子供の思い 2020-09-29 17:12:08 | 日記 小さな子供は親に、何を求めるんだろう。何を求めて、良いんだろうか。幼少期に、抑圧された環境にいた私は、爺さんになって、今さら考えてしまう。これは、既に成人した私の子供たちに向けた、未熟な親としての懺悔の念でも有るのだが。私は経験則でしか、モノが言えない人間だから。人間はこう有るべきだと、普通に伝えていた。その有るべきが、果たして正しかったのかを、いま思っている。結論は子供たちに聞くしかないのだろうが、それもなんか照れくさい事だ。
追想 2020-09-29 09:27:10 | 日記 幼少期の辛さを、消し去る術は、自分の意思で、思いを上から抑え込む事。そうすれば、気持ちが消えていく。思えば、根底にはしっかり残っているのに。その内に、忘れてしまう。忘れているつもり。砂で被せただけの思いは、奥底に残っている。砂を取り除いても、へばり付いて残っている。指先でコチョコチョと掻いてやると、見上げて、ゆっくり立ち上がる。眼が腫れぼったい。待ちくたびれたんだろうね。でも、しっかり生きていた。私の心の奥底で。
穏やかに 2020-09-29 02:43:03 | 日記 朝の陽射しは、生まれたばかり。正午に向けて勢いが増す。精一杯かがやいて。午後の陽射しは、優しさを帯び、勢い落とし傾いていく。まるで、人の一生のよう。根源はいつまでも衰えず。まるで、手心加えているよう。人に慈しみを伝えながら。無償の愛とも見せながら。見返り不要と付け加え。まるで、貴方は笑顔のよう。
陽射しのように 2020-09-28 18:03:05 | 日記 春の暖かい陽射しが降り注ぎ、私を包んでくれてる。労りの温もりを背中に受け、私の気持ちは綻び始めた。木枯らしの固まりで、荒んだ気持ちが、表面から少しずつ緩んでいく。お疲れさんと、聞こえそうな光が、足元で飛び跳ねる。疲れたよねと、ねぎらいの温もりが、両膝にまといつく。少し救われた思いがした。誰かも解らないが、見ていてくれてる気がした。理解とかは要らないが、少し救われたと。一人で頑張って来たから、見ていてくれたんだと。そんな日差しに、私は救われた。また、明日も頑張ろうねって、言われてる気がした。私は一人ではなかった。
今に思えば 2020-09-28 12:50:24 | 日記 幼少時を振り返れば、親父は家に帰って来る事はなかった。お袋は一人で頑張って、私を育ててくれた。しかし、お袋は身体を悪くして、入院する事になった。小3の時に一人っ子の私は、親父やお袋が傍に居ない環境になり、伯父(親父の兄)さんの所に預けられた。とはいえ、今まで住んだ事のない、所詮は他人の家。学校も転校して、知らない集団の中に入れられ。そんなチビが、どう振る舞えば良いのかなんて、一人で解る筈がないだろう。わがままを言う訳でもない。ただ黙って過ごすしかない。それも、いつまで過ごせば良いのかさえも、解らない環境で。その内、親父の所へ追いやられた。そこには、知らないおばちゃんがいた。そのおばちゃんも、すぐに次のおばちゃんに入れ替わった。その入れ替わる意味なんて、子供の私には解る筈もない。本妻さえも幸せに出来ず、次々と女を代えて、思えば親父は、詰まらん人間やったわ。浮気は、別の話なんだろうから。しかし、肯定している訳ではないが。私も爺さんになり、自分の人生を思う時、自分なりに一生懸命生きて来て、自分の子供達を私が味わった、傍に親がいない辛さを、味あわさせずに居られた事は、親としての責任を少しは果たせたと、思っています。私よりもっと辛い、幼少時の日々を過ごした人達は、世の中には沢山居られるのでしょうが、私の苦労を自分の子供達に、味あわす事無く育てられた事は、親の務めを少なくとも果たせたと、自負しています。子供の時ぐらいは、伸び伸びと育ててやらなければ、人間として偏った性格には、育って欲しくはなかったから。それでも、大した人間には、なりませんでしたがね。