ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

『過去から、未来を予測しない』。

2023年10月04日 12時54分51秒 | owarai
未来は、
過去の延長線上にない。
いくらでも、変わる。

もし、過去の延長線上にあると
したら、未来を簡単に変えるこ
とはできません。

ある程度、予測ができてしまう
未来なんて、きっとつまらない
もの。

ところが、一見まっすぐに見え
るあなたの未来は、もう少し先
のところで、急カーブしている。

曲がったところにあるものを、
今いるところから見ることは
できません。

ただ、これだけは、はっきり言
うことができます。

未来は、過去の延長線上ではなく、
いくらでもかえることができる
のです。

 

「人に好かれようと思って 仕事をするな」

2023年10月04日 12時53分26秒 | owarai
「人に好かれようと思って
仕事をするな。
むしろ半分の人間に積極的
に嫌われるように努力しな
いと、ちゃんとした仕事は
できねぞ」。
白洲次郎/実業家

貿易商の家庭に生まれ、イギ
リスに留学。そのとき、上流
階級の学生と遊び上流階級の
なまりを覚えそれが将来武器
になる。

日本人で初めてジーンズを穿いた
人物でもある。

第二次大戦後の1951年、サン
フランシスコ講話会議に全権団
顧問として随行。

その際、吉田茂首相の読む演説
が英語で書かれていたうえ、G
HQへの美辞麗句が並ぶことに
激怒。

敗戦国であっても戦勝国と同等の
資格で出席すべきと、日本語に書
き直させた。

歴史的舞台で、「アメリカさん」へ
の気遣いよりも、「筋」を通すこと
を実践した。

のちに実業界に移り、東北電力を
はじめとする大企業の役員や
顧問を歴任した。
妻は作家の白洲正子さん。

「薫風」くんぷう

2023年10月04日 12時51分53秒 | owarai
みずみずしい言葉の芳しさを
運んでくるような、やわらか
い南風のこと。

「薫風」は漢語で、唐の詩人
白楽天の漢詩の一節
「薫風南より来り」があり、

日本でも奈良時代や平安中
期の漢詩集で「薫風」が使
われ、和歌、俳句では、

「風薫る」「薫る風」などと
して詠まれています。

中世宮廷歌人たちは、「風の
香」などと、花の香りを伝え
る風として、春の歌に詠みま
した。

俳句では本来の夏の季節に
立ち戻って、初夏の句に用い
られます。


ふっと風が薫ように、誰かと
出逢う“

どんなに偶然が偶然の顔を
していても、出逢うべくし
て出逢った。

出逢ったことの意味を考え
ることは、ふたりのためと
いうよりも、自分について
考えることにつながってい
るように思う。

ふたりが出会った意味、
なぜその人に惹かれたのか
・・・・。

「利他の心」

2023年10月04日 11時41分39秒 | owarai

他人を幸せにしない限り
「人間の幸せ」はあり得ません
自分が幸せになりたいと思う
なら、人を幸せにすることだ。

人を幸せにしたいという
「利他の心」を持ち、人にやさしく
接したいもの。

人を幸せにしない限り、自分
の幸せはあり得ない。

たとえば、赤ちゃんが泣き出す
とお母さんは仕事の手をぱっと
止めて、赤ちゃんをあやします。

赤ちゃんへの配慮、これこそが
利他の心です。そして、こうし
た心を持ったお母さんのもとで
育った子どもは、自然に利他の
心を学んでいきます。

ところが今の子どもは、物心が
つかないうちに託児所に預けら
れ、お母さんから学ぶ時間が減
っている上に、

学校に上がれば、「勉強しなさい」
「ゲームはもうやめなさい」と
叱咤の連続です。

それが、母性的なもの、つまり
他人への配慮ができない子ども
の増加につながっているそうです。

利他の心とは自己犠牲ではありま
せん。他人が救われると、同時に
自分もいい気持ちになれるので
自分の喜びでもあるのです。
子どもにもそう教えてあげたい
ものです。

一椀の汁”に感謝できるか

2023年10月04日 11時39分25秒 | owarai
「道心の中に衣食有り、衣食
の中に道心無し」と伝教大師
最澄の言葉があります。

理想を求めて、天から与えら
れた胸の張れる仕事さえ一生
懸命に成し遂げていけば、
必ず衣食はついてくる。

食えなくても多少腹が減って
も、「今日のところは我慢す
ればいいじゃないか」とい
う気持ちになれば、

一椀の汁をいただいても
感謝の気持ちが湧いてき
ます。

目標に向かって進んでい
る人は苦労も感じず、むし
ろ楽しいものです。

また、成し遂げたときには、
無上の喜びがあります。
その到達したところが
「極楽」であるわけです。

逆に、衣食のことばかり考え
ていると、金や時間に縛られ
て自由がきかなくなり、

仕事は面白くなくなり苦しみ
になってくる。

衣食に熱中しているうちに、
自分の進むべき道も見失って
しまい、豊かになったつもり
が、実際は貧しくなっていく
ばかりです。

価値ある生き方をするために
は、ものへの執着(少欲)を
捨て、自分の理想の実現に
向けて、清く、たくましく、

ゆっくりと歩いていきなさ
いという教えだと思います。

なかなか難しいことですが、
「少欲知足これ涅槃(ねはん)
の境地」に少しでも近づき
たいものです。


気がついたら、私は、記憶の洪水に巻き込まれて、溺れそうになっていた。

2023年10月04日 11時37分43秒 | owarai
時は詩人である。皆さまは、
何を言っているのだろうと、と
首を傾げられるかもしれない。

しかし、詩人とは言葉の網で時
を生け捕りにする魚師みたいな
ものなので、多少の脈絡のなさは
お許し頂きたい。

そう、魚師である詩人は、文字を
打ち込むキーボードのキーに、
“今”という魚を、ピカピカ光る
鮮魚のまま封じ込めることにやっ
きとなる。

銀色の刃物のような尾びれや背鰭
と格闘しながら、命懸けにもなる。

また深い海に潜り“過去”という
名の美しい巻貝を盗むのに余地が
ない。

未来は波間に漂う深緑色の藻だ。
それを網で掬い上げ、先取りする
ことに懸命になる。

大海に生きる回遊魚のような人
の一生を見つめて、その生き様
を書き記す。

恋の歌を書いても、人生の喜び
や悲しみを綴ったとしても、そ
れは時を描くことに他ならない。

一瞬たりとも留まることのない
のも、消え去り、流れ去ってゆ
くものを追いかける作業。

今日もどこかで、時の狭間に迷い
込んだ詩人が、難破船で独り言
を呟いている。

所詮、勝目はないのだ。詩人が
どんなに頑張ったて、時の方が
ずっとずっと詩人なのだから。