定年となって家にいる時間が多くなったが、最近子供の歓声が聞こえない。子供達が外で遊んでいる
のも見かけない。塾?、ファミコン?昔の話をしてもしかたないが、私たち年代の子供の頃は、学校
から帰ると、玄関にランドセルを放り出して遊びに出たように記憶している。そして夕方まで帰って
こない。
神社の境内でビー玉、メンコ、三角ベースでの野球、缶蹴り。山で竹を切り出し弓矢や豆鉄砲、竹
トンボ等を作った。皆各自「肥後ナイフ」を持っていた。ナイフは必需品であった。二股の枝を切り
出し、ゴムを取り付けパチンコもよく作った。カンシャク球を詰め遠くの的に当て爆発させて、よく
怒られた。蛇も捕まえて遊んだ。そして最後には殺してしまった。残酷な事をしたものだ。今でも家の
周囲で見かけるが、家を守る生き物として尊敬の念で見つめている。これは親の教育が有ったのか。
親父はよく近くの川に私を連れて行き、一緒に雑魚釣りをした。私でも良く釣れた。生きたまま家に
持ち帰り池に放した。小さな池なので直ぐに死んでしまう。私は30才代からずっと渓流釣りでイワナ
やヤマメを釣る事を趣味にしているが、これがルーツだ。釣った魚は全て川に戻している。
遊びは、遊び仲間同士の試行錯誤で学んだ気がする。もちろんその中には年上のガキ大将が教え
てくれたのかもしれない。全て親が教える必要が無いが、楽しさのきっかけを教えてあげてほしい。
今もってゴキブリはどうも苦手で触れないが、普通の昆虫や、水中の幼虫、魚、土の中生物のミミズ等
全く平気である。これを触れないと釣りも出来ない。今の親は怖がっていないだろうか。特に子供には虫
が苦手になって欲しくない。虫を怖がると、生き物や自然に対するに対する感覚が正常でなくなる事が
有ります。
神社の境内はボール遊びは禁止となり、肥後ナイフはカッターに変わり危ないからと親は持たせなく
なってしまった。ザリガニ釣りも面白かった。細い枝と木綿糸があれば出来た。そんな小川も3面護岸され
生活排水路と変わってしまった。しかし私の暮らしている地域にはまだまだ田んぼも有り、田んぼに水を
引き入れる小川も残っている。ウォーキングでそんな田んぼのあぜ道を歩く事も有るが小魚やドジョウ、
ザリガニもまだ生息している。しかし網を持って小川に入っている子供をあまり見たことが無い。たまに
親子連れを見るが何も持っていない。ただ歩いているだけだ。せめて網くらいは持たせて欲しい。
親がそうゆう遊びを知らないのか。家の外で遊ぶ事を今はアウト・ドアー等とハイカラな言葉を用いるが、
バーベキューするだけがアウト・ドアーではない。自然の中に溶け込み、動植物を観察し、習性を学び、
採取し、加工して遊ぶ。これは単なる遊びではなく、自然から学ぶ授業だと思う。そうして遊ぶ事により
自然の大切さをいつの間にか学習している事になるのではなかろうか。特に何かを作る楽しさを是非体験
させてほしい。休日はだらだらとテレビを見、パチンコに行くような大人に育てないように。自然と遊ぶ
機会の無い都会の子供さんはサッカー、野球、柔道、とスポーツに取り組むのも素敵な事だが、ちょっと
足を伸ばせば自然があるご家庭は是非遊びも教え、覚えてほしいと思い願っています。