
人間の心は、自身が作り出した漠然とした不安を意識しても、自身を解決に導けず、不安を抱いた儘で身動き出来ず、解決に向かう行動が執れなくなってしまう。
解決の方向を示してやらないと、次の行動が執れなくなってしまう。
普段の人格が、解決の方向を見れずに滞ってしまうと、違う人格が元の人格を擁護しようと、無意識に頭をもたげて来る。
幾つもの人格で、自身を守ろうと創り出して来る。
普段の人格が、環境を消化できずにいると、違う人格が頭を出して、置かれた環境を消化しようとして来る。
普段の人格は至ってノーマルな積もりでも、心の中で人格が同士がせめぎ合い、存在を否定しあっているから始末が悪い。
本人擁護の為に、本人自身が作り出す他人格は、愛おしくも思えるが、やはり普段の生活には支障を来す事が有るらしい。
自身は逃げの積もりは無いのだが、人間の体を作った神様は、何処まで配慮されて創られたのかと、感心をしてしまう。
如何にAIが発達しても、神様が創られたこの段階にまで追いつくには、どれ程の歳月を要するのだろうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます