爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

恋する女は綺麗だ

2021-05-31 18:35:13 | 日記
寝ても覚めても恋の病。

病と言ってもキレイになるのだから、こちらは大歓迎の病である。

女性は確かに恋をするとキレイになる。

これは医学的に根拠のある事なのだ。

恋をするとその刺激は脳に伝わる。

「幸福感」を感じた脳はその情報を主に、食欲、性欲を起こす大脳辺縁系から、内臓系の働きを活発したり、ホルモンの分泌をつかさどっている視床下部に伝える。

「幸せ」情報を受け取った視床下部は、さらに脳下垂体というところにその情報を伝えて、さまざまなホルモンを分泌するよう命じる。

幸せ感が刺激となって出るホルモンはプロラクチン、エストロゲンの二つ。

このホルモン、じつは新陳代謝を活発にするもので、新陳代謝がさかんになれば、体の内部からの「浄化」が始まる。

恋をした女性はこうして、しだいに肌艶がよくなりキレイになるという訳。

ただし、ここでのキーポイントは、「幸福感」。

恋をしても幸福を感じなければ、このシステムは働かず「恋やつれ」となってしまう。




沖ノ島参拝

2021-05-30 18:24:27 | 日記
かれこれ30年程前になるだろうか。

福岡県宗像市に鎮座する宗像大社の祭神「宗像三女神」をご存知だろうか。

宗像三女神はスサノオとアマテラスが誓約の際、アマテラスがスサノオの剣をかじり、息を吹き掛け生まれた神様達で、スサノオの子とされています。

宗像大社の祭神として祀られ、宮島の厳島神社にも宗像三女神として祀られています。

宗像三女神は長女に(沖ノ島沖津宮)タゴリヒメ、次女(大島中津宮)タギツヒメ、三女(田島辺津宮)イチキシマヒメと呼び、三姉妹とも美人で、ここから美人三姉妹という言葉が生まれたのかも知れません。

三姉妹の中でも、とりわけ美人と言われたのがイチキシマヒメで、水の神様だった事から、インドの神様の弁天様と同一化されています。

また、アマテラスから直接神勅を受け降臨した神様はニニギと宗像三女神だけと言われています。

それほど特別な神様だと言えるのでしょう。

その沖ノ島への参拝を願望する私達は、宗教法人名で宗像大社に参拝許可申請をしたのでした。

1ヶ月程のちに、許可が降りました。

宗像大社の沖ノ島勤務の職員は、一週間交代で海上保安庁の巡視艇で往き来しているのだそうです。

定期便のない島ですので、最寄りの神湊(こうのみなと)から漁船をチャーターし、片道2時間余りの海路を行くのですが、小さな漁船ですので不馴れな日本海の荒波は船酔いを誘発します。

往路は緊張のせいか、船酔いはしませんでしたが、復路の途中で吐き気を覚えていました。

学習しました。

船の揺れに逆らう様に肘を張って、身体を揺らさない様に乗っていると、酔いが来ることに気づきます。

揺れに身体を任せて乗っていれば、酔わない事に気づかされました。

漁船の船長には一時間後に、迎えに来てくれとお願いをして上陸します。

上陸した海岸で、住職と二人で全裸で海水に浸かり「禊(みそぎ)」をします

身仕舞いを済ませ、急坂な山を登ります。

山の中腹に小さなお堂があり、そこでお勤めをしました。

普通は願っても叶えられない参拝を、させて頂いた事への感謝を述べて、お堂を後にしました。

わずか一時間程の参拝でしたが、島そのものが宗像大社の御神体で、御神域の島です。

二度と訪れる事のないであろう経験に
感謝しつつ、島を後にしました。

この後船酔いで、あげそうになるのですが。

































































靖国と西郷

2021-05-30 10:00:29 | 日記
東京都千代田区にある靖国神社は、東京ドームの2倍以上の広さを持つ広大な神社である。

正月や祭りの時には参拝の人々で境内がごった返すものの、普段はひっそりと静まり返った祈りの場といった雰囲気が漂う。

ここに祀られている神様の数は246万以上であり、戦没者を英霊として祀っている為、国内でご祭神の多い神社となっている。

その割合は太平洋戦争の戦没者が一番多いのだが、中には坂本龍馬や高杉晋作、吉田松陰といった歴史的な有名人も含まれている。

しかし同時代の有名人にも関わらず、西郷隆盛は祀られていないのだ。

じつは西郷は意図的に外されたのだ。

靖国神社の前身である「東京招魂社」が創られたのは、1869(明治2年)のことである。

その目的は幕末維新の戦乱で国家の為に働き、命を落とした人々の霊を鎮める事だった。

龍馬らは戦乱で亡くなった訳ではないが、近代日本を築く上で大きな貢献をしたという事で祀られている。

それなら明治政府を樹立する際に活躍した、西郷が祀られていないのは奇妙な話ではないのか。

だが、東京招魂社を創建したのは明治政府なのだ。

西郷は途中から政府を離れ、担がれて西南戦争を起こしたと言われている。

つまり、反政府勢力として最期を迎えた為に、ここに祀るにはふさわしくないと判断された訳だ。

官軍として働いた者は優遇し、逆賊は許さないという明治政府の態度が、龍馬と西郷の処遇の差を生み出したのである。

城山での最後の西郷の言葉として「もう、この辺でよか」と自死したのである。

盟友であった、後に暗殺される大久保利通の意志が働いていた事も否めないのだが。




筆のあやまり

2021-05-29 15:02:10 | 日記
「弘法(大師)も筆のあやまり、猿も木から落ちる」。

いかに超人・名人であろうとも、過ちを犯すの例えだが。

嵯峨(さが)天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)と並ぶ、ときの三筆の一人と言われた弘法大師だが。

その筆の見事さを称賛するエピソードには事欠かない。

両の手はもちろん、口で咥えてでも両足でも筆を巧みに扱い、五行詩を一気に書き上げるといった、奇跡を成したとも伝えられている。(!?)

その弘法大師も「筆を誤った」事があると言われる。

名人でも失敗する事はあるという意味で使う「弘法も筆のあやまり」の一幕だが、この事態が起きたのは京の大内裏の応天門に飾る額の文字を、依頼された時の事であった。

額に墨跡を記す事など大師にはたやすい事で、「応天門」とササッと書き上げて門に掲げたのだが、見上げた周囲の人間が驚いた。

「応」の文字の「心」の点が一つ抜け落ちていた。

が、そこは大師少しもあわてず、やおら筆を手にすると、額をめがけて投げつけた。

空を飛んだ筆は欠けていた点を記し、「応天門」は書き上がったという。

あやまりが後世まで語り継がれるのは、名人の証明といえるのだが。

やはり超人のなす事で、リカバリーにも落ちがないのかも。

私も下手な習字の手本で、大師揮ごうの「般若心経」を頂いた時には、しみじみと見いったものである。

もちろんコピーで、ですよ。













橋の欄干の玉葱

2021-05-28 17:34:30 | 日記
欄干の玉葱!?かぶらの形にも似てるし、長ねぎの「ねぎぼうず」にも似た形をしている。

爆風スランプのサンプラザ中野は、武道館の屋根の形を♪あの、玉ねぎ~🎶と歌っていたのをご存知だろうか。

あれはいったい何の為に付いているのか。

名前は「擬宝珠(ぎほうし)」という。

仏教の建築様式が日本に伝わった時に一つの技法としてもたらされた物で、中国古来の装飾である。

そもそも仏教では、あらゆる願いを叶える不思議な珠を「宝珠(ほうじゅ)」と呼び、仏の象徴としてきたが、その形を模して建造物に組み込み「擬宝珠」という名を付けたと言われる。

玉ねぎの様な形をしているが、じつはこれは「炎」をかたどった物である。

仏の象徴という意味とは別に、擬宝珠は欄干や屋根の頂部を腐食から守る目的で取り付けたとも考えられている。

木造りの建造物は風雪に弱く、腐食を防ぐ為でもあったらしい。

伊勢神宮(内宮)入口の五十鈴川に架かる宇治橋の欄干に、この玉ねぎ(擬宝珠)が有った事を思い出すのだが。