現代人は、自分の考えさえしっかり持てば、それだけで一人前であるかの様に、思っている人が多い。
あるいは、自分の知能とか技術が充実していれば、豊かな人生が送れると、信じきっている人も多い。
その通りで、あるかも知れない。
しかし、この一回こっきりの人生を、真に人間らしく生きるには、あらゆる人間が、偉大なる宇宙の生成力(徳)一つに依って生かされていると言う、疑う事の出来ない事実に、目を開かなくてはならない。
何故か自分が宇宙の生成力に依って、生きていると言う事実に無関心な人は、逆境に対処出来ないから…。
いくら自分の考えをしっかり持っていても、自分の考え通りに世の中は動いてくれない。
知識と技能に優れていても、アッという間に時代遅れになってしまう。
しかし「仁者は仁に安んず」で、もし宇宙の寛大な生命と一体感があれば、どんな時も安らかである。
常に人間は宇宙の生命を、自分の住む家と心得ていれば、楽しく過ごせる。
彼の勤務先は、ミッションスクールであった。
彼の宗教は禅宗であった、にも関わらず、毎日微笑んで十八年勤めた。
苦痛は無かったのか?
実は毎日まいにちが、苦痛と悩みの連続であった。
異教徒である私が悪い。
疑われても、誤解されても、当然なのだ。
その苦悩を脱する為に、毎日某仏閣の選仏場で座禅をした。
生きているこの生命の原因は、何かを求めた。
ある時深呼吸を一つして「なぁーんだ」と思った。
生きている原点は呼吸なのだ。
宇宙には、禅もキリスト教もない。