正面は堂々とした態度に見え
ても、背中が弱点をあらわして
いる人がある。どんな人間も裏
は隠せない。
吉川栄治に『背中哲学』という
随筆がある。そのなかで、次の
ように書いている(『われ意外
みなわが師―私の人生観』)。
「前から見ると、くしゃくしゃ
な顔をしているけれど、背中から
見ると、円光の輝いている人は、
私の知己の中では、菊池寛氏だと
思う。一緒に歩いている時など、
後からあの背中を見ていると、
ただまるっこく肥えているだけだ
が、縹渺(ひょうびょう)として、
何か味がある。その味はどんなもの
かというと、『後の安心』とう相だ。
背中には、家庭がそっくり描いて
ある。
いかにも、搦手の木戸は安心して、
大手に向かって床几をすえている
城将の趣だといつも思う」
さらに、
「しかし、夜の銀座裏を歩くとき、
なんと、そこにまだ『帰らぬ良人』
がたくさんに酒の灯の下をうろついて
いることだろう。あの酔っぱらい
達の背中には、脆さや、不安定や、
空虚だらけだ。この人達が、安定の
後光を負ったら、みんな倍も仕事を
するだろうと思う」
と続け、手厳しい。
「人の背中は見ゆるけれど我が背中
は見えぬ」という。自分には見えぬ
背中が、他人には隠せないのでつ
らい。