先日ドッジボール禁止論というのがWeb上で取沙汰されていた。
ドッジボールは
「他人にボールをぶつける野蛮なスポーツであり、イジメにも繋がりやすい」
「暴力性が強く、運動が苦手な人は恐怖心に苛まされる」
「当てるほうも当てられるほうも、心優しい人ほど傷付くスポーツ」
この様に、教育の場にふさわしくないので禁止すべきだという意見。
自分はこの意見にどうも違和感を感じる。 なぜだろう?
そこでたまには真面目に考えてみる。
最初にッジボールの暴力性について。
そもそもスポーツというのは暴力的なものだ。
バレーボールなどでは、能力の低い者は相手の標的になる。
試合では 「5番が穴だよ!」 などとなり、
サーブでもスパイクでも徹底的に攻められる。 まさにイジメ。
ラケットスポーツでも相手の嫌がる事を徹底的にやる。
ダブルスでは弱点とされる者が攻め続けられる。
相手が憎くてやるわけでは無い。
スポーツとはそういうモノだ。
そしてチームとしてそれをどうカバーするか?
という事が戦術であり、チームワークだ。
よってドッジボールを ”イジメ” の温床と考えるのは
スポーツの本質を解っていない、またそういう事を
正しく教えてくれる指導者に出会った事の無い人の理論だと感じる。
次に、ボールをぶつけ合うのは暴力的だろうか?
当てる方も当てられる方も嬉しくない、というが
では学校で必修となっている格技はどうだ?
剣道や柔道は? 必修ではないがボクシングは?
互いに体を提供し合って痛い思いをし、そして試技が終われば
お互いに感謝をし、また称えあう。
ラグビーなどでも同じ。
相手が憎くてタックルをしている訳では無い。
試合が終わればノーサイド。
敵も味方もない”ノーサイド” 素晴らしい言葉だと思う。
そういう精神を子供に教えられるのがスポーツの良いところなのだろう。
よって自分には、ドッジボールが暴力的だとか、
いじめの温床になるとか思えない。
もしもそういう事が有るのだとすれば、それはドッジボールの問題ではなく
それを指導する側の問題ではなかろうか?
そして、「痛いから、嫌だから、苦手だから廃止」 という意見。
これは論外な気がする
苦手だから、嫌だから廃止するのであれば、僕は算数が苦手だった。
どれだけ廃止してほしかった事か!(笑)
チビだった自分は、バレーボールも廃止して欲しかった。
ネットから手も出せず、劣等感にさいなまれたものだ。
陸上のハードルや走り高跳びも嫌で嫌でしょうがなかった。
でもその劣等感こそが大切なのだと思う。
コンプレックスの無い子供は魅力的な大人になれない、と自分は思う。
教育というのは子供を無菌室の様な環境に入れる事ではない。
理不尽に満ちた世の中や世界に出た時に、
たくましく対応できる力を与えてあげる事であろう。
そんなこんなで、自分はドッジボール禁止論に賛成できないのだろうな、
と感じた日曜の昼下がりであった。