爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

相手の良い処を

2022-01-29 07:58:13 | 日記
ハンチというお弟子さんが、孔子に「仁とは何ですか」と質問した。

孔子は「仁とは、人を愛する事だよ」と一言で説いている。

この愛とは、私たちが普通に使っている、いわゆる男女の愛ではない。

一般の男女の愛は、沢山の男女の中から、それぞれが最高であり、最適であると思い選択した、二人に起きる欲情の心である。

この欲情の愛の心を、二人でほったらかしにしていると、だんだん飽き足らなくなっていき、二人の欲求が減退してくる。

そして、困った事には、次々と新しい欲求が湧いてくるから、男女の愛はいずれは不満の山を築く悪循環を繰り返す。

徳の愛はそうではない。

まずは、二人が常に深く思いやる事。

次に、優しくねぎらってやる事。

さらにもう一つ、お互いにその個性を発見し、その才能を伸ばしてあげる事。

この愛こそ、宇宙の絶対の「愛」である。

私は今まで、随分夫婦のグチや悩みを聞いてきた。

私がフェミニストだからではないが、どの破綻についても、男があまりにも女性の全てを思いやらないという点が、女性の鋭い反発の原因となっていると、思った。

もちろん、夫婦の複雑な関係から起こる葛藤は、一つや二つの理由で片付けられない。

でも、男が自分の理想とする女性を得ても、彼女を支配したり、抑圧したり、逆に無関心であったりしてはならない。

常に女性を優しくいたわり思いやって差し上げる。

そこに女性の愛も深まるから。





「出会い」や「縁」を大切に

2022-01-28 15:46:45 | 日記
偉大なる宇宙の生成力…この生成力が、天にも地にも、そしてこの自分の生活にも、活動している。

この宇宙の生成力「孝」の力は、単に自分の体の小さな細胞にまで働いていてくれるだけではなく、実はいろいろな人との出会いも、取り持ってくれている。

「昨日はこんな人と会って、とても為になる話を聞いた」

「あそこで、あんな素敵な人と出会えるとは、思ってもみなかったわ」

私たちは時々不思議な出会いを、経験する。

ふとした出会いが、自分の人生を画期的に進展させてくれる事がある。

そんな出会いが、貴方個人の力で成立したと、思えるであろうか。

こんな思いも掛けない、素晴らしい出会いを演出しているのも、宇宙の生成力「孝」の力なのである。

天地万物一切が、孝の力で運行する。
それが「孝行」である。

「孝」が「行」なっている為である。

「孝なるかな惟れ孝」ーああ、万物にとって、もっとも重要なものは孝の縁の力。

大学二年の夏に、私は友人と二人で富士山に登った。

登山口で一人のイタリア人に出会った。

彼は大学生であった私たちに、親しみを持って近寄ってきてくれた。

そして、たどたどしい日本語で「富士山一度も登らないバカ。富士山二度も登るバカ」と冗談を言って笑ってくれた。

そこで一旦は別れたのに、また頂上で再会した。

そのイタリア人が上智大学の学長になったヨゼフ・ピタウ先生だ。

この方のご縁で、私は後に某学園の先生となる。




敬う心を育てる

2022-01-23 23:52:24 | 日記
某学園に勤めた十八年。

今日でも何を有り難かったと思うのかと言うと、私の様な浅学な教師でも、どの生徒も礼を尽くし、敬ってくれたという事実である。

教師生活をして、あれ程優秀な生徒から、慕われ敬して頂くと、その尊敬に適当する自分になろうとして、自分もよく学問をしたし、修行もさせて頂けた。

もし生徒からバカにされ、無礼に扱われたら、今日の私はない。

生徒に礼を尽くされたのは、何も私だけではない。

どの先生に対しても、生徒は礼儀正しかった。

だからどの先生にも、情熱があった。

「之を斎うるに礼を以てす」で、学園はいつも明るく、楽しかった。

大変悲しい事だが、今日では生徒が先生に礼を尽くすどころか、校内暴力という風潮に煽られて、中学生や高校生が先生に暴力を振るい、生徒が先生を殺す事件まで起こった。

先生の指導が適当かどうかを、チェックする学校もある。

先生と生徒の集団をまとめるのに、「敬」の礼儀がいかに大切であるかを、すっかり忘れてしまった。

「之を斎うるに礼を以てす」は、為政篇にある孔子の貴重な言葉である。

「之」とは国でもいいし、家庭でもよい。

おおよそ、少しでも人が集まって、仲良く和して生活するには「礼儀」というものを、しっかりと教えておかなくてはならない。

平和で明るい生活を育てたいなら、まずは礼というものを大切にする様に…。

これが孔子の重要な人間学である。

そして、礼儀の心は人を尊敬する処から、育てられる。

敬と礼の心をうまく育てる事が出来れば、人間らしさが復活するだろう。





されて嫌な事はしない

2022-01-21 14:11:22 | 日記
ある日、子貢というお弟子さんが、孔子に質問した。

「私が一生涯ずーっと続けて実行しなくてはならない『仁』の心を、一言で教えて下さいと…。」

孔子はすぐさま「ああ、それは『怨』という事だ」と答えられた。

もし貴方が、リーダーや先輩や夫から、貴方の弱点を毎日のようにチェックされ、貴方はダメな人だとばかり言われていたら、ストレス過多になってだんだん参ってしまう。

誰だって欠点や弱点をばかりチェックされたら、やる気を失くして自信が持てなくなるだろう。

子供にいつでも「どうして、そう勉強しないの。塾に行ってもぜんぜんダメなのね」と言っていたら、子供はふて腐れてしまう。

世の中には、考えられないほど勉強嫌いの子供がいる。

そんな時、お母さんが焦る気持ちも分かるが、なるべく悪口は言わない方がいい。

自分が言われて嬉しい言葉を相手にも与え、自分が言われて嫌な事は他人にも言わない。これが怨の心だ。

孔子は続けてこう言っている。

「己れの欲せざる所は、人に施す事なかれ」と。

自分が聞いて嫌な気持ちになる様な言葉は、なるべく人に言わない方がいい。

上司から、お前はダメな奴だと言われ続けていると、いつの間にか自分でも「俺はダメだなあ」と思うようになる。

人間は自分はダメだとコンプレックスを持ったら、万事がうまく行かなくなる。

上司から「君には良い所がある」「君なら大丈夫だ」といつも励まされていたら、不得手な事でも喜んでやってみたくなる。








「やめる」勇気を持つ

2022-01-20 04:24:04 | 日記
弱いものを叩き、自分の強さに安住する。

次は自分よりちょっと強い者に食いついて相手を倒し、自分の強さに満足する。

そして、ついにはお山の大将になりたい。

いつも虎のように暴れ、受験競争であれ経済競争であれ、競争と名のつくものなら、絶対に勝ちたい。

勝つためなら、自分の持つあらゆる能力を少しも惜しまない。

こんな勇気を「血気の勇」という。

血気にまかせて、がむしゃらに競争する。

これを「猪勇」ともいう。

ただ客気にはやって相手に勝ちたい。

「仁者は必ず勇あり」_宇宙の生成力を敬愛し、その徳とともに生活している「仁」の人も必ず勇気を持っている。

ただし、その勇気は血気盛んな、戦いの勇気ではない。

いわゆる世にいう「慈母の勇」である。

相手を思いやり慈しんで、絶対に戦わない勇気である。

子供を産んだ母親のように、全てを子供に合わせ、心にまったく私念がなく、常に子供が安らかに、健やかに成長するよう…。

一歩、二歩とがむしゃらに突進していく勇気が血気の勇。

一歩退く勇気が「慈母の勇」である。

ただし、突進していく勇気、血気がまったく無くては、人生は向上しない。

ある時には、自分がカーッと憤怒した盛り上がった気持ちがないと、一事をなす事はできない。

「憤せざれば、敬せず」(述而)

孔子は、道の教えを受ける時に、いろいろな疑問を解決するために、激憤した怒ったりするような、カーッと盛り上がるような情熱がない者には、うまくその心を開き教えることは難しい…とも言っている。

学問・仕事・修行、いやしくも大成を期せんとするならば、正当の勇気がいると。