若い頃は、一日が長かった。
今は残された時間が、少ないと思うから、出し惜しみしながら生きている。
生きているのが、退屈だった頃も有ったが、今は平等に与えられる時間を惜しむ自分がいる。
この年代になってこそ、分かる事なんだろうが。
残された時間を惜しむ自分に、なんと嫌味を言ってやろうか。
生きる事に精一杯だった自分にも、なんと嫌味を言ってやろうか。
今更ながら、何気ない時間の無駄遣いを惜しんでしまう。
年寄りには明日の保証もないが、若い頃は生きているのが当たり前だった。
明日の朝も目覚めるのが、当然だった。
年寄りには、明日も生きている保証はない。
そんな心境は、この年代だからこそ出てくるもの。
明日も生きていたいとは思わないが、明日も生かされているのであれば、生きて行かねばならないとは思う。
いわゆる生への執着も少しだけ。
生かされている感覚も少しだけ。
大いなる魂への感謝も少しだけ。
ただ生きている感覚だけはある。
依然として、気持ちは引きこもり。