ある日に子貢という弟子が、孔子にこんな質問をした。
「郷人皆之を好せば如何」と。
郷人とは、今日で言えば市民とか国民と言う事になろう。
市民や国民が、これは良い事だと好んでいるものは、良いと言えるのでしょうかと、いう質問だ。
孔子は「未だ可ならざるなり」と答えた。
皆んなが良いと言ったって、良いとは言えないね…と。
そこで子貢は質問を重ねる。
「郷人之を悪まば如何」と。
市民や国民が、これを悪い事だと嫌っているものは、悪いと言えるのでしょうか。
孔子は、また答える。
「未だ可ならざるなり」と。
皆んなが悪いと言っても、本当に悪いかどうかは、判らないね…と。
今日では、市民や国民の多数の意見とか、世論によって、善悪を決定する。
社会にしっかりした世論というものがなければ、人民の幸福を増大させる事はできない。
それは、良く判っているが、と言っても世論による善悪の考えが、すべて正鵠を射ているかどうかと言う事になると、「そうとは言えない」と孔子は言うのである。
世人から褒められると嬉しいが、けなされると悩んでしまうのは、一方的に世論が正しいと思っているからだ。
生命の根本は同じだが、善悪の考えが違う。
そこが難しい。