最近盛んに取りざたされる「体罰」という言葉にしっくりこない。
断っておくが、僕は体罰を肯定する者ではない。
ただ「体罰」ってなんだろう?と思う者だ。
体罰という暴力はダメだが、言葉による暴力はある程度許容されるのだろうか?
そんなワケはないだろうと思う。
命懸けのオヤジのゲンコツと心無い言葉。 どちらの罪が上だろうか?
真に許されないのは人の尊厳を無視した ”暴力による指導” なのではないのだろうか?
たとえ未成年であっても法に触れる事をすれば禁固刑をくらう。
極刑という判例もある。 それって体罰じゃないのか?
法律ならば体罰はOKなのか?
言葉でもフィジカルコンタクトでも、いじめと指導、体罰とスキンシップの
間に明瞭な線を引くのは極めて難しそうだ。
不幸な事件を事実として報道する事はできるが、
当事者達の間に有った”真実”はわからない。
ずらずらと書いたが、Ken坊が「体罰」という言葉に釈然としない理由はこんなところだ。
長くなるが、最近興味深い記事を読んだ。
興味ある方はご覧になってみては? しかし色んな意見があるものだなぁ。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kanekotatsuhito/20130201-00023301/
一側面でいうと、何かしらの行為の意図が100%相手の”育成”や”愛情”を意識したものあればまだ許容かも。その代わりその意図が相手に伝わって想いが共有されていたらの話。
行為に少しでも”私利私欲”、”相手へのストレッサー意識”、”相手への侮辱”等等の想いが含まれればアウト。これを相手に伝えたら、明らかに”育成”や”愛情”の意識ではないもんね。
やはり行為そのものの前に、双方のコミュニケーション、信頼度合が大切ですね、結局。
いずれにせよ、時代の流れの中でこれを旨く解釈していくことはむつかしいと思います。(あくまでも私見ですが。)
体罰=フィジカルな打撃
とうい単純な定義で良いのか?という点に疑問を感じます。
もっと広義で暴力という物を考えないと、状況は変わらない気がするのです。
柔道の選手は多少殴られたって屁くらいにしか思いません。
なにか違う次元の暴力行為があったのではと思えるのですが、
真実は当事者にしか分からないでしょう。
桜ノ宮にしても女子柔道にしても、実際に指導者を擁護する生徒・選手もいる様です。
適切な指導方法は人によっても変わるという事だと思います。
「行為」という表面上の事実にとらわれると、本質を見誤る恐れが有りそうです。
指導法に絶対的な正解は無いように思えます。
ただし、言葉でも体罰でも、ペナルティによる指導は僕も反対です。