K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

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晩ご飯に作った料理・道端に咲いているお花の写真などのブログです。

東京国立博物館に行ってきました~~

2018-11-26 20:55:12 | 仏教美術
2018年11月26日(月)晴


穏やかな日でしたが、国会は穏やかではない様相。出入国管理法改正案を明日にも委員会採決するのでしょうか。
各新聞社、TV出演のコメンテーターのいずれも時期尚早と述べています。枠だけ作って、あとは行政にお任せ、とは国民を馬鹿にし過ぎているのではないでしょうか。安倍のやりたい放題のこの暴走でも、国民の40%あまりが支持するのでしょうか。


昨日は上野の東京国立博物館(以下東博)「特別展京都大報恩寺快慶定慶のみほとけ」に行ってきました。東博での特別展はチケットを買うにも長蛇の行列、長時間館外で待たされ、やっとのことで展示館内に入れても人の頭頭・・が常ですが、今回はすべて待ち時間ゼロ、展示会場もゆったりとり鑑賞できました。

このお寺の通称が釈迦堂というので、、、恥ずかしいのですが・・・有名な清涼寺式釈迦如来像の釈迦堂だとばっかり思って入場しました~~(笑ってください)


さて、大報恩寺(通称・千本釈迦堂)のピッカピカの釈迦如来像を初めて観ました。ほとんどお厨子の中にいらっしゃったということでホントきれいでした。作者は快慶さんの高弟の行快さんという仏師さんです。このお釈迦様のお顔の丸みは確かに運慶さんや快慶さんの仏像の系統ですね。
釈迦如来像は大き目の展示会場の真ん中に位置し、周囲は快慶さんの(釈迦)十大弟子が大きく丸く囲むというレイアウトでした。快慶さんの彫刻は如来形か菩薩形しか観たことがなかったような気がします。初めて人間の姿の彫刻を観ました。この十大弟子は小ぶりだけど凄みを感じる彫刻でした。ですが、阿難陀立像のお顔が実に悟りを開いたかのごとく彫られていました。阿難陀(以下サンスクリットのカタカナ表記アーナンダと書く)は今回の展示の目録の説明に「お釈迦様の話を一番たくさん聞きました」とあります。たしかにアーナンダはいつも釈迦のそばにお仕えしていましたが、悟りを開くには程遠い人物に思われます。というのも、釈迦は死ぬ1年前に生まれ故郷に向かって旅をします。その時のようすが、大般涅槃経に書かれています。そのお経のパーリ語(インドの地方語)原典の一節にアーナンダが釈迦へ次のように質問します。「サーハルという修行僧がナーディガーでなくなっております。その死後はどうなるでしょうか?・・・」、釈迦は「アーナンダ、人の死ぬということは不思議ではない。その都度私のところに来てその死後のことを聞かれては実に煩わしい・・・・・・・・」質問の内容は違いますが、どの質問も、釈迦の言葉を十分理解していなかったようです。また、十大弟子の舎利弗は険しい顔に彫られてますが、もっと穏やかなお顔でいいのではと思います。釈迦も影響を受けるほど悟りが進んでいたように大般涅槃経に書かれています。
快慶の彫刻家としての十大弟子は実力を感じますが、仏典との関係を考えたひと時でした。

定慶の六菩薩像の1体・聖観音像は光さなければ撮影可でしたので


ヨーロッパはシスティナ礼拝堂以外はほとんど撮影できました(まあ、私が見学したところは多くありませんが)。日本もやっとなのかなと・・・





運慶展

2017-11-18 23:55:43 | 仏教美術
2017年11月18日(土)降ったり止んだり


そろそろ日付けがかわります。外はビュービュー風の音
今日は朝から雨よふれふれ、と思っていました。
寒くて降れば運慶展も入場者が少なかろうと。
今回の運慶展は入場者の数をあげることを目的としたか、入場者への便宜のためのご厚意か?土曜も午後9時まで開館、しかも、22日~26日の期間は毎日午後9時までの開館という、異例の措置ですね。どの展覧会でもこのようにしてくれればいいんだけど。今回は私もこの恩恵にあずかろうと土曜日夜に鑑賞しようと計画していました~~~
友人からの昼頃の情報で、今日は5分待ちだよ。早速、「東京国立博物館 混雑」で検索すると、twitterの午後1時15分の投稿でチケット売り場も入場も待ち時間0分ということで、日中のうちに鑑賞しようと、昼食の洗いものをしてから住まいを飛び出しました

JR上野駅の公園口を出ると、雨にもかかわらず雑踏でした~~


途中、紅葉の写真も撮れた~~


駅近くのチケット売り場に数人並んでいるのでスルー、東京国立博物館(以下東博)のチケット売り場の券売機5台のうち1台が発売中止でどの列も10名くらい並んでいる、駅前で買えばよかった~~
チケットを購入して東博敷地内に入り時計を見ると午後2時45分、一目散に「平成館」へ、待ち時間なしで入館できましたが、最初の2室は満員状態、混みあう展覧会ではいつもそうですよね。動かない・・・

その最初の1室は運慶デビュー作、「円成寺・大日如来」

購入した絵葉書を  いい作品ですね。
学生時代、奈良駅から柳生の里の入り口辺りにある円成寺へ歩いていきました。まあ、ハイキング気分ですね~~この大日さんは円成寺のご本尊ではないので、柱の外だから外陣だったのかな、白い壁を背にひっそりと置かれていました。目の前に近づけました。
このハイキングは1度ならずだったので、親しみもあり、またお会いしました~~

次の部屋は鎌倉幕府の侍所別当の和田重盛の注文で運慶が制作した阿弥陀三尊像。これを囲むように不動明王立像と毘沙門天立像。

東博の展覧会は出品目録があるので、鑑賞した作品には○をつけておきます。見落としがないように


金剛峯寺の八大童子立像のお部屋は大混雑・・???よく見えないそれでも引き付けられたのは恵光童子の玉眼でした。体の筋肉の動きを一層引き立てているような鋭い光を発する玉眼でした。恵喜童子はおっとり可愛かった!

有名な世親・無著像は渋いですね~~~

運慶さんより700年くらい前のインド人をなぜ彫ったのしょうか?世親・無著の像を見る時、運慶はミケランジェロに負けない彫刻家だな、と感じます。

同じお部屋だったでしょうか、瀧山時の聖観音菩薩立像を見てびっくり!

この仏像は頼朝3回忌に注文を受けて運慶と湛慶が制作したようです。明治になって彩色を施してしまったので、運慶らしさを全く感じない、大船観音や高崎観音のような印象でした。

東大寺の重源さんの像もありました。年2回しか御開帳しない像を、ここ東京国立博物館で、お顔を突き合わせてみられるなんでなんと運がいいんでしょう。すごいリアルですね。これは作者不詳


以仁王の令旨が発覚して、怒った平清盛が重衡に追討を命じ、重衡は以仁王を討った勢いで、南都の東大寺・興福寺を焼き尽くすという大それたことをしてしまいました。その東大寺復興のプロジェクトチームの総指揮官の重源がこの展覧会に登場しないわけないですよね。あの焼き討ちがなければ、運慶さんもこれほど注文を受けることがなかったでしょう。


最後に運慶の息子・康弁作の龍燈鬼立像のお尻から太ももの筋肉の表現に見とれてしまいました~~


美術については素人ですでの文に誤認もあると思います。コメントで教えていただければ幸いです。


東博「平成館」を出ると、とっぷり日が暮れていました。

東博「表慶館」


東博「本館」



上野公園内・噴水の中に「なんじゃこれは?」




18日に数行書いて明日は祝日でお休みということでホッと。今週土曜日にちょっと緊張する仕事が周ってきてしまったので、明日はその準備に追われそうですので、アップは今でしょ!と頑張って書きました~~




昨日の続き

2014-10-26 20:35:57 | 仏教美術
2014年10月26日(日)曇 

晴れ間が時々出たりしましたが、ほんの1~2分、音を立てて雨がお洗濯物濡らしちゃいましたそのあと、晴れたのに、ついてないな。

ボブママは予定日が近づいているので医者から東京に帰ってきた方がいいと、言われたので、火曜にボブちゃんを連れて里帰り タヌキと私は帰ってくるのはうれしいけれど、受け入れ態勢にバタバタな1日でした~受け入れ準備と言えば、昨日はホームセンターでメリーズの新生児用の紙おむつを買いたかったのですが~~生産が間に合わないとのことで買えませんでした。店頭に出しても中国の人が買い占めてしまうそうです。

夜は同じ町内で長いこと親しくしている方のご主人が亡くなったので、お通夜に行ってきました。住まいから2K先のお寺でした。乗り物の便が悪いので歩いていきました。行きはタヌキと一緒だったけど、帰りは一足先に一人で帰ってきたので、道を間違えて、遠回りをしてしまいました~~ああ疲れた~~~暗くって曲がるところが分からなかったので

住まいに近づくと、消防の自動車数台とパトカー数台がピカピカしていました。

火事だと思ってきたそうですが、そうじゃなかったとか…なんでしょ



さて、昨日の続きです。

私、珍しく、トーハク内の売店でお土産物を買ってしまいました。



このボールペンです。バックをゴソゴソやってボールペンを見つけてもナイナイナイ トーハク土産の買っちゃいましたトーハクrボールペン 見たのに○をつけたかったので。

(会場で自由にいただける読売新聞)

 

この紙面の中央にある涅槃図は和歌山県の金剛峯寺にある有名なものだそうです。上の画像をクリックしてくださると拡大して横なっている釈迦の姿がよくわかります。この情景は釈迦が沙羅双樹の下で涅槃に入った姿です。涅槃は小乗仏教で最高の世界です。大般涅槃経では

『ブッダ最後のたびー大バリニパーナ経』中村元訳 岩波文庫
      (注)大バリニパーナ経を漢訳すると大般涅槃経
第五章〔18、病い重し〕
一 さて、尊師は若き人アーナンダに告げた。
 「さあ、アーナンダよ。ヒラニヤヴァティー河の河岸にあるクシナーラーのマッラ族の
ウパヴァッタナに赴こう」と。
 「かしこまりました。尊い方よ」と、若き人アーナンダは尊師に答えた。
 そこで尊師は多くの修行僧たちとともにヒラニヤヴァティー河の河岸にあるクシナーラーの、
マッラ族のウパヴァッタナに赴いた。そこに赴いて、アーナンダーに告げて言った。
 「さあ、アーナンダよ。わたくしのために、二本並んだサーラ樹(沙羅双樹)の間に、
頭を北に向けて床を用意してくれ。アーナンダよ。私は疲れた。横になりたい」と。
 「かしこまりました」と。尊師に答えて、アーナンダはサーラの双樹の間に、頭を北に向け
て床を敷いた。そこで尊師は右脇を下につけて、足の上に足を重ね、獅子座をしつらえて、
正しく念い、正しく心をとどめていた。
二 さて、そのとき沙羅双樹が、時ならぬのに花が咲き、満開となった。それらの花は、修行完
成者供養するために、修行完成者の体にふるかかり、降り注ぎ、散り注いだ。マンダーラヴァ華
虚空から降って来て、修行完成者に供養するために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、
散り注いだ。天の楽器は、修行完成者に供養するために、虚空に奏でられた。天の合唱は、
修行完成者に供養するために、虚空に起こった。
・・・・ ・・・・・・省略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(その後修行僧たちが尊師のもとに、集まってくる)・・・・省略・・・・・・・・。
第六章(二三 臨終のことば)
・・・・・・・・・省略・・・・・・・・・・・・・・・
七 そこで尊師は修行僧たちに告げた。
 「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ること
なく修行を完成しなさい』と。」 これが修行をつづけて来た者の最後のことばであった。



上記の引用中には釈迦臨終の姿は右わきを下にして、足の上に足を重ねとあります。インドや東南アジアの涅槃の彫刻や絵画はこの絵のようではなく経典通りに足を重ねています。 金剛峯寺にある涅槃図ですからかなりの人物の手によると思いますが、経典をどこまで理解して書いたのかな~~~なんて思って見ちゃいました。


最後に今回の鑑賞で今まで見過ごしていて初めて気が付いた玉虫厨子について書きます。
私は長いこと法隆寺に行っていないので今回の第一印象は玉虫厨子の大きさに、こんなに大きかったんだ~だいぶいたんでいるな~~
学生時代、史蹟を見学するサークルでした。2年生の時、飛鳥文化をテーマに文化祭で研究発表をしました。絵画班だった私は玉虫の厨子の模型作りに参加して、側面の「捨身飼虎図」と「施身聞偈図」を書きました。この二つの絵画は釈迦が前世で善い行いをした話です。そのでこの2つの前世物語しか注目してこなかったのですが、今回は正面下の舎利供養図を見て、このお厨子のテーマはこれだなんで気が付かなかったのだろうかよく見ると実に面白いイメージで画かれていると思いました。お釈迦様は火葬にされ、その骨を仏舎利と言います。そして、仏舎利はお墓に納められます。インドでは半円形に土を盛り上げ(のち石を張り付けるように土を覆っています)ストゥーパと呼ばれます。これがシルクロードを東へと伝わり、日本では三重塔や五重塔になりました。法華経の中に釈迦が説法すると地面から塔が涌きだし、宙に持ちあがり、「釈迦の教えは正しい」「正しい」と声がでる場面があります。さらに、宮殿部背面(霊鷲山図) の霊鷲山は釈迦が法華経を説いたところです。そうなると、このお厨子は法華経の世界を熟知している人物が想像力豊かな構図で画いたのだと、気づきました。まあ、大学2年の時に気付くのは無理なことだ思います。
そうなると、玉虫厨子の制作年代を7世紀中ごろは怪しいのではないかとの疑問が出てきました。釈迦が説いたいた経の中で法華経を最も重要としたのは中国・隋(6世紀末~7世紀初頭)の時代に出来た天台宗です。天台宗を日本にもたらしたのは最澄で、805年にその経典を中国から持ち帰って、日本天台宗を比叡山に開きました。9世紀の作品とは思えないので、おそらく7世紀には法華経の解釈本が日本に伝えられのではと思いましので、7世紀末ころでしょうか。  
かなり雑な書き方なので、のちにもっときちんと書いてみたいです。


新鮮なウド

2011-02-27 23:59:03 | 仏教美術
2011年2月27日(日)晴

後輩から埼玉のウドをいただきました。ありがとうございます。
届いたのが正午すこし前だったので早速ミソマヨでいただきました。
新鮮で柔らかく香り高いウドです。
今週はウド料理を楽しみます。





午後は山下智子さんの「京ことば源氏物語」の朗読会に行ってきました。このことは明日書きます。

昨日の続きのですが、、、
仏教美術は私のほうがタヌキよりもと自負していましたが、すでに逆転
タヌキはここ20年くらい仏像の誕生時期についてインドの仏像やパキスタンの仏像の見学やお経から探っていました。
さて、平山郁夫氏はシルクロードの各所での破壊さている文化財保護のために多くの仏像を購入した平山郁夫コレクションがあります。今回の展示にはこのコレクションから幾つか展示されていて、ほとんどの作品は制作年代が2~3世紀と記されていました。タヌキは菩薩仏が単独で作られのは2~3世紀よりあとではないか、と。

タヌキは平山郁夫「大唐西域壁画」を始めて見ました。その感想です。
東京国立博物館平山郁夫展を観る

仏教の迹を尋ねん絹の道
  月の砂漠に何を求めて

芸術のまことはいずこ行脚かな
  世界の果てまで尋ね歩かん

玄奘の学びし跡にたたずみて
  荒城の月をいかが見ゆらん



平山郁夫展

2011-02-26 23:51:35 | 仏教美術
2011年2月26日(土)晴



友人から東京国立博物館(以下東博と書きます)の平山郁夫展の招待券をもらっていたので、行かなければ行かなければ・・・と思っていましたが、、重い腰のタヌキを連れ出すにはなかなか大変です。こちらも仕事が詰まっていたので、(せっかくのチケットを無駄にしてはと)気持ちばかりあせっていました。今日の天気予報は昨日より最高気温が10度も下がるといっていましたが、日中は暖かな感じだったので、、「ちょっと、付き合って、そしたらビールをおごるから」と連れ出しました。


上野公園のさくらは1ヶ月後には満開でしょうが、、まだつぼみの気配も感じません。


寒桜が咲いていました。


大道芸


噴水の改修工事をしていました。



東博敷地内はウメが満開でした。思いがけないプレゼントです。見学を終わってからでは日の光も暗くなるだろうと、先ずは写真撮影から始めました。




近づくと、さくらですね。河津桜かしら。









十輪院の宝蔵が移築されていました。




校倉造


右は本館  左は平成館

55mmで撮ります。 スカイツリーですよ




6日にはこの展示も終わってしまうので、今日あたりは長蛇の列かと心配しましたが、、人出は結構ありましたがスイスイでした。

今回の展示のメインは平山氏が奈良・薬師寺の玄奘三蔵院へ奉納した『大唐西域壁画』と思い込んでいました。勿論そうでしたが、平山郁夫氏が長いことシルクロードやインド、その他の地域を取材した足取りと、スケッチを丁寧に展示していました。それらの絵はどれも魅せられました。それらの絵に続いて平山氏の奥様のメッセージは(筆記しなかったので正確ではありません)「・・・・人が気付かないようなものでも平山が描くと素敵なものになる・・・・」を読んで、ああ!いい言葉だな、と。
このような展示の後で、『大唐西域壁画』を見たので、もうたまらなくすばらしいシルクロードの世界が展開していました。
平山郁夫氏は被爆体験者なので、平和祈念の思いの重みをずしりと感じます。平和を仏教に見出し、仏教伝来のルートであるシルクロードに惹かれたのだな、と、そして1960年代から何回も何回もシルクロードの地を取材した集大成が『大唐西域壁画』と、今回初めて認識しました。
2004年に薬師寺玄奘三蔵院で『大唐西域壁画』を鑑賞した時は、平山氏の西域への思いを私には分かりませんでした。
今回の展示の半分をしめる平山氏の人生といっていいようなシルクロードへの思いを見て、『大唐西域壁画』の価値がよく分かりました。

平山郁夫氏の薬師寺・東塔の絵がとってもよかったです。
学生時代にサークルの合宿の地、薬師寺。私にとっての薬師寺のシンボルはこの東塔です。