K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

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晩ご飯に作った料理・道端に咲いているお花の写真などのブログです。

テオ・アンゲロプロス監督

2012-01-26 21:05:35 | 映画
2012年1月26日(木)晴


真っ青な空が戻って行きました。そして、乾いた冷たい空気



昨日の夕刊にギリシアのテオ・アンゲロプロス監督がトンネルでバイクにはねられ搬送先の病院でなくなったと、報じていました。(バイクは警察官の運転だとか?)この監督の映画を何本か観ました。「旅芸人の記録」は第二次世界大戦中、ナチスドイツのギリシャへの侵攻を背景にある家族の運命を古代ギリシア悲劇とダブらせた重厚な作品でした。長まわしが独特でした。あっけない死で残念です。撮影中だったんですね。
ギリシアは明るい太陽・乾燥したオリーブの林・エメラルド色の海という印象がありますが、「旅芸人の記録」では寒々しく雨がビシャビシャと・・・・・(遠い記憶ですが・・・)




その同じ夕刊にコウケンテツのギリシア料理「タラモサラダ」が載っていたので、テオ・アンゲロプロス監督への追悼をこめて作りました。






時間の余裕がなかったのでお絵描きはできませんでした



チョルラの詩

2011-08-19 21:15:32 | 映画
2011年8月18日(木)晴


酷暑は今日がピークか?
デスクトップのガジェットです。

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この夏はどこへも出かけていない来週には仕事があるので、今日こそ出ようと準備をしていると、突然野暮用が・・・・足止め
家に居なければならない、、、この暑さではDVD観るっきゃない、と。
韓国ドラマ「恋人」の続きを観たいところですが、明日で返却の一週間目になる韓国映画「チョルラの詩」も抱えていたので、「恋人」小休止


この作品は日本人監督ですが、スタッフとキャストのほとんどは韓国人でした。
映画の冒頭は日本の高校の授業風景。「ヤシの実」の詩を女子高生が声をそろえて朗読している風景です。(何十年か前の女子高生って感じでした)教師はソ・ドヨン演じる在日韓国の詩人で非常勤の平山幸久(韓国名イ・ヒョンス)先生です。その日、平山先生は校長から「4月から専任教諭として採用します。」と、平山先生ははっきりとした返事をしないので、校長は「日本国籍になるのはいやですか」と・・・。そして、冬休みに入ったところで祖父の葬儀で韓国チョルラを訪問することになります。時は1987年、韓国の全羅南道(チョルラナムド)はソウルオリンピックに向け、高速道路の建設が急ピッチで進められていました。
韓国の経済成長期の夜明けを告げる公共事業・高速道路建設に村の発展の希望を託す従兄。この従兄はイ・ヒョンスの力を得て、幼馴染に詩で恋文の交換を始めました。しかし、突貫工事のための無理からおこる従兄の悲劇そして冬休みが終わり平山先生は日本に帰ります。・・・・・静かに静かに描かれた良い作品でした。
「春のワルツ」のソ・ドヨン(チェハ役)が地道にキャリアを伸ばしているのだ、と、思いながら観ました。また、小栗康平さんの作品をも彷彿とさせました。



映画「カティンの森」

2010-03-04 22:50:26 | 映画
2010年3月4日(木)曇 寒い


カティンの森を観てから2週間も経ってしまいました。すごい映画を見たあとは、なかなか書けません。「善き人のためのソナタ」をみたあとも、書きたいと思いながら書けずしまいでした。今回もそうならないようにメモしておかなければ、、、と、


2月19日に「カティンの森」の最終日ということで、あわてて時間をつくって18日に岩波ホールへ行ってきました。

第二次世界大戦中ポーランドは西からドイツ軍の侵攻、東からソ連軍の侵攻で痛めつけられました。戦争が始まった1939年9月、東西からソ連・ドイツ軍に挟撃され、ポーランド人将校や民間人はソ連軍の捕虜となりました、が、間もなく、ソ連から釈放されたとの報道がありました。ところが、しばらくしてポーランド人将校・民間人、合わせて25万人もの人の消息不明が判明しました。ポーランド亡命政府(大戦開始後まもなくポーランドは独ソに分割統治されたのでポーランドはフランスに亡命政府を作りました。その後、フランスのパリもドイツに占領されたので、ポーランド亡命政府はロンドンへ移りました)は不明者の消息をソ連に問い合わせるとソ連のスターリンは「確かに釈放した」と回答しました。しかし、1943年2月27日、ドイツ軍がポーランドのカティン近くの森『山羊ヶ丘』でポーランド人将校の遺体が埋められているのを発見、調査の結果「カティン虐殺事件」と命名しソ連軍の仕業と発表しました。これに対しソ連はナチスドイツの虐殺と主張しました。

ソ連はポーランド・チェコスロバキア・ハンガリー・ルーマニアなどの東欧諸国をナチスドイツの侵略から解放して第二次世界大戦が終わったので、東欧諸国は選択の余地なく社会主義国となってソ連の指導の下に生きていかねばならなかったのです。そのため、ポーランド人はカティンの森での事件はソ連が起こしたということを知っていましたが、口を開くことは出来ませんでした。

この映画の監督アンジェン・ワイダのお父様・ポーランド将校はカティンの森で犠牲になりました。ワイダ監督はカティンの森事件の映画化の構想を長年月熟考に熟考を重ねたようです。映画「カティン森」はソ連軍の捕虜となったアンジェイ大尉が手帳に書き残していた日記をストーリーの軸に、捕虜として逮捕され連行されたアンジェイ大尉の安否を気遣う母・妻・子どもたちの恐怖の日々を綴っています。ドアのノックの音のたびに妻は夫ではと、、、戦争が終わっても待ち続ける妻、、、。
 
映画の冒頭はソ連がポーランド侵攻開始の1939年9月17日、ポーランド東部ブク川の橋の西にはドイツ軍、東にはソ連軍。追い詰められるポーランド軍人と民間人のシーンは大国に挟まれたポーランドを象徴する映像でした。最後のカティンの森の虐殺シーンはイデオロギーが他者を排除するすさまじさの象徴のように観ました。

この映画を観て、戦後生まれの私は父を兄弟を友人を恋人を夫を戦場に送ることのない幸せを思いました。

平和ということばは誰でも大切に感じるのは当然ですが、平和ってどのような状態を維持することなのか。平和の状態のひとつは父を兄弟を友人を恋人を夫を戦場ヘ送らなくてもいい生活の持続なのだと映画は迫っているようでした。

最後に、「カティンの森虐殺事件」をソ連が認め、謝罪したのは冷戦終結の(1989年12月、米ブッシュ大統領・ソ連ゴルバチョフのマルタ会談)のち、1990年、ゴルバチョフ大統領でした。



父親たちの星条旗

2009-05-06 00:06:52 | 映画
2009年5月5日(火)曇後雨



レンタルDVDで見ました。
クリント・イーストウッドは太平洋戦争末期の日米激戦の硫黄島の戦いを「硫黄島プロジェクト」アメリカ側からの「父親たちの星条旗」、日本側からの「硫黄島からの手紙」の2本の映画を2006年に製作しました。すでに「硫黄島からの手紙は」見ていたので「父親たちの星条旗」もみなければと・・・。

硫黄島の戦いは1945年3月1日に日本軍が全滅しました。アメリカ軍は激戦の中心となったすり鉢山の頂上に6人の兵士に星条旗を立てさせます。しかし、そのうちの3名は戦死してしまいます。生き残った3名がアメリカ本土に英雄として呼び戻され、戦費調達のための国債のキャンペーン・ツアーをさせられますが、彼ら自身は死んでいった友のほうが英雄で自分たちは英雄ではないと苦しみます・・・。
日中戦争~アジア太平洋戦争では敗戦した日本軍の残虐行為が伝えられることが多いですが、クリント・イーストウッド監督は死闘のなかで自らの身を守るためにアメリカ軍兵士の残虐さも描き、戦争とは無駄な行為という反戦のメッセージをこめていました。太平洋戦争が始まって3年余りを経過した1945年4月にはアメリカも戦費が不足して早く戦争終結を望んでいたことが鮮明に描かれていました。このことで1つわかったことがありました。1945年7月26日に連合国側のアメリカ・イギリス・中国はポツダム宣言を発し、日本の無条件降伏・日本軍の解体・日本の民主化等を日本に迫りました。ところが大本営は国体護持にこだわって返事が出来ませんでした。ついに、8月10日に日本は条件付(国体護持)でポツダム宣言受諾を連合国側に打電しました。連合国側は条件付に驚き、イギリスとソ連は条件付を納得しませんでした。しかし、戦争終結を望んだアメリカは英ソを説得しアイマイナどうにでも訳せるような英文でポツダム宣言受諾を受け取った事を日本に知らせました。アメリカがなぜそのように戦争終結をあせったのかということは、合衆国連邦政府の資金不足だったのかと、アメリカも長期の戦争を望んでいなかったのだと・・・。日本にもっと勇気があれば1942年6月のミッドウエー海戦敗北時に講和条約をすればと・・・(軍を派兵する中枢部はどこで退却するかを見極めないと国民を無駄死にさせてしまいます。。。。派兵しないのがベストですが・・・))

アメリカにとって(独立戦争以来の)自由のための戦が通じるのも太平洋戦争までだとも感じました。

それにしても太平洋戦争の日本側からの視点、アメリカ側からの視点の2本の映画を作ったクリント・イーストウッドはアッパレ

やはり、日本側視点の「硫黄島からの手紙」のほうが冷静に描けていたように思いました。



最近はレンタルDVDになってしまい映画館に足を運べません



映画「硫黄島からの手紙」

2009-01-24 21:56:54 | 映画
2009年1月24日(土) 晴 雲が多い

午前10時ごろ風花が舞いました。

初挑戦の白菜漬けが好評だったので、もう一回やってみようと火曜に愛農から2こ買いました。その後晴れないので、そのまま転がしておきましたが、今日はあまりいい日ではありませんでしたが、なんとか晴れたので、半日ほど干して漬け込みました。白菜漬けは複雑ではないので2回目となるとラクラクです。

今日の白菜漬けのレシピ
白菜の根の部分に包丁を十文字に入れ、割くように4等分して、サーと洗ってベランダで干しました→ポリの桶に漬物袋を入れ、白菜の重みの3パーセントの塩とゆずと唐辛子数本を用意します→桶の漬物袋の底に塩を振り、白菜を葉と根を合わせるように1段入れ、塩を振り、ゆずのスライスと唐辛子をおきます→これもう一回繰り返します(たくさん漬けるときは何回も繰り返しますが、私は2段で終わりです)→漬物桶の蓋をして重石を置いて、漬物袋の口をふさぎます
この時、前回はやらなかったことをしました。母からの伝授なのですが、最初に重い物をのせたほうが美味しく漬かるということで、自分でのっちゃいました。其の後は文化の重みです・・・5日後を楽しみに・・・



昨日食べた豚の角煮の煮汁がたっぷり残っていたので、浮いている脂を取り除き、肉じゃがを作りました。調味料はたしませんでした。美味しかったですよ。





話はアメリカに飛びます。
オバマ新大統領はイスラエルを支持すると表明しました。オバマ大統領も政治家ですものね。イスラエル票を気にするのはアメリカ大統領の伝統ですものね。ココにはチェンジはありませんでした




クリント・イーストウッド監督「硫黄島プロジェクト」の日本側の視点からの「硫黄島からの手紙」(2006年アメリカ映画)をレンタルDVDで見ました。アジア・太平洋戦争の激戦地硫黄島の戦いを日米双方の視点から2本作り上げるというのはさすがクリント・イーストウッド監督の力量ですね。
「硫黄島からの手紙」はよく調査して脚本が書かれていました。私も詳しい戦闘状況を知らないので、とくべつ気になる部分もなく日本人キャストも日本映画に出演するよりいい演技だったのではと思いました。敵対する国の国民も自国の国の国民も同じ人間、同じ人権を持っていることを考えることができる人間が多くなれば戦争のない日がくるでしょう。
まだご覧になっていらっしゃらない方はぜひお薦めです。
アメリカ側の視点の「父親たちの星条旗」も近々見たいと思っています。