新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

大阪に独裁も似合わない なにわ友あれ!〈2〉

2011年11月11日 | 大阪
 ダブル選挙がらみのエントリーに拍手コメント感謝です。とりあえず。

 とりあえず? 

 だって、応援してくれるのは、大阪に選挙権のない人ばかりだからなあ。

 とりあえずは、ありがたいことですよ。

誤解せんといてほしいことがある。

 橋下を支持するのは、となりのおかん、そこらのおとん、その他な若者たちだということ。

 橋下への部落差別攻撃を批判しえず、沈黙を守る「左翼」なんて、いなくても困らない。

 「まだ、わからないのかよ?」といいたいよ。

 「政治」なんか、三角公園よりせまく、道頓堀より浅く、天保山より低いものにすぎないものなんだぜ?

 極端なはなし、平松が勝とうが、橋下が勝とうが、大阪人であるおれには、どちらも変わらないんだ。

 平松は頼りないし、橋下はいい気になりすぎ。

 もし橋下政治をファシズムになぞらえ「ハシズム」と批判したいのなら、ナチズムと同様、勤労大衆のルサンチマンに依拠した反エリート・反インテリ運動の側面も見逃してはいけない。

 この自覚がない限り、大衆というリアルと切り結ぶこともできなければ、また負けるだけだ。

 いまの状況をたとえるなら、遭難しかけた秘境OSAKA探検隊が、分かれ道に立っている局面かな。

 パッと見、近道だけど犠牲者多数不可避の直線コースをいくか、遠回りぽいけど体力温存できる安全な迂回路をいくか。

 どちらのコースにも、リスクはある。おれはこの町のひとりの住民として、後者をえらぶ。

 府知事選のマニフェストにもなかった政策を、「オレが民意だ!」と押し通す橋下の卑怯なやり方に、どうして屈することができるだろう? 

 いまこそ大阪人に呼びかけたい。「日本が滅んでも、大阪は生き残りまっせ」(小松左京)というあのガッツはどこに行ったのだ。

 今日は職場体験の中学生たちの先生役だった。司馬遼太郎に「21世紀を生きる君たちへ」という本があったのを思い出した。

 このブログは、いつも批判や悪口ばかりだけど、司馬さんはいいこともいうね。

 司馬さんは生駒山から眺める大阪城が大好きだったのだそうだ。

 「悲しみは、この街に似合わない。
 ただ、思うべきである。とくに春、この駅に立ち、風に乗る万緑の芽の香に包まれるとき、ひそかに、石垣をとりまく樹々の発しつづける多重な信号を感應すべきであろう。その感応があるかぎり、この駅に立つひとびとはすでに祝われてある。日日のいのち満ち、誤りあることが、決してない。 」(大阪城公園駅 壁面文)



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