柳の枝は、フラフラしてまったく自信無さそうに、台風に吹き荒らされているが、折れる事はない。

でも勢力盛んな大木は、台風に当たると枝が折れ、根っ子まで倒される。

横暴な態度で貴方に恐怖を与える人がいたら、「ああ、この人は台風に当たったら、倒れてしまう気の毒な人だ」と、同情し思いやれば、貴方のストレスは無くなるだろう。






期待を押し付けない

2021-12-24 17:06:03 | 日記
「お父さん、お母さんが、好きですか」と、中学生に聞いてみた。

「好きな人は、手を上げて…」と言っても、七十人程のうち、僅か二・三人しか手が上がらない。

「何故、お父さん、お母さんが嫌いなんだ」と、手前に座っている人に聞いてみた。

「うるさいから」「あれしなさい、これしなさいと面倒な事ばかり言うから」「勉強しろってばかり言って、しないと怒るから」「勉強が出来ないと冷たくかれるから…」

今日の様な過酷な時代を生き抜くには「勉強が大事だ」と思う気持ちは良く分かる。

が、あまりその事を優先すると、子供との感情に食い違いが生まれ、ギクシャクする事になる。

「之に事うるに礼を以てす」

もし、幸福で楽しい親子関係を作りたいなら、ごく小さい内から「ありがとう」「おかげさまで」「ごめんなさい」「おはようございます」「お休みなさい」と、身近な礼の作法を、しっかりとしつける事が肝心だ。

「両親をありがたいと思う人」と聞いたら、ほとんどの子供がさっと手を上げた。

みんな良い子なのだ。

日本人の素晴らしさは、人に多くの事を期待せず、人をひたすら信じ、温かい心で見守ってやる事であった。

「まあ、今は大した事は出来ないが、彼はゆくゆくは良い仕事をするよ」と、人を育てるにも、長い目で見守ってやったのだ。

チェックも悪い事ではないだろうが、毎日まいにち弱点と欠点ばかり指摘されていたのでは、二十四時間休む時がなく、人生に疲れはててしまうだろう。