宇宙から眺めて見れば、おそらく太陽は、小さな米粒の様な星の一つであろう。
その小さな米粒の系列に、月や地球がクルクル回っている。
その地球に、東洋と西洋があって、東洋の小さな島国が、日本という事だ。
その日本に、西日本とか東日本とか北日本とかがある。
宇宙からはどんな精密な拡大鏡を使っても、あなたは見えない。
人間の存在は、宇宙から見れば点にもならないし、チリ一つにもなり得ない。
しかし、このちっぽけな一つひとつの生命は、宇宙とまったく同じ統一体である。
人間の一生は、宇宙の生成力と一つになって、ぐるぐる循環している。
笑うも泣くも、嘆くも苦しむも、楽しむも喜ぶも、すべては宇宙の生命力の活動の表れである。
人間が自分の力で生きていると思うのは、人間の錯覚にすぎない。
太陽は銀河系宇宙の外側を、二億年に一回の周期で回っている。
そういう大きい目で、自分の日常の悩みや苦しみを見ると、バカバカしくなる。
「仁者は憂えず」だ。
北鎌倉の東慶寺で月見の会をした。
琴の調べも笛の名人の妙音も、素晴らしい演出だったが、台風の前日の夜の為、強烈な風が黒雲を運んでは、ときどき月を覆った。
そしてまた、すぐ輝き渡った。
まん丸のまま、輝いた。
その時、井上禅定和尚は静かに「八風吹けども動ぜず天辺の月」と言った。
「普燈録」の名文句であった。
八方から吹き荒らされても、月はまったく動じない。
人からけなされたり、非難されたり、苦しんだり悩んだり…。
身の回りの強風に、あまりびくつかない。
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