狭山市の甲子大黒天を祀る西浄寺です。
かつては多くの参拝者で賑わったそうです。
ふと、御本堂屋根を見上げると、葵の紋でした。
奥様に聞くと、真言宗霊雲寺派の紋が葵なのだそうです。
霊雲寺が徳川綱吉から湯島に地を得て、霊雲寺を開創した縁により葵の紋を使用することになりました。
霊雲寺は徳川家の祈願寺でした。
宝篋印塔は徳川吉宗の二男である田安宗武により建立されました。
塔の中には田安宗武が納めた宝篋印陀羅尼が、納められていました。
西浄寺には河鍋暁斎が訪れ、多くの作品が残されています。
この図と同じ図柄の掛軸が、当寺(円泉寺)にあります。
大黒天は描かれていませんが、大黒天の小槌をネズミがお正月前に大掃除している場面です。
河西草畝筆の「遊福の図」です。
西浄寺で描いたのかも知れません。
つい嬉しくなってしまいました。
地蔵菩薩
奥様は霊雲寺に勤務していますが、コロナのために週一回のみとなっているそうです。
西浄寺 埼玉県狭山市柏原1059
かつては多くの参拝者で賑わったそうです。
ふと、御本堂屋根を見上げると、葵の紋でした。
奥様に聞くと、真言宗霊雲寺派の紋が葵なのだそうです。
霊雲寺が徳川綱吉から湯島に地を得て、霊雲寺を開創した縁により葵の紋を使用することになりました。
霊雲寺は徳川家の祈願寺でした。
宝篋印塔は徳川吉宗の二男である田安宗武により建立されました。
塔の中には田安宗武が納めた宝篋印陀羅尼が、納められていました。
西浄寺には河鍋暁斎が訪れ、多くの作品が残されています。
この図と同じ図柄の掛軸が、当寺(円泉寺)にあります。
大黒天は描かれていませんが、大黒天の小槌をネズミがお正月前に大掃除している場面です。
河西草畝筆の「遊福の図」です。
西浄寺で描いたのかも知れません。
つい嬉しくなってしまいました。
地蔵菩薩
奥様は霊雲寺に勤務していますが、コロナのために週一回のみとなっているそうです。
西浄寺 埼玉県狭山市柏原1059
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