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『私家版差別語辞典』上原善広 (新潮選書)

2011年07月07日 | 読書
 路地。部落。新平民。特殊部落。同和。士農工商。穢多。非人。

 この〈差別用語〉が、すでに被差別の歴史の叙述である。

 「路地」は中上健次が使い始めた。中上が育った新宮の被差別部落は、家と家がひしめいているスラムのような場所だった。それで「路地」と名づけた。筆者が大宅賞受賞作『日本の路地を旅する』で、被差別部落を「路地」と呼ぶのも、この中上文学から来ている。

 東北では集落を普通に部落と呼んでいる。私は関東だが、別に部落に差別的意味合いはない。しかし近畿では、ほぼ被差別部落の意味になる。役所に行けば同和地区と呼ぶ。地方に行けば、鉢屋や藤内などと呼ぶところもある。

 「部落」といえば、1960年代から70年代に広がった部落解放同盟の差別糾弾闘争のイメージが強すぎる。むずかしい、何かよくわからない、ややこしい問題というイメージを持たれてしまう。さりとて「同和」という言葉は行政用語で、「同和利権」「エセ同和」というマイナスイメージがついてくる。これが筆者が「路地」ということばにこだわる理由である。もちろんそれが正しいといっているわけでない。

 今の歴史教科書では、士農工商を教わらないというのも発見だった。平成になってからは、身分制度を固定化した歴史観の見直しが始まり、現在は士農工商は否定されている。

 〈穢多〉と〈非人〉の対立関係についても、わかりやすい。『男はつらいよ』の車寅次郎の姓は、〈非人頭〉の車善七から取られたものだというのは、前に聞いたことがある。テキヤ稼業は非人頭の支配下に入っていたんだね。

 〈穢多〉は「江戸時代の皮革職人」という大まかな説明ができる。しかし〈非人〉は、一般人でも〈非人〉に落とされることはあったので、流動的だった。町人の男女が心中して片方が生き残ると、〈非人〉に落とされてしまう。数年後には、一般人に戻ることが許される。「足を洗う」という言葉は、この時の清めの儀式から派生した言葉なのだそうだ。

 ネット辞書で見ると、「足を洗う」の語源は、修行に歩いた僧が、寺に帰って足を洗うことで俗界の煩悩を洗い清めたことだという。しかしそれが「悪事や悪行をやめる」「堅気になる」という意味に転じるためには、この言葉がもともとアウトローのことばで、被差別との関連は無視できない。

 「そうだったのか!」と、本書のいたる所で何度も感心し、膝を打ち、時にうなった。源氏物語の末摘花の描写に「かたは」が出てくるところなどは、原文で読んだはずの私も、現代語と結びつかず、完全にスルーしていた。

 「浮浪者」では取材中に出会ったホームレスの故郷まで訪ねている。日本と世界の路地を歩いてきたこの強靱なフットワーク。「くず屋」では、古紙回収工場で、固められた古紙から男性が発見された事件では、たった一人の遺族の夫人を取材している。携帯はおろか、固定電話もない老夫婦。さば節をかけた昼ご飯。差別用語の探求が、はからずも現代日本の貧困を浮き彫りにする。

 差別用語を自主規制して、言い換えれば済むというのは、たんなる思考停止であり、差別をより陰湿に隠蔽することにしかならない。この続きは、以下の上原氏のインタビューをご参照に。

「"差別用語"を使って何が悪い?」過剰な自主規制にモノ申す! 
2011年7月3日 11時15分
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20110703/Cyzo_201107_post_7767.html

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