爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

日本人の責任の取り方

2021-04-30 01:12:17 | 日記
年齢の如何に関わらず、仕事や業務の指揮を取る者は、その結果に関わる事には責任を持たねばならない。

それは指揮を取る者の責務であろう。

この仰々しい文言に込められた想いは、仕事であれ戦時下であれ指揮する者であれば当然の事であろう。

責任は付いて廻る。

でなけりゃ部下は付いてこない。

優秀な指揮官の下に優秀な部下が育つのだから。

それだけ責任が重いという事だろう。

指揮官は逃げ腰では務まらない。

戦時下の大々的な作戦に於て、前線から逃げ出した将官がいくらか居たが、後々まで語り継がれるのだから。

その内に忘れられるなんて事はない。

いつまでも覚えられているものだ。

特に汚いまねをした者には。

恥さらしの腰抜けとして。

生き恥どころか死に恥として、後々まで語り継がれる。

そんな爺さんを持った子孫はたまった物ではない。

戦時下に限らず、潔さが持ち前の日本男児なら正々堂々と生きて欲しいものだが。

こそこそと逃げ回っては男の値打ちが下がってしまう。

若者よ、堂々と生きて欲しい。











後悔はしない

2021-04-29 14:34:00 | 日記
爺さんは過去に生きるらしい。

反発はしても否定はしない。

そうなのかも知れない。

もう貝になってしまっている。

でも死んだ貝にはなっていない。

加熱しても口を開かない貝は始末が悪いという。

死んだ貝には貝毒があるという。

河豚の毒と同じ様にしびれや言語障害、下痢、腹痛、嘔吐、酔った様になる事もあるようだ。

でも老害で迷惑を掛けているかな。

部屋で静かにしていると、うちの婆さんが覗き込み『生きとるね?』とのたまう。

迷惑は掛けてない積もりだから、よしとせねば。





















お遍路さん

2021-04-27 16:51:44 | 日記
写真はお遍路さんに向かう九州を発ったフェリーからの景色です。

九州の新門司港から大阪南港まで幾度となくお世話になりました。

新しいフェリーなら振動や騒音が少なく楽なのですが、古い船だと一晩中ガタガタとやかましく更に揺れて、慣れない方だと眠れないかも知れませんね。

お遍路さんに慣れない内はツアーのお世話に成りましたが、慣れてくると自分達で廻る方が日時や経費共に速く安くつきます。

ツアーではバスの添乗員さんや先達さんが作法やお経など全てお世話して頂けるので、半分物見遊山気分でも廻れますが、自分達で廻るとそうは行かなくなります。

綿密に計画した行程表が必要となります。

札所間の距離と時間、各札所での参拝から御朱印を頂くまでの所要時間を予測し予定を決めます。

札所のお寺により、また季節により閉門時間が異なり、事前の調査が必要です。

その一日でどの札所まで廻れるかを予定し、近くのホテルを予約します。

当日の予定が早く終われば問題はないのですが、車の故障やトラブルが起きると予定が狂ってしまい、悲惨な目に遇いかねません。

それと疲れは否めませんし、何が起きるか分からない不安もあります。

その期間中は気持ちが休まらないのが実状ですね。

それも修行だと肝に命じ頑張る事が、終わった後の達成感が格別なモノにもなりますが。

お遍路さんも経験だから一度経験すればそれで満足なんでしょうが、一度行くと又行きたくなるのだと言われます。

一般には『遍路病』と言うのだそうです。

私もこの遍路病かも知れないと想っていますが。






















虚無感

2021-04-27 11:00:22 | 日記
長州力さんの○○してみろ、翔ぶぞ!

その文言に驚いた。

何かのCMでだったか。

何故か心に残っていた。

誰でも辛いことはある。

そんな事は当たり前。

でも頑張らなきゃ。

だから前向きに生きてみよう。

だから頑張ってみよう。



虚無感なんて、クソくらえ。

自分の好きな事で。

楽しく生きて行こう。

自分の人生なんだから。











信頼感

2021-04-26 21:24:55 | 日記
信頼感を抱かせるには対象の猜疑心を消し、自分は勝手に安心感を膨らませているだけなんだろう。

自分を落ち着かせる手段なんだろう。

気持ちは自分の心に渦巻くいくつかの感情から、指を絡めて自分の想いとして定着させるのかも。

それは無遠慮に裸にしようとしているのかも。

突っ込みの一つひとつが対象のボタンやベルトに手を掛けているのかも。

対象の気持ちも考えずに。

心を許してない対象は無遠慮に感情を逆なでされ嫌悪感で心拍数を上げていくのだろう。

知らない処で私は何をしているのか。